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日記。

台湾みやげ話

2011年12月30日 | 台湾みやげ話
「台湾みやげ話」は「台湾風俗誌」の後に片岡巌の出した本、今回、楊先生は約束していた通りに台湾からわざわざ持って来て頂いた。コピーして綺麗な装丁で表紙も付けて頂いた。子孫としてこれほどありがたい事は無い。
楊先生ありがとうございます!


早速、読んで見た所、「台湾風俗誌」でよくわからなかった言葉などが簡単に書かれていて、(漢字に全てふりがながふってある)読者の対象が研究者だけでなくごく一般的な内地の人に向けて居るのが分かります。
つまり、台湾風俗誌の「解説書」のようなのでまずは、台湾みやげ話を載せて行きたいと思います。
ただ、簡単にわかりやすい様に口語体で書かれている分、(実家の墓碑に後年失明するとありますので、台湾みやげ話も、もしかすると口述筆記の可能性があります)
なんだか今の言葉で云うと「差別的」と思う箇所が多々あります。成る可く日本と台湾との差異を際立たせている様に感じる箇所です。まるで今の週刊誌に載っているインタビュー記事のようです。(あらためて文化人とは、文化とは、を問い直しつつ)時代背景を捉えて片岡巌はどの様な気持ちで云ったのかを、考察してゆく必要があるでしょう。

【台湾みやげ話のポイント】

1 なぜ「台湾風俗誌」の後にこの本を出したか ?
(みやげ話は大正14年初版、風俗誌は大正10年出版)
「台湾風俗誌」は出版までにおそらく準備期間が長くあったと思われるが、「台湾みやげ話」は出版までに準備期間はほとんどなかったように思われる。
(自費出版)

2 日本と台湾の差異を際立たせている箇所の考察

(1)当時、片岡巌はどの様な社会秩序背景にいたのか?
(台南地方法院通訳退職後、マラリヤにより失明しようとしている期間。昭和5年没)
台湾の教育の項(44)にもある様に台湾人が日本語を巧みに話せる時代になっていた。
日台間、台湾内の交通が発達したころ。(膨湖島にも自由に行くことが出来た程)

(2)出版当時の台湾の状況の複雑さを、(台湾に行った事があるが、台湾の状況をわからぬまま帰国した日本
人の為にみやげ話用として)簡潔に述べた。


3 相手(日本人)の期待に応えて、出版当時の望ましいと思われる多少の誇張や憶測などが付加されているはず、片岡巌はデータや経験の上で自分の考えを述べているように思われるが整合性は当時の他の記録と比べてあるのか。

以上不明な点も多いですが、それでも当時をご考察頂きながらお読みいただければと思います。