「花泉」の町名の由来の地
国道342号線と国道4号線を結ぶ県道48号線の途中の小高い丘に城跡があります。
清水城、舞鶴城とも称される二桜城は、延歴年中(781~)に征夷大将軍の坂上田村磨呂によって、蝦夷征伐のための城と云われています。
道路沿いの石の鳥居をくぐり、「寿光荘」の駐車場を進み石段を登ると曲輪らしき平場があります。
曲輪は、頂部を取り囲むように続いています。
さらに石段を登ると頂部に八幡神社を見ることができます。
東屋があり公園として整備されています。
この地が「花泉」という地名の発祥の地であるという石碑と由来が書かれた看板を見ることができます。
神社より一段下がったところに「花立泉源泉」という湧き水があります。
これは、延暦二十年(801)、坂上田村麻呂が北夷征討の折、霊夢に感じて朝早く西山に入り、2本の桜の木のある所に立って剣を突き刺しました。
するとそこから清水が湧き出したのでその泉を「花立泉(かりゅうせん)」と名付けたのです。この泉は「花流泉」ともいわれ、春に桜の花びらが泉に浮かび流れる様が美しかったので、後にこの泉のほとり一円を「花泉」と呼んだと伝えられています。
坂上田村磨呂以降は、文治年中(1185~)に照井太郎高春が、延慶二年(1309)より、280年間は葛西氏の一族葛西式部清秀(二桜城に移り清水と改姓)一族の居城となりました。
豊臣秀吉の奥州仕置により葛西氏は没落と同時に清水氏も城を離れ、その後文禄・慶長年中は、伊達政宗の叔父留守政景の居城としても使われていました。
神輿の置いてある小屋の後ろには土塁の跡らしきものを見ることができます。
神社より西に下がった曲輪跡には、ゴルフコースがありました。
ゴルフパークを進んでいくと、曲輪らしき平場が続いています。
八幡神社本殿裏手は空堀跡があります。
クルマで公園に行く際は、公園東側に入口があり登っていくことができます。
【二桜城跡(清水公園)MAP】
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