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randomnote

日記。

郡山市にイッテキマシタ

2011年11月30日 | 台湾ー郡山
11・26
郡山は肌寒かったけれど、天気が良くて、時間の流れが少しゆっくりしていた。
お墓参りを済ませたあと、母と母の姉の叔母さんのうちで、かなり長い間、台湾について語り合いました。

叔母の回想>日本に戻ってきたのは、叔母の記憶によると、終戦の少し前に台湾の方に手伝ってもらいながら。5歳の叔母と生まれたばかりの母をおぶって森永夫妻は、京都の舞鶴港についたそうです。トイレが板を二枚渡しただけで、とても便利な怖かった。また、生まれたばかりの母は、風邪をひいて死にそうだったのですが、乗客していた方が薬を分けてくれて、一命をとりとめたそうです。
舞鶴からまず福井に行きます。でも途中で、京都にいた大谷賢逸さんという伯父さんに会いに行ったかもしれない。(とても仲の良い親戚で森永信光の妻みさ代さんの弟。)
この方も花蓮で商売をやっていて、朴子の家で同居していた事もあった。聞くと、叔母さんはこないだ京都にこのひとの息子に会いに言いてきたそうです。息子と言っても、もうお爺さんだけれど。
まだ京都にいるそうです。

その他いろいろいい話がたくさん出来たと思います。


片岡巌の曽孫、台湾にて、原子力発電に反対する呉慶年教授に出会う。

2011年11月20日 | 台湾ー郡山
台湾に11・9から4泊5日で行きました。
大変楽しく密度の濃い旅でした。
詳しくいずれ皆さんに報告できると思いますが、
取り急ぎ台南の成功大学にて夜の不思議な古老との出会いについて皆さんにご報告いたします。
我々が(僕以外に楊先生と助手のライちゃん)、台南についたのは、もう日が暮れた頃、それから岡本先生と会食する事になり、4人で席を囲んで食事が運ばれてきた頃、我々は朝から何も食べていなくて、お腹がペコペコだったのです。しかしふらりと一人の古老が私たちに声をかけてきた時僕の食事の手は止まりました。

壁を挟んだ向かい側の広いスペースでは、物理学研究所の同窓会が行われており、
そこの出席のために訪れたといって、流暢な日本語で、語りかけてくれました。
成功大学は今年80周年で今週は沢山のイベントがある学園祭。今回の記念に私は、物理学の歴史を調べ、また、成功大学の歴史も調べた。それをまとめたものを見せてくれた後、こう言った、物理の中に哲学がなければいけない。哲学の無い物理は空虚である。西田幾多郎の息子は物理学者である。
そして、ぼくは今回の旅での目的を伝えると、台灣風俗誌を手にとり、よく調べてあるとひとしきり感心なさった後、北投の媽祖廟についての項を読み、自分はここの出身である大変懐かしい、、、
私は稀に漢詩を詠む、時に漢詩は写真よりも、如実に詠む者の心を映す。

また研究は太陽発電をしている、、。
、、、僕の今回の旅のノートのはじに、何故か太陽光発電のメモをとっていたので、
時はいまだと思い、質問をいろいろぶつけてみた。
例えば、太陽光発電は10から20パーセントしか実質発電できないんですよね。とか、
その時、古老の眼鏡がキラリと光った様に一瞬見えた。
あなたはいつまで台南にいますか?、、、そうですか明日までなら明日の朝、成功大学に来てください。
福島の方に送る手紙を書いたので渡してください。


、、、何故、我々が台湾の後、福島に行くとわかったのかますます謎は深まるばかりである。

片岡巌は福島に生まれて、そして、1896年の三陸沖地震の時に仙台第2師団から台南に行った。そして台南のこの成功大学の校舎の横の今はキャンパスになっている所に台灣歩兵第2連隊寄宿舎があった。
片岡巌も台湾歩兵隊第2連隊に入隊後、憲兵隊へ編入されます。のちに台南地方法院検察通訳で戻って来たし、なくなったのは台南。
第2師団と言うのは、日本では東北、台湾では台南。

数々の謎の解く鍵を求める為に、以下のその時に頂いた文章をとくと読まれたし。
そして11・26に福島県郡山にいってきます。


武士道精神を以って脱核を推進しよう。
ー2011年「反核燃」青森集会に寄せてー
呉慶年( 台灣環境保護連盟学術委員)

3月11日、強震、津波、原発災害が同時に日本東北地方を席巻してから、一月に満たない今、同じ東北の青森で2011年「4・9反核燃の日」全国市民集会が挙行されるに際し、同じ環太平洋地震帯にあり、同型原発の災害脅威にさらされている台灣から、核燃サイクル政策転換へ向け、たくましく奮闘される皆様にご挨拶申し上げます。
 私はかつて2000年の「反核燃」5000人集会に参加する光栄に浴した者ですが、大会前日の記者会見で7社を超える記者たちが出席、熱心な問答を交わしたのを見て、新世紀の幕開けにメディアと世論が核燃サイクル(核エネルギー発電とその前後の核燃料製造再生、核廃棄物処理を含む)問題や代替エネルギーに対する多大な関心に強い感銘を受けました。
  しかし今回の青森集会は、折しも、3月28日に菅首相が国民に「東日本全壊」の最悪事態可能を警告するような巨大災害の真っ最中とて、特に重大な時代意識があります。当初IARAは福島第一原発事故を第4級と軽く評定したが、3月13日の台湾公共テレビで私は災害発展の重大さを指摘し、必ずスリーマイルの第5級を超えるだろうと発言した折、案の定間もなく第5級を過ぎエスカレートして第6級に。これはチェルノブイリの第7級に次ぐ大事故です。冷却失敗に伴い、炉中及び使用済み燃料棒から出た放射能は、陸海、農作物、水産物および水道水を汚染し、さらに遠く欧米でI-131,Cs-137等が検出され、恐核、反核及至廃核の声浪が全文明世界に広がっています(特にドイツでは1日の内に25万人がデモして既存原発17基の廃炉を要求し、また連邦の重要な一邦で緑の党の首相が選出されました。
  日本もこの千載一遇の不「幸」機に、世界潮流に順応し、一歩大きく踏み出して脱核(原発+核燃)への推進を成功させましょう。将来いつの日か、芭蕉の「奥の細道」を巡って、福島原発厰と六ヶ所核燃処理厰の廃墟を訪れるであろう旅人は、きっと感極まって、東北詩人土井晩翠の作詞、滝廉太郎作曲の「荒城の月」(城を厰に変えて)
今荒厰の夜半の月、変わらぬ光誰がためぞ。
垣にお残るはただかつら、松に歌うはただあらし
天上影は変わらねど、栄枯は移る世の姿。
映さんとてか今もなほ、ああ荒厰の夜半の月。

を唱って憑弔の意を捧げるでしょう。更に平家物語の冒頭詞、

祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり
沙羅双樹の花の色、盛者必衰の理を表す
奢れる人も久しからず、唯春の夜の夢の如し
猛き者も遂には滅びぬ、偏に風の前の塵に同じ

にしんみり思いを馳せるかもしれません。
  今や半世紀近く続いた日本及び世界の「原子力」時代の開幕は歴史の巨輪に押されて現実になりつつあります。
それには新しい自然エネルギー、特に太陽光発電と風力発電を基礎とする「緑の党」の一刻も早い実現にかかっています。福島核災に発端する世界性「緑革命」の行列に日本は鼓笛隊の役目を果たしてこそ、2050年ころに到来するであろう「グリーン・エネルギー」時代の幕開けに、その幕引きの栄誉を担う事が望まれましょう。 
  テレビで飢寒窮乏の絶境にありながら、なお謙虚に社会秩序を守り、相互扶助して頑張っておられる災民達、津波にさらわれる迄ずっと避難勧告の放送を出し続けた役所の女性職員、放射能に満ちた損傷反応炉建屋に命を賭して入り、修復に従事する壮士隊の姿をみて、彼等彼女等のたくましく凄まじくもうるわしい精神には、感動と敬仰に堪えません。
これこそ「台湾糖業の父」と称された東北生まれの国際人・新渡戸稲造著『武士道』の精神の具現で、皆さんが至難な「脱核」任務完遂の基本保証となるでしょう。
  私どもは、世界の人たちが皆様と手をつなぎ、「私的死を超えて公的生に奉ずる」武士道精神と「人は天に勝てず、人天共生あるのみ」の宇宙観に依り、日本がこの度の悲惨な核の「禍」を速やかに転じて、燦亮たる緑の「福」の「島」になる様、遠く台湾からお祈り致す次第です。

2011年3月29日(スリーマイル原発災害32周年翌日)謹記


最後に拙詩〈哀災民〉〈絶境見凄善〉の二首を捧げ、亡くなった皆様のご冥福と負傷された皆様、被災された皆様の健康及び生活の速やかな御恢復をお祈りいたします。

哀災民
古摩耶人曽予言 ;世界末日在明年。
難道日本出首兆?複因併発巨災変。
九級強震海嘯吞;三炉気爆輻射散。
屋流族離市町滅;炎上雪下煉獄現。
除奢帰素廃原発;血訓是「人不勝天」
桜季末料地浩刧;都知竟「天罰」説
雖経媒体断章誤;「私欲汚垢」須洗潔
災黎冷静顕高序;遺眷悲痛掩低咽
球村隣民陥塗炭;「人溺己溺」感同切
教授不調万元餞;学生送愛千羽鶴折

絶境見凄善
岸辺役所送放報;「津波将襲速退走!」
播員堅守至被捲;嗚呼春萃瞬散冫+周
傷炉建屋放射満;敢入修復壮士倣
臨義滅私助公生;大無勇践武士道
甦国正需此魂魄;核「禍」転成緑「福」島!



次回は郡山にての話と、、片岡巌の台灣風俗誌の続きも。