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randomnote

日記。

台湾人の一口噺 ノコギリを使って矢を切る。

2012年01月25日 | 台湾風俗誌
第4節 鋸(のこぎり)を用(もち)いて箭(や)を切る  


 一人演武場に於いて誤りて飛箭に中(あた)る、外科醫を迎へて之を治せしむ、醫曰く、易事(えきじ・たやすきこと)のみと、乃(すなわ)ち小鋸(このこぎり)を用いて、其の外部の箭のみを裁り去り、依りて謝儀を求む、内部の箭は如何んと問へば、答へて曰く、是れ内科醫の事なりと

  ある人が演武場で誤って弓矢の矢にあたってしまい、刺さって抜けず、
急いでお医者さんを呼びました。駆けつけたお医者さんは
「大丈夫、簡単です。」と言って、
ささっとノコギリを出して刺さった矢の外部だけ切り取ってしまいました。
そして診療報酬を求めたので、
「ええっ! 体の中の矢の先は…。」
と問いただすとお医者さんは言いました。
「あっ、ココから先は内科医の仕事になります。」

用鋸截箭
 有一個人在演武塲誤被飛箭射中,於是他就請一位外科醫師來為他診治,醫師看了看傷口說,,『這很簡單!』說完就拿起一把小鋼鋸,把留在傷口外部的箭柄鋸斷,患者問他射在肉裏的箭怎麼辧,他的回答是,,『我是外科醫生只能治外部,射進肉𥚃的箭你要請內科醫師來治。』

台湾人の一口噺 のんきな子とせっかちな子・性急急緩

2012年01月24日 | 台湾風俗誌
第3節 性急急緩 のんきな子とせっかちな子
 某子 性(しょう)極めて緩慢なるあり、嘗て一足靴を新調す、其の友の一人、性甚(はなは)だ急なり、之を見て問ふらく、靴の價幾何ぞ、某子片足を揚げ、徐(おもむ)ろに示して曰(いわ)く、六角半なり、友 忽(たちま)ち怒りて曰く、彼の狡商、余の靴を新調するに、正に其の二倍を収めりと、某子徐に制して曰へらく、慢慢聴!他方の片足の靴も、亦(また)價六角半なりと

ある呑気な性格の子がいました。一足靴を新調しましたが、それを見てせっかちな性格の友達が聞きました。
「その靴いくらで買ったの?」
のんきな子は片足を揚げておもむろに
「六角半だよ」と言いました。
「ズルい商人め!騙された!」友達はたちまち怒り出しました。
だって自分の靴は二倍の値段で買ったのだから。
のんきな子は制して曰く、
「まあまあ、ちょっと聴いてよね。もう片方の靴もまた、六角半だったんだよ」と。

有一個慢性人,某日買了一雙新鞋穿著,途中遇到一個性急的朋友,就問他這雙鞋多少錢,他慢呑呑的伸出右脚說,,「六角半」、急性的朋友很生氣的說,,『唉呀!我被奸商騙了,我這雙鞋跟你的完全相同.可是竟然用了一元三。』這時熳性的才又伸出另一隻脚説、、『這一隻的價錢,也昰六角半。』

台湾人の一口噺 第2節 馬を借りる

2012年01月22日 | 台湾風俗誌
第2節 馬を借りる    借馬

一富翁あり、文に通ぜず、一日友あり、手紙を寄せて馬を借らんとす、書中に曰ふあり、僕偶(た)ま他出せんとす、乞う俊足一乗を借らんことをと、翁怒りて曰く、我も亦只だ足二本を有するのみ、如何ぞ其の一足を他に借すを得ん、一人傍に在り、解して曰く、俊足とは馬足なり、怒るを休めよ、
翁益々怒りて曰く、咄何ぞ無禮(ぶれい)の言を為す、我も馬足ならば、彼奴は驢(ろば)脚ならんのみと

お金持ちの爺さんが一人居た。あんまり文字は読めなかった。
ある日友だちが馬を借りようと手紙を書いた。手紙にはこう書いてあった。
『たまには遠出しようと思って、そこで、俊足を一乗り、借りれませんか?』
爺さんは怒りながらこう言った。
「ワシもあいつと同じ二本の足を持っている、その足を一つ、人から借りようなんて!」
そばに居た人がこれを聞いて、「まあまあ爺さま、怒らないでよく聞いてください。俊足、とは、馬の足の事ですよ。」
爺さんはますます怒ってこう言った。「ワシの足を馬扱いしおって、ワシが馬なら、、彼奴は足はロバの足だ!」
(教訓;なんでも人から借りないでなるべく自給自足で行こう!)

 有一個不認識字的富翁、某日朋友寫信向他借馬、朋友在信中説、、、『因為我有外出、請借俊足一乗以代歩。』富翁聴了這話很生氣的說、、『我只有兩條腿,又怎能借給他一條!』這時在旁的一位管家釋說、、『「駿足」並不是指䐚,而是指馬足,請老爺息怒!』不料富翁聽了更加氣憤說、、『他也眞是太沒禮貌了,竟然說我是馬足,那他是驢足了!』

台湾風俗誌 台湾人の一口噺 第1節 鼻影を棗(なつめ)となす

2012年01月20日 | 台湾風俗誌
台湾風俗誌第6集
第1集 台湾人の一口噺

第1節 鼻影を棗(なつめ)となす
近視眼者あり、某家に客たり、主人饗するに茶を以ってす、客、茶碗底中、己(おのれ)の鼻影の映ずるを見て誤りて橄欖(かんらん;オリーブに似た木ノ実;カンラン科 Burseraceae Kunth)となし、撈模(ろうもう;探り取ること)として已(や)まず、之(これ)を久うして忿り極り(いかりきわまり)、乃(すなわ)ち指を以って撮(つま)み、力に任して之を咬む、指忽ち(たちまち)破れて紅血流る、客、仔細に之を視て曰く、吾れは只た橄欖なりしと思ひしに、原と是れ一個の紅棗なりしかと説くに理(ことわり)を以ってし、喩(さと)すに情を以ってするも尚且(なおか)つ頑迷悟らざるの徒、将(はた;また。あるいは。)此の近視の客の類のみ


【現代語訳】鼻影をナツメとする。
近眼の人がお茶に呼ばれてある御宅に行きました。ご主人が入れてくれたお茶を楽しんでいたら、茶碗の底にカンランという名前の木の実が底に沈んでいる、指でつまんで食べようとするけれど、なかなかうまく掴めない、それもそのはず、だって自分の鼻影が茶碗に写っていてそれが木の実に見えてたのさ。そのうちイライラして来てついに力一杯に茶碗の底に指を入れると、指が茶碗にぶつかって血が出たよ。それでも「自分はカンランの木の実だと思っていたけど、これは紅いナツメの実ですか?」と聞くので主人はいろいろ説明したんだけど、なかなか近眼のお客は頑迷に自分の意見を変えなかったとさ。。。って痛くなかったの⁉


一、以鼻影為棗
 有個大近眼、到親友家去作客,主人用茶水來招待他丶不料客人竟把茶碗底上的鼻影誤會成昰一顆大紅棗。於是就準備撈來吃,可是撈了很久也沒撈上來,最後就很急躁的用手來撈,結果竟被他 「撈」 上來了,於是就使勁用嘴來咬,不料竟把手指咬得鮮血淋漓,這時他就氣急敗壞的説⋯ 『我蠻以為是一顆大紅棗,原來竟是一顆大橄㰖。』 其實他咬的既不是橄欖也不是紅棗,而是自己的手指頭,比喻頑迷不知醒悟之徒。



昨日(図書館)、(今夜)乃木公園、(明日朝)小田原

2012年01月09日 | Weblog
昨日、新座の図書館にて借りて来た本。

松永安左エ門自伝 喝! 日本人 松永安左エ門著
「武士道」解題(ノーブレス・オブリージェとは)李登輝著
善の研究 西田幾多郎著
福翁自伝 福沢諭吉著
レヴィ・ストロース 入門のために神話の彼方へ
人間 福沢諭吉 松永安左エ門著
スコット・ラファロ その生涯と音楽 (翡翠の夢を追って) ヘレン・ラファロ・フェルナンデス
都市と自然 安藤忠雄著

今日は、仕事帰りに待ち合わせのために、赤坂から青山一丁目まで行く。地下鉄乗るほどでないので歩いて行く。途中で台湾の景色によく似た赤煉瓦の建物が見えたので、ドキッとする。これは、と伺うと乃木希典の旧邸であった。庭は現在乃木公園となっている、明治天皇崩御の際に夫妻とも自害されたそうです。当時を思い、静かに手を合わせて帰ってきた。

明日は、小田原板橋にて山県有朋(乃木希典の上司でもあった)の古希庵と松永安左エ門が終戦後(昭和21年)新座市から引っ越した旧邸を見学して来ます。「電気の鬼」と呼ばれた彼の居た気配と老欅と茶室を堪能するつもりです。また気がつく事が有るでしょう。

乃木希典大将は1895年仙台の第2師団長に任命、翌1896年10月14日に台湾総統に任命されますが、片岡巌は1895年に仙台の第2師団に入隊、同じ1896年10月14日に台湾守備隊に編入されます。
仙台の第2師団が何百名いたのかわかりませんが、20歳の片岡巌青年にとっては乃木希典はとても影響のある人物だった事は疑いありません。乃木希典は3年ほどで、台湾から離れてしまいますが、片岡巌の心にはいつまでも理想の上司の一人であり続けたでしょう。
(比べる事がおこがましいけれども、学者になりたかった少年から始まり最後まで軍人を全うした乃木希典大将に対して、憲兵、通訳となるも最後自ら在野に帰った片岡巌)お互いの夢に心を添わせたいと思います。