第3節 男子系統主義
何れの國の人と雖も出生を慶び、子孫を愛し、其増殖繁栄を希ふは人類の通常なり、特に支那(原文ママ)人種に於いて其甚だ深きものあり、その亜流たる台灣人に於いて亦異なる所なし、之れ古来より宗祧継承(ソウテウケイショウ)及び祭祀(サイジ)の制度を重んじたるに起因すべきも亦原則としては系統主義にして其系統に非ざるものはその宗祧を祭を得ず且つ男系主義にして宗を承け祭を継ぐものは必ず男子なり又嫡長主義にして長を尊び幼之に次ぐ直系主義にして父の後を襲ふものは子、この後を襲ふものは孫ならざるべからずと云ふに起因するものなるべし、然して婦女懐胎するときは常に孕婦の身體を安静にし精神に異常の感動を与え身體に過度の労を与ふるが如きを戒む、昔は儒教の教義より胎教と称し、古人の教育を重んじ、胎内に在るときより已に其端を開く教育、即ち擧止端正(きょしたんせい)にその見聞する所悉く禮(レイ)に合しむる等の事ありしも今の台湾に於いては見る能わざる事なり
何れの國の人と雖も出生を慶び、子孫を愛し、其増殖繁栄を希ふは人類の通常なり、特に支那(原文ママ)人種に於いて其甚だ深きものあり、その亜流たる台灣人に於いて亦異なる所なし、之れ古来より宗祧継承(ソウテウケイショウ)及び祭祀(サイジ)の制度を重んじたるに起因すべきも亦原則としては系統主義にして其系統に非ざるものはその宗祧を祭を得ず且つ男系主義にして宗を承け祭を継ぐものは必ず男子なり又嫡長主義にして長を尊び幼之に次ぐ直系主義にして父の後を襲ふものは子、この後を襲ふものは孫ならざるべからずと云ふに起因するものなるべし、然して婦女懐胎するときは常に孕婦の身體を安静にし精神に異常の感動を与え身體に過度の労を与ふるが如きを戒む、昔は儒教の教義より胎教と称し、古人の教育を重んじ、胎内に在るときより已に其端を開く教育、即ち擧止端正(きょしたんせい)にその見聞する所悉く禮(レイ)に合しむる等の事ありしも今の台湾に於いては見る能わざる事なり