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randomnote

日記。

迷信の善用 1914年5月20日

2016年12月12日 | 臺法月報
迷信の善用

  本島に「離頭三寸有神明」なる俗語あり。之れ即ち頭上三寸を離れたる所に神明ありて常に吾々を監視す、故に日常の行事善悪となく直に頭上の神明の知る所となり、善事なるときは陽報あり、悪事なるときは必ずや神罰を被るとの意にて、所謂我が母国の「神は正直の頭に宿る」の筆法に相似たる俗言なるが會〃此の俗言を利用して迷信善用の例を示せるあり。處は台南安海街なる南部治療院の後方、小港の壁角に於いて、往来の土人等、各自所有の天然水龍(天然ポンプ)を取り出し救火の予行演習を行うあり為に付近汚穢し臭気甚だしかりしが、近頃一厚徳家あり、左の数字を書して壁に貼付せり、曰く
媽祖在此処 放尿者必夭死
と、即ち媽祖の神明此の無形の壁角の間に宿り居れり、若し救火演習をなすときは必ず夭死すとの意なり。之れ即ち「離頭三寸有神明」の俗言を利用し街頭巷角にも神明ありとなせしものなり。之が為め近来一人の救火演習を行うものなきに至り、此処反って清潔の場所となれり。彼の汽車中、汚脚勿踏椅頂とか乃至塵屑捨つ可らず、啖吐くべからず、閑人不准人、通行禁止、花折るべからず、魚捕ふべからず等の文字を用ふべき場合にも此の筆法を利用せば、其の効果に於いて他法に勝ること数段なるものあるべきか。
迷信の善用


ひらいてみた!

  本島(臺灣)に「離頭三寸有神明」なる俗語あり、これ、すなわち頭上三寸をはなれたところに神明あり、つねにわれわれを監視する。
ゆえに日常の行事善悪となく、すぐに頭上の神明の知るところとなり、
善事なるときは陽報あり、悪事なるときはかならずや神罰をこうむるとの意味で、
いわゆる我が母国(日本)の「神は正直の頭に宿る」の筆法にあい似たる俗言であるが、

この俗言を利用して迷信善用の例を示せるあり。
ところは台南安海街なる南部治療院の後方、小港の壁角において、往来の人等、各自所有の天然水龍(天然ポンプ)を取り出し救火の予行演習(:立小便の意)を行うありために付近汚くて、臭気はなはだしかりしが、近頃ある一人の厚徳家あり、左の数字を書して壁に貼付せり、いわく
「媽祖在此処 放尿者必夭死」
と、すなわち媽祖(まそ:臺灣の女性神)の神明、この無形の壁角の間に宿り、もし救火演習をなすときは必ず夭死すとの意なり。これ即ち「離頭三寸有神明」の俗言を利用し、神様はどこでも見ているこのため最近、一人の救火演習を行うものはいなくなった。
そこはかえって清潔の場所となり。かの汽車の中、汚い足を靴のまま座席に乗せる人にするへの注意とか、チリクズを捨てない、啖やつばを吐かない、閑人不准人、通行禁止、花折らないで、魚捕り禁止等の文字を用うる場合にもこの書き方を利用すれば、この効果に於いて他法に勝ること数段なるものあるのではないか。

臺法月報第8巻第5号 1914年5月20日

私休 1913年9月20日

2016年12月10日 | 臺法月報
私休

△強姦 は耳を割り、目を刳り、頭髪を斷る、等略々姦通の私休と同じきも、尚其外に活埋と云ふことあり、之れは犯者を捕へて、可成通行人多き路傍に活乍ら土中に埋むるを云ふ、其方法は一尺四方位の杭を人丈けに穿ち、犯者を其杭中に立たしめ、周園を土にて埋め、首部のみを露出し通行人に面せしめ諸人に示す、行人は竹鞭或は木枝を以て之を揶揄し、又は面に唾して過ぐ、如此して往昔臺南安平街道の中途に半路亭なる一亭あり、之れ元と安南間往来者の休息所たりしが、或時一悪漢此處に隠れ居り、一婦人の通行するを見て、不意に捕へて亭内に拉し来たり、遂に獣慾を満たせり、庄人之を知り馳せ集り、悪漢を捕へて此處に活ながら埋めて衆人に示めせり、埋められたる悪漢は數刻を出でずして死したるを以て、其首部に甕を蔽ひ腐臭に任せたり、後何人の傳へたるものなるや、其屍前に香を焼きて祈るときは必ず賭博に勝つと稱し、黨時香煙絶えざりしと云ふ、彼の義賊鼠小僧の墓前に常に香花絶えざるも概ね此類なるべく、何處にも奇なる迷信の存するものなるも迷信は迷信として、此私休は私休中最も殘酷なる私休と云ふべし。
學生他人のものを窃盗したるときは、教師其學生を捕へて打ち懲らし他の學生に示めし又は其父母に告げ將來を戒しむ。
子、 他人のものを窃取したるときは、其父母其子を物主の家に拉し行きて打ち懲らして物主に示し後來を戒む、若し父母の物品を盗めば縛し、又は打ちて之を懲らす。
査某嫺主人のものを盗めば、子と同じき打ち懲らす、若し他人のものを盗み、又は盗食するときは、其手又は唇に焼け火箸を當て之を懲らす。
明治四十二年七月中苗栗三堡大甲街王俊なるもの下女を懲らしむる目的を以て、度々焼け火箸を其躰體に當て、遂に其下女を死に致し、己れも亦刑事被告人となりし事件あり、兎に角、臺灣に於ける私休即ち私休は不良なる習慣と云ふべし。(了)


臺法月報第七巻第九號 1913年9月20日
 




臺灣の私休 1913年8月20日

2016年12月10日 | 臺法月報
臺灣の私休


△牛豚羊等を竊取したるもの は捕らへて賍物を返へさしめ、若し賣却又は等にて原物現存せざる時は其代價を賠はしめ、燈彩一對(彩色シタル燈)を廟に奉納せしめ、其燈には必ず犯者の姓名を記入す、此燈の存する間は犯人は人知れぬ苦しみを受け、後來決して斯かる事はなすまじと自ら懲り悔ひしむる様になすなり、又檳榔を配りて謝罪せしむるものもあり、罰として芝居をなさしむるもありと云ふ。


△竹林又は縞板等を竊取したるもの は賍物を背負はし庄内を囃し行きて後來を戒しむ


△殴打創傷 被害の多寡に依り、被害少なければ檳榔を以て謝罪し、或は罰として廟前に芝居をなさしむ、此時は芝居場の両側の柱に自書にて謝罪の意を書せしむ、傷軽きときは薬代卽醫療代を賠はしめて事を濟ますあり、又被害者を加害者宅へ舁ぎ込むあり、被害者は例の灣流にて将に死に垂んとするの状をなし唸めき苦しみて泣き叫ぶ、已に損害賠償も取り、事落着するや、忽ち全治して元氣よく歸宅する輩もありと云ふ、又保辜限と云ふことあり、之れは保正或は甲長の仲裁にて其未だ傷害の深淺を確かむる能わざるときの約束なり、若し此傷痕が三十日以内に全治せば藥價何程、或は一生不具になりし時は何程と、所謂條件付の約束なり、之を保辜限と云ふ、此間は官にも持ち出さずして其傷痕の経過を俟つものなり。


△水番・順番を俟たず窃かに引水したる者 は其者に燈彩又は芝居を罰す、五角頭、五柵戯、五卓酒、なる慣習語あり、之は庄内のものゝ悪事をなしたるときは罰として庄の五方に芝居をなさしめ、酒及料理を設けて庄人に飲食せしむるを云ふ。


△甘藷盗食 近来砂糖屋増加し、一本の甘藷と雖も、大いに尊重さるゝことなれり、今一二本の甘藷を倫食したるものありとせば、如何なる御叱りを被るかは知らざれど、在來本島に慣習語あり、曰く、一枝放汝去、二枝打竹莉、三枝罰一棚戯、と卽一本なれば放還す、二本なれば竹にて打ち懲らす、三本となれば少し慾心深くして穏かならざれば、罰として一臺の芝居をなさしむと云ふことなり、一臺の芝居は少なくも六七圓なるべし、甘藷三本にて六七圓の罰とは少し割に合はざることと云ふべし










臺法月報 第七巻 第七號  1913年8月20日 

臺灣の私休(その2)1913年7月20日

2016年12月10日 | 臺法月報
臺灣の私休 (其二)

姦通せしものに對しては断髪、灌尿、割耳、罰戯等の制裁あるは前號已載の如くなるが、尚ほ珍奇なる實例あるを以て其一を茲に紹介すべし、先年一盲人、肥餘なる上田を所有せしに目明なる人の赤痩殆ど不毛に近き下田と詐り換へられたりとて、之が囘収の訴を臺南法院に提出せり、始め盲人は、詐取せられたる業は己れの祖先より傳來せし如く申立居りしも、審理進むに従つて包むに由なく、遂に實を吐くに至れり、即ち原告たる盲人の未だ盲せざる以前、被告の妻某と密かに通じ居りしが、阿漕が浦に引く網の何とやら、遂に被告に發見せられ、捕らへられ両眼を刳り脱かれたるものなりと云ふ、原告自身は其地古来の私休なるを念ひ且つ己れの惡きを悔ゐ断念して默し居りしに親族故𦾔共餘りに私休の殘酷なるを鳴らしめ初め被告に談判せしに、被告も事の公にならんことを恐れ、自己の所有する上田と原告所有の下田と交換し、且つ檳榔を送り謝罪して事済みたり、然るに被告は原告の盲なるを奇貨として、口頭にて交換し了したる如く言ひなして其實交換の手續をなさざりし爲め此訴訟を提出せしものなること判明せりと云ふ、實に奇珍なる訴訟にて到底内地人の想見し能はざるものと云ふべし又た昔臺南の何某好淫にして常に人の妻と通ず、故に人々蛇蝎の如く嫌厭し爪弾きし居りしに、或時復た他人の妻と通じて其夫に發見せられ捕へられて日中馬背に縛せられ、臺南市中を牽廻はさら赤恥を晒したりと云ふ、斯事餘り信ずべきことならねども且らく所聞を記して参考に供す。
飼牛、飼羊其他鶏鶩等の飼養動物、若し他人の田園に入り作物を踏荒らしたるときは其業主は牛又は羊を捕へて打懲らし、又は自宅に牽き來りて縛し留む、物主之が囘収に來らば、相當の損害賠償を取り謝罪せしむ、又物主曩(さき)に金餞を田主に貸與しありたる場合、卽債権責務の關係ありたる場合は債務者たる田主は此機乗ずべしとなし、損害高及牛羊の代價に見積り、牛主に向つて曩日の債務を棒引きにせんことを強請する等狡猾なる輩ありと云ふ
鶏、鶩、鵞等を搾取したるもの、常業者なれば公けにすること無論なるべけれど、鋤鍬を肩にせる耕転の帰路、塒に迷ひたる鶩一羽、畦(けい)畔(はん)に蹲(うずくま)り居るを見、時は黄昏なり人亦見えず、處は屋裏竹圍の外、不圖不良の心を生じ、私かに捕へて家に歸りし等は、實物若は相當の代金を返戻して謝罪せしむ謝罪は必ず檳榔を其近隣に配るものとす。

臺法月報第七巻第七號  1913年7月20日

臺灣の私休(その1) 1913年6月21日

2016年12月09日 | 臺法月報
臺灣の私休 (其一)

私休とは臺灣人相互間の制裁卽社会的制裁である、而して中には實に聞くに忍びぬ残酷なものがある、是れは昔日、清人の明人虐殺、乃至は反賊の民人惨殺、官兵の復讐的勦滅、若は分類械闘及蕃人の馘首(かくしゅ)等常に惨酷酸鼻に堪えざる所行を見聞して居るからであらうと思ふ、勿論領臺以来此等安寧秩序を紊し一般風俗を傷ふ如きものは厳に禁止せられ居る譯なるも中には一二私かに行れ居らぬにも限らぬ、今其重なるもの數種挙ぐれば

△窃盗 捕へて縛し、或は吊るし打つ、又突屎禁とて捕へて倒まに厠の中に突き込む、又頭毛酷とて五分位の髪の毛を酷と尿とに入れて口よりつぎ込む、然すれば其賊は喘息又は肺病となり、物を取らんとして人家に入る毎に、咳の為に發覺して果たさぬと云ふ、又情状に依て割脚筋と云ふことをする、之れは足の筋を斬るのである、爲朝が臂筋を斷たれしよりは今一層、困難なることであらう。

△姦通 捕へて頭髪を斬る、又は割り耳とて耳を切る、灌尿とて尿汁を呑ましめる、又は寺廟用の物品を提供せしめ、其物品に氏名を明記して、物品の現存する限り人々の笑ひものとなり、後來は決して斯る耻かしきことすまじ、と思はしむるのであると云ふ、又罰として俳優を償はしめ、芝居を衆人に見せしむ、又爆竹を肛門に挿込み、火を點じて爆炸せしむるのもゐると云ふ、然かるに先頃他人の妻と通じたりとて、之を捕へて「サイダー」壜を肛門に挿込みたり、此被害者元来己れの招きたる禍ひなれば、苦しきをも忍びて家に歸り、自ら取り去らんとして鐵鎚にて打破はしたる為め、其砕片奥深く入り込み遂に如何とも致し方なく臺南病院に入院したるより、官の知る所となりたりと云ふ、随分危険なる制裁と云ふべし。
右の外處女に戯るれば、捕らへて灌尿を行ひ、殺人は捕らへて打殺し、又は情状に依り金餞を出して謝罪せしむ、又過失殺は金餞を出して謝罪せしめ、違約は菓子を買はせ、又は檳榔を用て謝罪せしむ、然し商品等にて違約の為め損害多きときは、其額に照して賠償し且謝罪せしむ。

臺法月報 第七巻第六號 1913年6月21日

月老爺 1914年2月20日

2016年12月08日 | 臺法月報
月老爺 

△縁結びの神 内地にて十月を神無月と云ふのであるが、之れは日本國中の神々が出雲の大社に集合して各々我管轄する所の若い男女の赤縄を結ぶと云ふのである。然し臺灣は領臺已に二十年になるのであるが、臺灣人の赤縄に就ては臺灣の神々が同じく出雲に行って結ぶのであるかが、疑問であつた、然るに規則の方より云ふ時は、臺灣人は内地人の籍に入って妻となり婿となることは出来るが、内地人が臺灣人の妻となり婿となりて臺灣人の戸籍に入ることは出来ないと云ふ事になって居る、是を見ると臺灣神社が内地に會同に行く際臺灣人の赤縄を持て行て罕に結び付けるのであらう、然らば臺灣人同士のは何處に結ぶかと云ふに、之れは別に臺灣に神がある、之を月(ゴアヲ)老爺(ノオイア)と云ふ、この神は各地にあるが、臺南には打銀街の萬福庵の右側に祀ってある所の神がある、之れが赤き男絲と女絲とを結ぶのであるが、若き男女は盛んに参拝して、自分の赤縄を思ふ人の赤縄と結び付けて貰ふことを祈る、金紙が數枚と線香が數本で、己の欲する赤縄に結び付けて貰ふことが出来るならば御易い事である、臺灣に居る人は内地人でも効があるかも知れぬから儘ならぬ浮世などと嘆く人々は一遍試みに祈願して見ては如何だろう。


1914年 2月20日  
臺法月報 第八巻 第二號