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日記。

臺灣音樂について(近森出来治さんの記事引用)

2013年12月30日 | 台湾風俗誌
300p 臺灣風俗誌第4集 第一章 臺灣の音樂

第八節 後場樂(アウチウガク)



後場とは演劇の囃子方及び僧道士等が読経の際後方に在って読経に合わして奏する音樂を後場と云ふ

演劇後場(演劇の部参照)は演劇の後方に在って五、六人の人鶴絃(ホオヒエヌ)、絃仔(ヒエナア)、拍鼓(ビエクコオ)大鑼(トアロオ)、小鑼(シオロオ)、大鼓(トオコオ)、叫鑼(キアウロオ)、喇叭(ララペエ)、拍板(ピエクバン)等を用ゐて北官大曲を奏するものにして、劇題により其譜其樂器用不用ありて同じからず、例へば前舞臺は戦場を演じ、後舞臺は祝慶場、次は政應場、悲嘆場、滑稽場となる等其變化速やかなるが故に樂器の用不用あるものなり、又演劇の歌及び譜全部を掲ぐるは甚だ困難なり、今劇題空城計(カンシアケエ)なるものの句及び譜の一端を掲げて一興に供す、此劇は孔明が一人城中に在って三萬人の司馬懿の大軍を追ひ返したりと云ふ筋書きにして、始め大兵城を圍むも、孔明一人泰然として酒を置き、左の琴譜(キンフ)を弾し悠々唱歌し居りしを以って、寄手の大将司馬懿必ず謀計ありとなし、戦はずして退却せりとの筋書きを演じ、音樂に合はして唱歌するものなり、今一節を挙ぐれば左の如し



琴譜

上五五。五六五。五六五。上工。工六五六五。六五六五六五。六五六五六。上尺六五六五尺。四四五尺。六五六五尺。四四五尺尺。五尺尺。上尺五尺上尺。五尺五。尺五尺上。五尺上。尺五尺上。尺上尺五。尺五尺上尺尺工六尺上尺



(孔明唱歌官話にて)

我 本 是、南陽一山人前三皇、此故同行、先 帝爺、下南陽、御駕三請、官封我武郷候、國位的功臣、孫 武 予 他 則 有、雷砲的行兵(以下演劇の部筋書きの條に続く参照すべし)



以上の如くなるも臺灣劇は唱歌及び言葉の多くは官話なれば、臺灣人之を観聴くも明らかに解するもの尠く、又演劇者も奏樂者も誤訛多き語を用ふるを以って益々其何の意なるを解するに苦しましむ、左の一句を校書先生の帳簿より抄出すれば「我本是、南陽散淡的人⁉︎、學陰陽、如反掌、保定乾坤、先生爺、在南陽」と如此種々誤訛あるを見る、故に観る者聴く者多少文字ありて、一度筋書又は小説を見たる人に非らざれば正解をなすもの尠し。





尚ほ支那音樂及び演劇に付いて近森某なる人あって或新聞に發表せられたることあり、今其一部を掲げて讀者の参考に供す、曰く『支那芝居に行って見ると唯もうジアンガラ〃と何時も唯單調な同じ曲節を繰り返して居る様に聞こえるが、更に之を深く研究して見ると決して左様に單調ものではない、中には中々可憐な旋律所謂「メロジー」も少なからず發見される、音樂専攻者に取っては誠に得る所が多いが、然し一般の人々にはどうであろうか、或いは新聞紙上の讀物としては餘りに専攻的に片寄りすぎはしまいかと懸念されるが、試みに研究した其の一端を御話して見よう。



一體音樂を研究するには種々の方法がある、即ち歴史的に研究するものと理論的に研究するもの等色々あるが自分は多く之を技術的方面から研究したのである、即ち支那音樂の色々のものを譜に書く事を主にやったので、其の研究したものを紹介しようとするには何うしても演奏し乍ら之に説明を加へ又意見を附して行くと云ふ様にしなくては決して十分には出来ない、若し強いて之を書かうとするには多くの楽譜を挿入するの必要があって、印刷などに非常の困難である、斯様な譯で只概略を抽象的に話して見ることになるのは止むを得ない。

あの「ジアンガラガン」の支那音樂も前述の如く唯單調なる一種や二種の曲節を始終繰り返して居るのでは無くて實は色々の區別がある、先づ之を分類して見ると崑腔(ホンチャン)、西皮(シィピイ)、二簧(アルホワン)、梆子(ホウス)、絃子樂(シエンツヤヲ)と云ふ重なるものが有って此外に俚謠童謠小唄の如きものがある、崑腔(ホンチャン)、西皮(シィピイ)、二簧(アルホワン)は其昔揚子江に於いて発達流布し、又梆子(ホウス)は黄河の沿岸に於いて発達したもので、此の二大流域に群居している二大民族には以上の如く各々特別の樂風が漂ふて居たが、近来は(と云っても餘程遠い昔より)東西混交して殆どこの區別がなくなった、支那人に言はせると南方物たる 崑腔(ホンチャン)、西皮(シィピイ)、二簧(アルホワン)は最も高尚なるもので、北方物たる梆子(ホウス)は淫聲であると云って卑下する。

此内崑腔(ホンチャン)は近来一向に流行しない、只少数の南方人がやる位のことで、北京などに於いても之を奏するものは一寸得難い位である、其の樂想如何にも古雅なものであって今日の人の耳には適しない、丁度日本の雅楽である、日本の雅楽も元来支那や朝鮮から渡来したものであることから考えると、此の支那の崑腔(ホンチャン)が傳はって其の後その儘別にに手を入れないで宮中や神殿樂となって殘つたものではあるまいかと思はれる、此の崑腔(ホンチャン)は勿論劇には用ゐない、歌ふ時には笛を用ゐ、稀には琴にも用ゐる事がある。



劇に上ぼせたる時に於いても、西皮(シイピイ)や二簧(アルホアン)は一般に高尚である、古の軍談に關するもの、或いは孝子節婦を賞揚したるものなどを主に其筋として居て、勧善懲悪と云ふことが眼目になって居るが、梆子(ホウス)となると謂ゆる世話物、滑稽物などが主で、品位はずっと落ちる、此両者の関係は丁度西洋音楽のグランドオペラとコミックオペラとの関係に似ている。



次に絃子樂(シエンツヤヲ)は支那の三絃樂である、之は劇中(絃子劇)の曲節又は民謡中の或物を絃子(シエンツ)(日本の三味線と略々同じ)にて奏するのである、

その中には八板(パアバン)、太鼓(タァクウ)、時調(シイチアヲ)などがあって、普及の程度から云ふと殆ど支那民樂の大部分であると云ってもよい、以上が支那樂の主なるもので、更に各地の民謡小唄類がある。



支那樂は無論聲樂本位であって、樂器と稱すべきものは殆どない、之は幼稚なる音樂に於ては世界中何れの國の音樂でも皆左様である。

日本などでも其の通りで聲を差し引きしては殆ど音樂にならない。

さて其の支那音樂の聲と云うのが如何にも珍妙である、甲ン走った高いキイキイ云ふ聲謂わゆる頭聲(ヘッドボイス)である。或人が余に支那人はなぜあのやうな高い金切聲を出すのであらうかと云ったことがあるが、なぜと云っても別に理由のあることではない、只それが習慣でその聲色を愛するのであると云ふより他はあるまいと思ふ、恰も日本の或る種の音樂特に浪花節などの如き語り物に於て、喉を引き〆て鵝鳥の首をしめたような聲を出して之を面白いと考えて居るのと同じである、支那人の此の珍妙な聲に就いては色々の説をなす者かあるが何れも採るに足らず、自分は堅く此の自己の意見を信じている、此の聲の性質によりして支那樂に於いては小供の聲(變聲期前の)を尊ぶ

、従って小供にして歌謡に秀でたものが多い。次には是等の歌に合はせる樂器に就いて少しく延べてみよう。



崑腔(ホンチャン)に於ては横笛を多く用ゐ、また稀に七弦の琴をも用ゐる、

西皮(シィピイ)や、二簧(アルホアン)に於いてはその中心となる樂器は呼琴(ホウチン)である(例の胡弓なり、日本に於いては提琴と云っている)

梆子(ホウス)に於ての中心樂器は呼々(ホウホウ)と云ふのである、胡琴と呼々とは一見同じものの様であるが、胡琴は恰も柄杓の如く其の胴が竹で作ってあり、呼々は胴が椰子の実で作ってある處にその差がある、此の差異により音色は無論異なって来る、両者とも二弦であって何時でも其の調子は符の関係に合はせる、日本の三味線の二上りと同じである、世界中何れの國の樂器でも餘り進歩しない間は大概 此の調弦法である。

絃子樂(シエンツヤヲ)に於いては中心樂器は勿論絃子(例の支那の三味線)である、此の絃子は日本の三味線と其の形状や持ち方は同じであるが其の他は大分異なって居る、日本の三味線とは大變な相異である。

又彈ずるには指先に爪をはめてする、恰も日本の琴を弾く時の様である。

胴には蛇皮を張る、弾く時には爪で弦で弾くのであるから全く絃の音のみが響く、日本の三味線は絲を弾くと同時に胴の太鼓を打つから絲の音と太鼓の音とが同時に響くが、絃子(シエンツ)は胴は唯僅少の共鳴をなすのみである、また棹が日本のよりは長い、之れは支那人が大きいからである、支那に於いては此絃子と胡琴とが最もよく普及された樂器である。

以上は各種の音樂に就いて其の中心となる樂器を述べたのであるが、劇の時は勿論其他の時に於いては正式から云へば此の中心樂器の外に尚種々の樂器を用ゐる(崑腔:ホンチャンは然らず)即ち鑼:ラ(大きな皿の如き真鍮製のかね)、鼓:クウ(大小とあり)、少鑼:ショウラ(小さき鑼)、鉢:ボウ(大小ともあり日本で云う妙鉢、西洋のシンバルなり)、唐鼓:トンクウ、板:バン、月琴:ゴエチン、索:ソウアン、笛:チウあり、この中 鑼、少鑼、鼓、板等の音響が例の支那樂特異のヂャンガラガンと響くのである。



以上に於いて支那樂の大別を述べ、更に何れも聲樂である事と其聲樂に合はせる樂器に就て概略を説明した、されば次に斯くして出来上がる支那樂の一般的説明及び批評を試みねばならぬ。

概して云へば支那音樂は勿論餘り進歩したものではない、一體音樂の本質から云へば現今に於ては西洋音樂は世界中一番進歩したものである、支那は音域の狭小なる點に於て、和聲を缺く點に於て、従って壮重とか雄大の想なき點に於て、且つ曲節の變化少なき點に於て、泰西のそれには及ばない、即ち



⚪︎音域 其の音樂に用ゐられている音の区域であるが、支那樂は聲樂のみであるから、其の唱ふ曲節も又之にに合わせる樂器の音も、ほんの程よい部分のみの音を使用してるに過ぎぬ、西洋のピヤノとか絃樂器とかの如く擴大な區域に亘って居らぬ、之が一般に

樂想が小さく且つ變化に乏しくなる基である。



⚪︎和聲 高さの異なった音を同時に響かせてその間相互の饗應するのを和聲(ハーモニー)と云ふ、支那樂には之れが缺けて居る、故に壮重とか雄大とか云ふ如何にも大きい洋々たる想が現れ得ない。



⚪︎變化 曲節がどちらかと云へば變化に乏しい、色々さまざま異なった感想を現はさんとして用ゐてある曲節が、その感想の異なるが如く變化されてゐないのが多い、随って単調に傾き謂わゆる千篇一律と云ふ嫌いが一般にある。



更に遺憾なるは一體に樂が悲調である、どうしても人心を引き立てると云ふよりは悲しませる打ち沈ませると云ふ事である、故に曲節には『あゝ綺麗だ』とか可憐であるとか云ふのは多いが、寧ろ積極的に悲哀に沈める人を引き起たせるとか、元氣を鼓舞して民心を向上せしむるとか云ふことは一寸望まれない、此點は我等の大に考慮すべき所で、只単に支那樂にのみ限っては居らない。



斯くの如く、西洋音樂に比較しては殆んど形なしであるが、又或點から見ると、日本樂などよりは餘程西洋樂に近い所がある、即ち原則として歌手と弾き手とが區別されて居ることや、絃樂(コンロン)に於いて弾く時にその胴をトントン打つことのなきことから、更に劇となると、もうもうまるで西洋のオペラそっくりである、舞臺に立った役者はその所作よりは唱歌本位である、或思ひを相手に傳へんとする時には立派なるメロヂーをなせる曲節で其心を歌ふのである、又言葉の所でも普通の對話風でなく、餘程曲節ある白(セリフ)即ち西洋のレスタチーヴと云ふのをやる。

されば支那劇は殆んど述べつ幕なしに樂器が響いて居るのと同じである、劇の筋がどちらかと云へば餘りしつこくなく長くない一幕物が多く、長くても三幕位のもので、此點もオペラとよく似て居る、こんな譯で唱歌が主で所作が少ないから舞臺なども狭い、劇場に入るのは観客でなくて聴客である、俳優は即ち立派なる聲樂家(シンガー)である、實に西洋のオペラその儘である。



附言 余の立場から云ふと、歌ふことや弾くことを抜きにした抽象的の音樂論は誠に物足りなくてならない、此篇に於て是は何々彼は何々と云ったことを實地樂器に就いて弾いたり見たり又唱つて見たりして、すべて具體的は他日同好の士と研究する機會の来たらんことを希望する』云々

次に

僧侶、道士等の後場に用ふる樂器は太鑼(トアロオ)、叫鑼(キアウロオ)、喇叭(ラウペエ)、鼓仔(コオアア)、鈴(リエン)、鐃抜(ニアウボアツ)、木魚(ボクヒイ、鐘及角製の管等の樂器を用ゐて合奏しつゝ読経又は唱歌をなすものなり、其の譜及び文句は甚だ長くなるを以って之を省略す(和尚の歌参照)





空城の計

http://ja.wikipedia.org/wiki/空城計



近森某氏(近森出来治)

http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/kochi/feature/kochi1342187561557_02/news/20130201-OYT8T01417.htm



『新選樂府』近森出来治 著

http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/902577