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日記。

片岡巖  著者識

2099年08月19日 | 台湾風俗誌


古人いわく善に従う登るが如し、悪に従う崩るが如しとむベ或言や、総じて生を世に享ける者、難しきを避け易きに就く、これ一般通性たり、假令個人の悪習と雖も、容易に他に及ぼし、甲伝乙承(甲が伝えて乙が聞き入れること)延びて郷党の幣習と成り、上流下接(上から流れ下が受ける)の勢いを成し、滔々あまねく全般に瀰漫(びまん)し、社会の秩序をみだれリ、国礎をあやうするに至る 心ある者焉(いずくん)ぞここに意を須(しゅ)ひずして(しなければならない事)可ならんや。  ひるがえして本島の習俗を見るにただに悪習弊俗に止まらず、最も危険なる迷信を含むもの多し、そもそも迷信は、かつてある時代に於いて、公衆が合理的信仰と認めたるものなるも現時開明の文化と相容れざるものなり。  
そうしておおよそ迷信の魔力に魅せられたる民衆の心理は、火を以って熾(し)くべからず水を以って滅すべからず威力も理論も以ってその心境を移すあたわざるに到る。 
彼の信ずる神の為には、あまんじて愛子を殺し祭祀に献ぜし「アブラハム」の如き、又冥福を祈る為には、悦んで子女を「ガンジス」河に投じ、鰐魚(わに)の餌
と為す印度人の如き、そのもっとも甚だしきものなりと雖も、之を青史に微するに、シナ民族の迷信深きは更に一層甚だしきものあり、かの狡徒拳匪の輩、必ずや裏面に此の迷信を利用し、名を降神問佛に籍り、妄誕綺語を以って愚民を扇動せしめ、事を作し国を乱せしこと其の事例甚だ多し。況(いわん)や文物遅れ制度周らざりし、孤懸の島嶼に在りしシナ民族に於いてをや。
夫れ然り而して改隷すでに20有余秋、今や人文日に新たに、月に盛りにして昔日の如くならず、当局また専ら同化(どうか)の道を開き之を導かんとす、然(しか)り雖(いえども)も、若し之を導かんと欲せば、須らく島民の悦服を得ざる可らず、島民の悦服を得んと欲せば、先づ民衆の心裡を詳悉せざる可らず、民衆の心裡を詳悉せんと欲せば、宜しく在来の風俗習慣を探究せざる可らず、風俗習慣を探究し得て以て之を善用し、茲に始めて蒙を啓くを得べし矣
余(よ)夙(つと)に感ずる所あり、公(こう)餘(よ)洽(あまね)く諸書を渉獵(しょうりょう)し、或(あるい)は古老に質し、耳學ロ説、大小輕重を問わず、本島閭巷に於ける風俗習慣を探究し、苟(いやし)くも得る所あれば必ず之を摘録し積んで册(さく)を成す、知己某之を知り、
徒(いたずら)らに蔵して空しく蠧魚の餌と爲すを惜み、勸(すす)むるに上梓(じょうし)の事を以てす、
依って熟(つくづく)を惟(おも)ふに世間如斯(かくのごとき)の類書頗(すごぶ)る尠(すくな)く志士の不便甚(はなは)だしからむ事を慮(おもんばか)り、推敲(すいこう)半(なかば)にして未だ完壁に非(あたわら)ざるを省(かえり)みず、

敢(あえ)て江湖の急需に應(おう)ずることとせり。其(そ)の名臺灣風俗誌(たいわんふうぞくし)と稱(しょう)し、
單に本島の風俗を描きたるのみなるが如き觀あるも。其の意蓋(けだ)し矯風正俗(きょうふうせいぞく)に在り。読者幸(さいわい)に之れを諒(りょう)せよ




  著者識

 


夢判断 第二 地理山石樹木の夢の部

2015年09月03日 | 台湾風俗誌


第二、地理山石樹木の夢の部

2-1 地震あるは官位を移して吉なり

2-2 地裂けるは疾病ありて大凶なり

2-3 田地を開拓するは大吉なり

2-4 地高くして平らかならざるは病あるの兆

2-5 石に臥するは大吉なり

2-6 地中黒氣あるは凶なり

2-7 盤石を夢むるは安穏憂いなきの兆

2-8 巌上に登るは官職移るの兆

2-9 手に小石を弄ぶは貴子生まれるの兆

2-10 自身土を採るは恥辱を蒙ふるるの兆

2-11 山に登りて土を落とすは位を得るの兆

2-12 山に登って怕るは禄位を得るの兆

2-13 山に登って土壌を崩すは凶なり

2-14 高山に遊ぶは春夏に於いては吉なり

2-15 池の辺りに近づけば痒患を避くるの兆

2-16 高山に住するは喜事あるの兆

2-17 山に往いて財を得るは富貴の兆

2-18 物を抱いて山に登るは貴子を儲く

2-19 山中に耕耘するは衣食裕かなるの兆

2-20 枯木再発するは子孫興るの兆

2-21 堂上地陥(へこ)むは憂いなし

2-22 園の草木繁茂するは大吉なり

2-23 樹木枯死するは居所定まらず

2-24 林中に座し或いは臥するは病癒えんとするの兆

2-25 樹木淍落するは主人凶あるの兆

2-26 林中樹生ずるは貴子を生むの兆

2-27 樹木を植ゆるものは大吉なり

2-28 大樹に上るものは名聲挙るの兆

2-29 樹に上って忽ち下るは死傷あるの兆

2-30 人に花を與ふるは別るるの兆

2-31 枯木花を開くは子孫興るの兆

2-32 大樹屋上に落つるは吉なり

2-33 樹堂上に生ずるは父母憂あり

2-34 大木忽ち折るるは凶なり

2-35 水を擔ぎ来るは財を得るの兆

2-36 大樹を伐るは多くの財を得るの兆

2-37 草木茂盛するは家道起るの兆

2-38 門中果樹を生ずるは子生まれるの兆

2-39 松屋上に生ずるは位三公に至るの兆

2-40 家中松を生ずるは移転して豊かなるの兆

2-41 家中柏を生ずるは大吉

2-42 庭前に竹木あるは喜び重なるの兆

2-43 楓屋下に生ずるは百事遂ぐるの兆

2-44 蘭庭前に生ずるは孫生まるるの兆

2-45 果林の中を行くは財を得るの兆

2-46 果園の中に入るは大に財を發するの兆

2-47 桑、井上に生ずるは憂あるの兆

2-48 棗(なつめ)多く熟するは子孫平安なり

2-49 筍折るるは家女子を産むの兆

2-50 筍を見るものは子孫繁栄を添ふるの兆

2-51 地を箒き糞を掃除するは家頽るるの兆





台灣風俗誌 夢判断

2014年11月30日 | 台湾風俗誌
台灣風俗誌第10集
第1章 台灣の巫覡(フゲキ) 夢判断


898~901ページ




夢判断

夢に付いては精神の異状の部に詳述せるを以って今茲に贅せざるべし然して本島人が夢は必ず何等かの前兆なるべしと信じ居るものにして一夜夢みるときは必ず之を考ふ若し己れの能力にて判断する能はざるときは学者先生又は朴卦先生の判断を請ふ 先生は古人の夢の有名なるもの即ち林誌の夢、武丁の夢、周の太公望の夢、鄭文公の妾の夢、始皇の夢、沛公の夢、韓信の夢、李白の夢等有らゆる夢の故事を温ね尚ほ相當するものになるときは左の数頁に依て判断す朴卦先生は易卦より判断し或いは又左に依て判するものなりと云ふ







天及び日月星辰の夢の部



1-1 紅天開けたるときは、貴人の推薦あり

1-2 天皇光身を照らすときは、疫病なし

1-3 天晴れ雨散するときは、百憂去る

1-4 天明らかなれば婦人貴生む

1-5 天紅ければ必ず兵起る兆なり

1-6 犬に乗りて天に昇れば富貴となるの兆なり

1-7 天に昇って妻を覔(もと)むれば児女誉れあり

1-8 天に昇って物をとれば位王侯に陞(のぼ)る

1-9 天に飛び上がれば富貴となれる兆にして大に吉

1-10 天に昇り且つ家に登れば高官を得るの兆なり

1-11 天裂くるは國分かるゝの憂あり

1-12 天の星辰を夢むれば明主公卿至るの兆なり

1-13 天将に暁ならんとするものは益々寿命長し

1-14 天河を渡るは大吉なり

1-15 天地合するは希望總べて成る

1-16 天神の使い至るは大吉祥なり

1-17 日月始めて出づるは家庭盛なり

1-18 日月身を照らすは高位を得

1-19 日月落つるは父母殁する憂あり

1-20 日月闇ければ妻孕み且つ吉なり

1-21 日月の出でんと欲するは官職を得

1-22 日月會すれば妻に子ある兆しなり

1-23 日月山を啣むは奴、主を欺くの兆

1-24 日月を抱き或いは負うは貴子王子出づるの兆

1-25 日月を呑むは貴子を産むの兆

1-26 日月を禮拝するは大吉にして且つ昌なり

1-27 日日光星に入るは官位至るの兆なり

1-28 日出でて光りあるは好事あり

1-29 雲開けて日出づるは凶事散するの兆

1-30 星月を拝し香を焚くは大吉なり

1-31 雲忽ち日を遮るは陰かに私あるの兆なり

1-32 星を釣るは病あるの兆なり

1-33 星竝び行くは主人を添ふるの兆

1-34 星を取るは富貴となるの兆なり

1-35 流星落ちざるは主人居を移すの兆なり

1-36 天を巡りて星に擵るは位公卿に昇るの兆

1-37 雲四方に起こるは交易吉なり

1-38 雪身體に落つるは萬事成るの兆

1-39 雲霧物を避蔽するは大吉なり

1-40 雪體を濕さざるは喪あるの兆なり

1-41 雪家の庭に落つるは葬あるの兆

1-42 陰雨晦暗は凶事の兆なり

1-43 雷𩃀鳴るは官位昇身の兆

1-44 雷聲人を驚かすは居を移して吉なり

1-45 雷、地震共に至るは志遂ぐるの兆

1-46 雷光身を照らすは嘉慶あり

1-47 赤虹を夢みれば吉なり

1-48 黒虹を夢みれば凶なり

1-49 霞天に充つれば萬事喜びあり

1-50 狂風大雨は人死亡するの兆

1-51 風人の衣を吹くのは疾病の兆

1-52 忽ち大風あるは國に號令あるの兆

1-53 風吠ゆるが如きは主人遠きより信あるの兆



第二、地理山石樹木の夢の部

2-1 地震あるは官位を移して吉なり

2-2 地裂けるは疾病ありて大凶なり

2-3 田地を開拓するは大吉なり

2-4 地高くして平らかならざるは病あるの兆

2-5 石に臥するは大吉なり

2-6 地中黒氣あるは凶なり

2-7 盤石を夢むるは安穏憂いなきの兆

2-8 巌上に登るは官職移るの兆

2-9 手に小石を弄ぶは貴子生まれるの兆

2-10 自身土を採るは恥辱を蒙ふるるの兆

2-11 山に登りて土を落とすは位を得るの兆

2-12 山に登って怕るは禄位を得るの兆

2-13 山に登って土壌を崩すは凶なり

2-14 高山に遊ぶは春夏に於いては吉なり

2-15 池の辺りに近づけば痒患を避くるの兆

2-16 高山に住するは喜事あるの兆

2-17






















つづく

臺灣人のことわざ。日臺対譯(対訳)焼餅焼

2014年11月25日 | 台湾風俗誌
俚諺(ことわざ)
[や]「焼餅焼き:やきもちやき」

三禮拝六點鐘 サイレエパイ ラクテアムチェン(撈醋矸)(食醋)

臺南重慶寺に昔一箇の醋甕あり妻妾愛衰ふ時、此寺に詣で醋甕を攪拌し祈る時は他女を病ましめ
愛を恢復することを得ると迷信し居れり是より宿六の胸倉を取るを食醋と稱し、
又撈醋矸と云ふ三禮拜云々は一種の謎なり云ふ心は三禮拜は三週間即三七、二十一日、
二十一日は即廿の字、六點鐘は一時二時未刻、三時四時は申刻、五六時は酉の刻なり依て酉に昔は即ち醋の字なりとの意にて醋燒鉼燒の簡稱なり


676ページ 台湾風俗誌 第八集 第1章より



そして、521ページ
第七集 第1章 臺灣人の怪談奇話 第40節に同じことが書いてありました。

「重慶寺の酢瓶」
重慶寺は臺南市重慶寺街にあり、元基本堂に一個の醋瓶あり、此の醋瓶は放蕩を止めしむるに効ありと云ふ、
例えば夫が蓄妾をなし其妾を愛して正妻を疎んずるが如きことあるときは、正妻は此の重慶寺に詣で焼香焼紙の後、本堂の本尊千手観音に祈願し、夫の心を挽囘せられんことを祈り、而して箸を以って其の醋瓶を攪拌すること二三囘、斯くん詣っる二三日にして不思議にも夫の心變り、其の心正妻に傾くと云ふ、今臺灣語に撈醋矸ラオソオカヌ「嫉妬」なる語は之より出づと云ふ。

昔新港社別婦歌。 ( 生蕃の歌 第四集 第2章 第18節)

2014年11月22日 | 台湾風俗誌
昔、新港社別婦歌

馬無艾幾喇。(マアブウカイキイラア)
唷無晃米哰。(イオクブウコンミイアイ)
加麻無知各交。(カアマアプウテイコクカウ)
麻各巴圭里文里文蘭彌勞。(マアコクパアケエリイブンラヌミロオ)
查美狡呵呵孛沈沈々無晃米哰。(サアビイカアアアフツテムイオクブウコンミアイ)
爰如眞落圭哩其文蘭。(オアヌズウシヌロオケエマイキイブヌラヌ)
査下力柔下麻勾。(サアハアリヨクジウハアマアコオ)

我愛汝美貌之意
不能忘
實々想念
我今去捕鹿
心中輾轉愈不能忘
待捕得鹿
囘來便相贈



歌の意は、
我常に汝が美貌を愛す、忘れんとするも忘る〃能はず、実に之れのみを思ふ、
我今去ひて鹿を捕へんとす、而も心中輾轉として愈愈忘るる能はず、女よ鹿を捕へて来るのを待て、帰り来れば必ず女に贈らん

臺灣音樂について(近森出来治さんの記事引用)

2013年12月30日 | 台湾風俗誌
300p 臺灣風俗誌第4集 第一章 臺灣の音樂

第八節 後場樂(アウチウガク)



後場とは演劇の囃子方及び僧道士等が読経の際後方に在って読経に合わして奏する音樂を後場と云ふ

演劇後場(演劇の部参照)は演劇の後方に在って五、六人の人鶴絃(ホオヒエヌ)、絃仔(ヒエナア)、拍鼓(ビエクコオ)大鑼(トアロオ)、小鑼(シオロオ)、大鼓(トオコオ)、叫鑼(キアウロオ)、喇叭(ララペエ)、拍板(ピエクバン)等を用ゐて北官大曲を奏するものにして、劇題により其譜其樂器用不用ありて同じからず、例へば前舞臺は戦場を演じ、後舞臺は祝慶場、次は政應場、悲嘆場、滑稽場となる等其變化速やかなるが故に樂器の用不用あるものなり、又演劇の歌及び譜全部を掲ぐるは甚だ困難なり、今劇題空城計(カンシアケエ)なるものの句及び譜の一端を掲げて一興に供す、此劇は孔明が一人城中に在って三萬人の司馬懿の大軍を追ひ返したりと云ふ筋書きにして、始め大兵城を圍むも、孔明一人泰然として酒を置き、左の琴譜(キンフ)を弾し悠々唱歌し居りしを以って、寄手の大将司馬懿必ず謀計ありとなし、戦はずして退却せりとの筋書きを演じ、音樂に合はして唱歌するものなり、今一節を挙ぐれば左の如し



琴譜

上五五。五六五。五六五。上工。工六五六五。六五六五六五。六五六五六。上尺六五六五尺。四四五尺。六五六五尺。四四五尺尺。五尺尺。上尺五尺上尺。五尺五。尺五尺上。五尺上。尺五尺上。尺上尺五。尺五尺上尺尺工六尺上尺



(孔明唱歌官話にて)

我 本 是、南陽一山人前三皇、此故同行、先 帝爺、下南陽、御駕三請、官封我武郷候、國位的功臣、孫 武 予 他 則 有、雷砲的行兵(以下演劇の部筋書きの條に続く参照すべし)



以上の如くなるも臺灣劇は唱歌及び言葉の多くは官話なれば、臺灣人之を観聴くも明らかに解するもの尠く、又演劇者も奏樂者も誤訛多き語を用ふるを以って益々其何の意なるを解するに苦しましむ、左の一句を校書先生の帳簿より抄出すれば「我本是、南陽散淡的人⁉︎、學陰陽、如反掌、保定乾坤、先生爺、在南陽」と如此種々誤訛あるを見る、故に観る者聴く者多少文字ありて、一度筋書又は小説を見たる人に非らざれば正解をなすもの尠し。





尚ほ支那音樂及び演劇に付いて近森某なる人あって或新聞に發表せられたることあり、今其一部を掲げて讀者の参考に供す、曰く『支那芝居に行って見ると唯もうジアンガラ〃と何時も唯單調な同じ曲節を繰り返して居る様に聞こえるが、更に之を深く研究して見ると決して左様に單調ものではない、中には中々可憐な旋律所謂「メロジー」も少なからず發見される、音樂専攻者に取っては誠に得る所が多いが、然し一般の人々にはどうであろうか、或いは新聞紙上の讀物としては餘りに専攻的に片寄りすぎはしまいかと懸念されるが、試みに研究した其の一端を御話して見よう。



一體音樂を研究するには種々の方法がある、即ち歴史的に研究するものと理論的に研究するもの等色々あるが自分は多く之を技術的方面から研究したのである、即ち支那音樂の色々のものを譜に書く事を主にやったので、其の研究したものを紹介しようとするには何うしても演奏し乍ら之に説明を加へ又意見を附して行くと云ふ様にしなくては決して十分には出来ない、若し強いて之を書かうとするには多くの楽譜を挿入するの必要があって、印刷などに非常の困難である、斯様な譯で只概略を抽象的に話して見ることになるのは止むを得ない。

あの「ジアンガラガン」の支那音樂も前述の如く唯單調なる一種や二種の曲節を始終繰り返して居るのでは無くて實は色々の區別がある、先づ之を分類して見ると崑腔(ホンチャン)、西皮(シィピイ)、二簧(アルホワン)、梆子(ホウス)、絃子樂(シエンツヤヲ)と云ふ重なるものが有って此外に俚謠童謠小唄の如きものがある、崑腔(ホンチャン)、西皮(シィピイ)、二簧(アルホワン)は其昔揚子江に於いて発達流布し、又梆子(ホウス)は黄河の沿岸に於いて発達したもので、此の二大流域に群居している二大民族には以上の如く各々特別の樂風が漂ふて居たが、近来は(と云っても餘程遠い昔より)東西混交して殆どこの區別がなくなった、支那人に言はせると南方物たる 崑腔(ホンチャン)、西皮(シィピイ)、二簧(アルホワン)は最も高尚なるもので、北方物たる梆子(ホウス)は淫聲であると云って卑下する。

此内崑腔(ホンチャン)は近来一向に流行しない、只少数の南方人がやる位のことで、北京などに於いても之を奏するものは一寸得難い位である、其の樂想如何にも古雅なものであって今日の人の耳には適しない、丁度日本の雅楽である、日本の雅楽も元来支那や朝鮮から渡来したものであることから考えると、此の支那の崑腔(ホンチャン)が傳はって其の後その儘別にに手を入れないで宮中や神殿樂となって殘つたものではあるまいかと思はれる、此の崑腔(ホンチャン)は勿論劇には用ゐない、歌ふ時には笛を用ゐ、稀には琴にも用ゐる事がある。



劇に上ぼせたる時に於いても、西皮(シイピイ)や二簧(アルホアン)は一般に高尚である、古の軍談に關するもの、或いは孝子節婦を賞揚したるものなどを主に其筋として居て、勧善懲悪と云ふことが眼目になって居るが、梆子(ホウス)となると謂ゆる世話物、滑稽物などが主で、品位はずっと落ちる、此両者の関係は丁度西洋音楽のグランドオペラとコミックオペラとの関係に似ている。



次に絃子樂(シエンツヤヲ)は支那の三絃樂である、之は劇中(絃子劇)の曲節又は民謡中の或物を絃子(シエンツ)(日本の三味線と略々同じ)にて奏するのである、

その中には八板(パアバン)、太鼓(タァクウ)、時調(シイチアヲ)などがあって、普及の程度から云ふと殆ど支那民樂の大部分であると云ってもよい、以上が支那樂の主なるもので、更に各地の民謡小唄類がある。



支那樂は無論聲樂本位であって、樂器と稱すべきものは殆どない、之は幼稚なる音樂に於ては世界中何れの國の音樂でも皆左様である。

日本などでも其の通りで聲を差し引きしては殆ど音樂にならない。

さて其の支那音樂の聲と云うのが如何にも珍妙である、甲ン走った高いキイキイ云ふ聲謂わゆる頭聲(ヘッドボイス)である。或人が余に支那人はなぜあのやうな高い金切聲を出すのであらうかと云ったことがあるが、なぜと云っても別に理由のあることではない、只それが習慣でその聲色を愛するのであると云ふより他はあるまいと思ふ、恰も日本の或る種の音樂特に浪花節などの如き語り物に於て、喉を引き〆て鵝鳥の首をしめたような聲を出して之を面白いと考えて居るのと同じである、支那人の此の珍妙な聲に就いては色々の説をなす者かあるが何れも採るに足らず、自分は堅く此の自己の意見を信じている、此の聲の性質によりして支那樂に於いては小供の聲(變聲期前の)を尊ぶ

、従って小供にして歌謡に秀でたものが多い。次には是等の歌に合はせる樂器に就いて少しく延べてみよう。



崑腔(ホンチャン)に於ては横笛を多く用ゐ、また稀に七弦の琴をも用ゐる、

西皮(シィピイ)や、二簧(アルホアン)に於いてはその中心となる樂器は呼琴(ホウチン)である(例の胡弓なり、日本に於いては提琴と云っている)

梆子(ホウス)に於ての中心樂器は呼々(ホウホウ)と云ふのである、胡琴と呼々とは一見同じものの様であるが、胡琴は恰も柄杓の如く其の胴が竹で作ってあり、呼々は胴が椰子の実で作ってある處にその差がある、此の差異により音色は無論異なって来る、両者とも二弦であって何時でも其の調子は符の関係に合はせる、日本の三味線の二上りと同じである、世界中何れの國の樂器でも餘り進歩しない間は大概 此の調弦法である。

絃子樂(シエンツヤヲ)に於いては中心樂器は勿論絃子(例の支那の三味線)である、此の絃子は日本の三味線と其の形状や持ち方は同じであるが其の他は大分異なって居る、日本の三味線とは大變な相異である。

又彈ずるには指先に爪をはめてする、恰も日本の琴を弾く時の様である。

胴には蛇皮を張る、弾く時には爪で弦で弾くのであるから全く絃の音のみが響く、日本の三味線は絲を弾くと同時に胴の太鼓を打つから絲の音と太鼓の音とが同時に響くが、絃子(シエンツ)は胴は唯僅少の共鳴をなすのみである、また棹が日本のよりは長い、之れは支那人が大きいからである、支那に於いては此絃子と胡琴とが最もよく普及された樂器である。

以上は各種の音樂に就いて其の中心となる樂器を述べたのであるが、劇の時は勿論其他の時に於いては正式から云へば此の中心樂器の外に尚種々の樂器を用ゐる(崑腔:ホンチャンは然らず)即ち鑼:ラ(大きな皿の如き真鍮製のかね)、鼓:クウ(大小とあり)、少鑼:ショウラ(小さき鑼)、鉢:ボウ(大小ともあり日本で云う妙鉢、西洋のシンバルなり)、唐鼓:トンクウ、板:バン、月琴:ゴエチン、索:ソウアン、笛:チウあり、この中 鑼、少鑼、鼓、板等の音響が例の支那樂特異のヂャンガラガンと響くのである。



以上に於いて支那樂の大別を述べ、更に何れも聲樂である事と其聲樂に合はせる樂器に就て概略を説明した、されば次に斯くして出来上がる支那樂の一般的説明及び批評を試みねばならぬ。

概して云へば支那音樂は勿論餘り進歩したものではない、一體音樂の本質から云へば現今に於ては西洋音樂は世界中一番進歩したものである、支那は音域の狭小なる點に於て、和聲を缺く點に於て、従って壮重とか雄大の想なき點に於て、且つ曲節の變化少なき點に於て、泰西のそれには及ばない、即ち



⚪︎音域 其の音樂に用ゐられている音の区域であるが、支那樂は聲樂のみであるから、其の唱ふ曲節も又之にに合わせる樂器の音も、ほんの程よい部分のみの音を使用してるに過ぎぬ、西洋のピヤノとか絃樂器とかの如く擴大な區域に亘って居らぬ、之が一般に

樂想が小さく且つ變化に乏しくなる基である。



⚪︎和聲 高さの異なった音を同時に響かせてその間相互の饗應するのを和聲(ハーモニー)と云ふ、支那樂には之れが缺けて居る、故に壮重とか雄大とか云ふ如何にも大きい洋々たる想が現れ得ない。



⚪︎變化 曲節がどちらかと云へば變化に乏しい、色々さまざま異なった感想を現はさんとして用ゐてある曲節が、その感想の異なるが如く變化されてゐないのが多い、随って単調に傾き謂わゆる千篇一律と云ふ嫌いが一般にある。



更に遺憾なるは一體に樂が悲調である、どうしても人心を引き立てると云ふよりは悲しませる打ち沈ませると云ふ事である、故に曲節には『あゝ綺麗だ』とか可憐であるとか云ふのは多いが、寧ろ積極的に悲哀に沈める人を引き起たせるとか、元氣を鼓舞して民心を向上せしむるとか云ふことは一寸望まれない、此點は我等の大に考慮すべき所で、只単に支那樂にのみ限っては居らない。



斯くの如く、西洋音樂に比較しては殆んど形なしであるが、又或點から見ると、日本樂などよりは餘程西洋樂に近い所がある、即ち原則として歌手と弾き手とが區別されて居ることや、絃樂(コンロン)に於いて弾く時にその胴をトントン打つことのなきことから、更に劇となると、もうもうまるで西洋のオペラそっくりである、舞臺に立った役者はその所作よりは唱歌本位である、或思ひを相手に傳へんとする時には立派なるメロヂーをなせる曲節で其心を歌ふのである、又言葉の所でも普通の對話風でなく、餘程曲節ある白(セリフ)即ち西洋のレスタチーヴと云ふのをやる。

されば支那劇は殆んど述べつ幕なしに樂器が響いて居るのと同じである、劇の筋がどちらかと云へば餘りしつこくなく長くない一幕物が多く、長くても三幕位のもので、此點もオペラとよく似て居る、こんな譯で唱歌が主で所作が少ないから舞臺なども狭い、劇場に入るのは観客でなくて聴客である、俳優は即ち立派なる聲樂家(シンガー)である、實に西洋のオペラその儘である。



附言 余の立場から云ふと、歌ふことや弾くことを抜きにした抽象的の音樂論は誠に物足りなくてならない、此篇に於て是は何々彼は何々と云ったことを實地樂器に就いて弾いたり見たり又唱つて見たりして、すべて具體的は他日同好の士と研究する機會の来たらんことを希望する』云々

次に

僧侶、道士等の後場に用ふる樂器は太鑼(トアロオ)、叫鑼(キアウロオ)、喇叭(ラウペエ)、鼓仔(コオアア)、鈴(リエン)、鐃抜(ニアウボアツ)、木魚(ボクヒイ、鐘及角製の管等の樂器を用ゐて合奏しつゝ読経又は唱歌をなすものなり、其の譜及び文句は甚だ長くなるを以って之を省略す(和尚の歌参照)





空城の計

http://ja.wikipedia.org/wiki/空城計



近森某氏(近森出来治)

http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/kochi/feature/kochi1342187561557_02/news/20130201-OYT8T01417.htm



『新選樂府』近森出来治 著

http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/902577




台灣風俗誌が参考にした文献

2013年08月01日 | 台湾風俗誌
これは、台灣風俗誌の文中に記載された引用文書です。見落として、他にももっとあるかもしれません。
文末の数字はページ数です。

何度か登場する「読書先生」とは、憶測でありますが、伊能嘉矩さんの事では無いだろうか?
それとも台灣の古老、趙鍾麒さんの事でしょうか??





「白虎通」
第1集 第1章 第12節 双児 :6
第2章台湾人の結婚第1節同性を娶らず:18
第3節 姫嬪:19

「台灣舊慣記事」
第1集 第1章台湾人の出産 第25節 壽ノ祝:12
第6章第1節 纏足:109-110
(「墨荘漫録」:110)
(「道山清話」:110)
(「南史」:110)
(「陔餘業考」/趙翼:110)
(「畵譚雞肋」/仲山高陽;安永4年:110)

第11節 悪口:119
第24款 火 (11):789
清明及冬至の墓参:851
第2節 蕃人の魂魄に対する観念及迷信 死霊は神となる :857
第10集第2章 驅邪及招福 『群談採餘第五 僧梵部』(簐簛乙) 957

「(舊)とのみ書かれた文献」
第9集 第1章 臺灣人が自然的現象に対する観念及び迷信
第5款 太陰 (5)(6)(7)(8):764
第9集
呉還魂:866
鬼官人:866
鬼火及び光り物:867
第10集 第1章 第5節
(日師、星師一名看命、地理師、相命、観氣色:878)

「舊志」
:784

「臺灣奮慣調査會の報告」
台湾人の日用文字其他ー贌ー :270
第8集 第3章 臺灣蕃人の口碑 :722
第10集 第1章 臺灣の巫覡 第2節 童乩及び童乩の由来 :872
童乩と坐禁 :875

「土地登記規則註解の釈義」 :270

「臺灣聖廟考」台湾人の音楽ー聖楽ー :280
「支那音楽及び演劇について」
(新聞に発表した記事 )近松某(秋江?) 台湾 の音楽 :300


「女皇氏傳記」
第2章第1節:19

「禮記婚義敍言」
:19

(春秋)「左伝」
第2章第1節、第2節 :19

「歳時記」
第4章年中行事、:48

「臺灣縣志」
第1章第33節 郷黨相助 :171
第10集第1章臺灣の巫覡 第1節巫覡の意義:869

「臺南聖廟考」臺灣の音楽 /聖楽 :280

「天然足會會報」臺灣の雑念/:340

「四書、詩經、西廂、唐詩」大人の謎/:414

「文選、漢書、史記」 第6集 第1章 台湾人の一口噺-書低し:457

「詩經、書経」 一口噺 -経門:457

「古槐書院業書」
第7集 第1章台湾人の怪談奇話 第49節 劍潭:524


「淮南子」「封神演義」「五才子(水滸伝)」
第9集 第1章 臺灣人が自然的現象に対する観念及び迷信 :769

呉徳功 「載案紀略」:775

第9集 第1章 臺灣人が自然的現象に対する観念及び迷信 第6款 :769
「臺南縣誌」:782
「臺灣紀略」:782
「雲林朱訪冊」:783
「古橘岡詩序」:784
第3章 台湾人が鬼怪に対する迷信
第1節 魑魅魍魎に対する観念及び迷信
「臈瑪蘭廳志」海和尚:858

「臺灣府志」
第9集 第1章 臺灣人が自然的現象に対する観念及び迷信
第22款 山岳(14):785
第24款 火 (11):791

「稗海紀遊」
第9集 第1章 臺灣人が自然的現象に対する観念及び迷信
第4款 太陽 (9) :761
第4款-10:762
第4款-11:762
第4款-12:762
第4款-13:762
第8款 雨:773


「赤嵌筆談」
:773
「彰化縣志」
雨:773
水:797

「読書先生」
第9集 第1章 臺灣人が自然的現象に対する観念及び迷信
第5款 太陰 (3):764
第9集 第1章 臺灣人が自然的現象に対する観念及び迷信
第22款 山岳(14):784

「澎湖島志」
水:796

「鳳山采訪冊」
第1章臺灣人が自然的現象に対する観念及び迷信 第22款
山岳:769-784
水:797


「宋周惇頣」 :952

石敢当について
「姓源珠璣」 :956「徐氏筆精」 :956「西漢史游」 :956
「顏師古」 :956

第10集第2章 驅邪及招福
爆竹について「該聞録」 :960
金紙銀紙について「新唐書王嶼列傅」 :960
黄飛虎について「封神傳」:961

付録
木瓜:1139
「爾雅及周禮」 「晋官閣」
波羅蜜:1141
「台灣府志」「赤嵌筆談」
釈迦頭:1142
「沈光文の詩」



第1章 台湾人の出産

2012年06月12日 | 台湾風俗誌
台湾風俗誌 第一集

第一章 台湾人の出産




第1節 病囝 (ビイキア)つわり

婦人懐胎の始めを病囝 と称する、これ内地(日本の事)の「ツワリ」なり、病囝 婦人の身体生理状態は内地婦人のツワリと異なるところは無く、唾液は頻りに出て酸味を欲し時々頭痛あり、又悪寒嘔吐を催し、心気万事に懶き等皆同じ。



第2節 迷信

病囝 より臨月に至るまでの間、衛生上の注意としへて別に記すべきことなし、ただ迷信的注意が二三あり、胎児は胎神(タイシヌ)なる神の支配を受け居るものなれば、若し此の怒りに触る時は胎児を奪われると云う。
この胎神は妊婦の居住する家屋内に在りて或時は箱、或時は桶、籠などいずれの所に居るや一定せず、もし不知の間(知らない間)に妊婦が此らに触る時は、胎神怒りて妊婦を病ましむ、此時妊婦は道士と称する祈祷者を呼び来り、「安胎」(アヌタイ)と称する祈祷をなす、道士は病囝 者(妊婦の枕辺)にて鉦笛を鳴らし数時間にわたって読経した後ち符(フ)と称する呪文を書きたるものを床柱或いは門柱に貼布し、尚お呪文を唱えつつ、湯または水を飲ましめ、之を以って胎神去り、胎児安全を得たるものとなす風習あり、
又「換斗」(オアタウ)という語あり、これ己に懐胎せる胎児を祈祷の結果女の子または男の子に変胎せしむるものなりと云う、その方法は先ず「青瞑」(セエメエ)と称する盲目の祈祷者又は、道士に請い、米桝に根ある芙蓉花を植え祈祷者と共に神廟に持ち行き、牲醴香燭を供え、道士神前にて読経し、婦人はその傍らに香を焚き紙を焼き(銭紙と称するもの)三跪九拝し心中に換斗(変胎)を祈り、数時にして家に歸る。これより三日間室内に於いて祈祷を繼續し、のち芙蓉花を庭前に植え以て變胎し終わりたるものなりと言う。
此時詣づる廟は臨水婦人廟(リムツイフジンビオ)又は「註生娘娘」(ツウシイニウニウ)の廟にして此れ等の神は胎児を授けるの神なりという。
妊婦室内に於いて物品を縛する時は手足灣曲せる俗に茗荷児(ミョウガジ)なるもの生ず、又剪刀を以て挟む時は無耳児(ムジジ)生じ、錐(きり)又は針にて物を貫けば盲目児(モウモクジ)、物を焼けば焼爓児(ショウランジ)、傀儡戯(クワイライギ)を観れば無骨児(ムコツ)、牛を牽く縄を跨ぐ時は12ヶ月にして児生まれ、喪家の演出したる芝居を観れば不吉なりと言う、又夜間外出すれば黒虎神に触れ必ず凶あり、盂蘭盆会(ウラボンエ)の時妊婦の腰桶を庭前に露出する時は普度公(ポオトオコン)の怒りに触れて凶あり。死人の棺に触れるれば、児夭折(ジヨウセツ)すると云う(其他迷信の部参照)



第3節 男子系統主義

何れの国の人と雖も出生を慶び、子孫を愛し、其増殖繁栄を希うは人類の通情なり、特に支那人種に於いて甚だ深きものあり、其亜流たる台湾人に於いて又異なる所なし、之れ古来より宗桃継承及祭祀(ソウテイケイショウサイシ)の制度を重んじたるに起因すべきも亦原則として系統主義にしてその系統に非ざるものは其宗桃(ソウテイ)を祭を得ず且つ男系主義にして宗を承け祭りを繼ぐものは必ず男子なり又嫡長主義にして長を尊び幼これに次ぐ又直系主義にして父の後を襲うものは子、子の後を襲うものは孫ならざるべからずと云うに起因するものなるべし、そうして婦女懐胎するときは常に孕婦の身体を安静にし精神の異常の感動を與へ身体に過度の勞を与うる如きを戒む、昔は儒教の教義により胎教と稱し、古人の教育を重んじ、胎内に在るときより已に其端を開く教育、即ち挙止端正に其見聞する所悉く禮(レイ)に合わしむる等の事ありしも今の台湾に於いては見る能はざる事なり。



第4節 臨月

臨月に近づけば産婦の房中は介抱の婦人のみ出入りし他人の往来を避けるものとす、但し下流の婦人は朝に田野に出で、夕べに家に帰るを常にするを以って以上の禁を守る事なし。
本島婦人の子女を産するに二様あり、一は眠床(ビヌツン)に於いてし、一は床下に於いてす。中流以下は多く床下に於いてなすものなり、床下に於いてなすモノは先づ床上に草蓆(ござ)を敷き更に破れたる布褌を重ね上に油紙を布きてなす、床外(ショウグワイ)に於いてするものは床外に枯草又は藁を布き産褥となし傍らに「子桶」(キアタン)と称する桶を置き臨産の時床より下り産褥に移りて産し汚物はこの桶の内に収む。
臨月に当たり突然腹痛起こり、或いは止み、或いは起こり、1、2日乃至4、5日にして胎水来たり腹痛止まざるものあり、之を弄産(ラヌサヌ)と云う、又臨産の一ヶ月前突然腹痛起こりて未だ出産せず、之を「試産」(チイゴエ)と云う如此き時は土人は十三味(ザプサアビイ)、又は成化湯(シエンホアタン)と
稱する安産の薬を用ふ



第5節 臨産

臨産に至れば産婆(只産に経験のある婆)及び近隣の婦女二三人産婦両肩及び腰辺を扶翼し、産婆は兒の出ずるのを待って手を以って之を接受し臍帯を断ちて布に包む、一面傍らの人、産婦を介抱し床上を清め産婦を被(ポエ)(布団)に靠らしむ、この時四壁風の入るの出ずるを防ぎ、力めて安静を保たしむ、産婦は逆上其他眩暈に陥り易きを以って酢を焼き之を嗅がせしむこと一日数回す、又未だ食物を取らざる幼児卽乳児の溺,(いばり:尿の事)に熱湯を混ぜて飲ませる、
之は精神を興奮して血暈にかからないようにする為の豫防(よぼう)なり、之を安胎薬(アヌタイイオ)と云う、又は人参を用いるものもあります。




第6節 産婆

産婆は「拾囝婆」(キノキアポオ)又は「收生婆」(シウシポオ)と云ふ、技術なく、免状なく、僅かに經驗あるものの之をなす、但し近来臺灣各地の醫院に於て助産婦(土人婦女)を養成しあるを以って将来大に區別あるを見るべし



第7節 胞衣

胞衣は瓶に収め紅紙を以て密封し庭隅又は宅前の畑中に埋む、若し火の為め焼くる(野焼ケ等)ことあらば其兒必ず火の為に死すとす云ひ又初産の臍帯を保存し置き他日成長の後他人と訴訟するに際し之を帯び行けば大膽となり必ず訴訟に勝つと云ふ



第8節 難産

難産なるに遇えば家人外に出で槌にて地を打つときは胎児乍ち生ると云ふ、又天公祖(チエヌコンソオ)に「求苦求難キウクキウナン」と稱す祈りをなし、尚ほ出生せざるときは胎神の祟りなりとし道士を請ひ「催生」(ツイシエン)と稱する祈祷をなす



第9節 俯伏産

小兒出産の際俯伏し出でたるものは親及び親族に祟りをなすと云ふ(明治41年臺南南梓仙渓里二重渓庄陳水連の妻張氏糟なるもの俯伏産をなしたるを以て大いに之を恐れ嬰兒を厭殺し罪人となりたることあり)



第10節 死産

胎兒死産なるとき又は産後直に死したるときは死兒を水中に棄てざれば鬼(クイ:怪物)と化し祟りをなすのみならず将来子を孕まずと云ふ



第11節 難産の種類

難産に種々あり「倒産」即ち逆産は足より出ずるもの土人之を「倒蹈蓮花」(トオタアリエンホエ)と云ふ、又「倒産」あり即ち手より生ずるもの土人之を「担横生」(タンホアシー)又は「討鹽生」(タウイアムシイ)と云ふ、「偏産」即ち頭編して一方にあるものにして土人之を「担欹生」(タンキアシイ)と云ふ、「坐産」即ち臀部を露すものにして土人之を「坐斗」(セエタウ)と云ふ、頭正産なるもい臍帯肩に絆はるに因り出でざるもの土人之を「帯素珠」(トアソオツウ)と云ふ



第12節 双兒

双生兒の場合は先出を長とし、後出を幼となすと云ふ、蓋し白虎通に「男子先生ヲ称シ 兄ト後生ヲ弟ト云々」と
之れ同日に生まれたるときも亦通用するものなりと云ふ、又『昔腠公一生二女、李黎生、一生、一男一女、竝以前生爲長』と云ふ、本島に於いても之に則れるものなる可く一生三兒、四兒皆之に倣ふと云ふ




第13節 妻妾の兒

妻妾同時に出産したる時は妻出を長とし、妾出を幼とす、兩妾同時に出産したるときは前妾の出を長とし、後妾の出を幼とす、又神廟(シヌビオ)に至りを擲筶(ポアポエ)行ひ長幼を決するものもありと云ふ



第14節 産湯

兒生るれば直に布に湯を含ましめ其身體を拭ひ甘草、糖水を飲ましめ、産婦にいは桔餅(キツビア)と稱する柑橘の糖漬を與ふ、而して臍帯は4、5日にして落ち去ると云ふ



第15節 産後の式

産後産婦には紅花(薬名)肉、胡麻油にて煎りたる猪の肝臓、酒少量、糯米飯等を與へ身體を安静ならしめ、
而して産後3日に至れば産婆が来たり浴せしめ、後ち命名し、親族朋友来たり祝意を表す、古之を三朝(サムチャウ)の禮と稱し、種々贈物をなす、今之を為すと雖も産家は油飯(イウブン)、米𥼚等を作り之を各家に分ち、富家は祝宴を開くのみ、俗に之を「湯餅」(ツンビア)と云ふ



第16節 月內(ゴエライ)

産後一箇月を「做月內」(ソヲゴエライ)と稱し、豚肉、鶏豚の腎臓、肝臓及び素麺等を胡麻油を以つて煮、酒を加へたるものを與ふ、之れ衰弱及び貧血を囘復せしめんが為なり



第17節 満月 (モアゴエ)

生後一箇月を「満月」と称す、祖母小兒の髪を剃る(又稀に24孝を因みて24日に剃るものあり)先づ洗面器に水を入れ石一箇、銭12文、葱少々、鶏卵一箇を入れ、葱を砕き其汁を髪に注ぎ、頭髪に卵の黄仁(キミ)を塗り温めて之を剃る、蓋し石は頭部の速かに強堅とならん為め、銭は成長の後福貴とならん為め、葱汁は毛髪濃黒とならんむる為め、卵は胎垢(タイコオ)を去らん為めなりと云ふ、髪を剃り終わりて小兒を抱き戸外に出で「鶏箠」(ケツエ)と稱する割竹を於いて地を打ち左の童歌を歌ふ
肉鳶々々(バツヒオバツヒオ)、飛上山(ポエチウソア)、囝仔快做官(ギンナアコアイソオコア)、肉鳶飛高高(バツヒオポエコアコアヌ)、囝仔中狀元(ギンナアチオンナオンゴアヌ)、肉鳶飛低低(バツヒオポオケエケエ)、囝仔快做父(ギンナアコアソベエ)(鳶よ鳶よ汝飛びて山に上らば小兒もち大官にならん、汝飛びて高く上らば亦狀元とならん、汝飛びて低く下らば小兒も亦父とならん)
蓋し其小兒の将来を祝ふの意に出づ、若し女子ならんか只「肉鳶肉鳶」と云ふのみなりと云ふ
此日親戚朋友慶祝の為小兒の衣服、帽、履、銀牌、獅帽(鳳又は獅子の飭ある帽子)、又芭蕉、蝋燭、紅龜(アンクワ:亀の形の餅)、紅餅(アンビア:紅き餅)等を贈る之を満月(モアゴエ)の禮と稱す
産家に於ては菓物又は紅龜の其十分の八を取り、十分の二を贈家に返戻す、又別に油飯、(イウブヌ)米𥼚、(ビイコオ:砂糖を入れたる硬飯)を作り答禮す、産後一箇月に満たらざる間は決して外出せず、若し出づるときは神佛の怒に觸れ必ず病む、
之れ身體の汚れあるを以てなりと云ふ、家人も又其室に出入りせず、只掃箒の下婢及び食事を持ち運ぶもののみ其室に入るものとす



第18節 収涎(シウノア)

小兒産後4箇月に至れば産家より「収涎餅等」(シウノアビア)と称する菓子を製して各家に送る、蓋し小兒の涎を止むるの意より出づ、其他親族朋友の贈物は1箇月の際と略ぼ同一なり


第19節 週歳
小兒一箇年に至れば之を「做週歳」(ソオシウホエ)と云ふ(一に試し週うの禮と云ふ)卽ち第一囘の誕生日なり、此日親戚故来たり祝し書畫、筆、墨、紙等の十二種の物品を送る、此時小兒を正堂に連れて行き、祖先の神靈を拝せしめ、後十二種の物品を篩の中に入れ小兒をして之を取らしむ、第一に取りたるものを以て其兒の将来を祝するものとす、例えば筆、墨、書畫、雞肉、鶏腿、豚の肉、算盤、秤、銀、葱、田土、包布等にして 若し算盤、秤等を取れば商人となり、筆墨と取れば能書となり、鶏肉を取れば大食にて身體健全なり等の縁起を祝ふものなり
又此の日は最終の祝日なるを以て盛んに宴を張り人を招待す、若し初産なるときは生後十二日に於て盛んなる祝慶をなす















第6節 薬を送る 『送薬』

2012年03月15日 | 台湾風俗誌
第6節 薬を送る

醫士あり、居を遷す、乃ち四隣に謂て曰く、向來不如意にして、別物の呈すべきなし、各位に藥一帖を呈せんと、隣人辭するに病なきを以す、醫士曰く否な、我れ藥を服すれば、自然に病を發し來ると

あるお医者さんがお引っ越し。近所の人に挨拶に行く時、「どうぞ何も用意してなかったので、別に差し上げるものはございませんが、お近づきのしるしに薬を差し上げます」と医者
近所の人は「エー、別に病気じゃないから、要らないよー」と言った。
医者は自信ありげに「いやいや、大丈夫です。私の作った薬を服すれば、自然に病気がやってきます」これには一同顔を見合わせたとさ。


有一位醫生搬家、臨走時對鄰居説、『幾年來一直打擾各位芳鄰、為了答謝各位的應、特別奉送各位每人一副藥。』鄰居都沒有病、因此就辭謝不收、可是醫生𨚫說、、、『各位就先收下吧、因為你們吃了我的藥、以後自然會生病的。』