台湾風俗誌という古い本があるんだけど、その本を書いたのが片岡巖。
(写真家の方とは同姓同名の別人です、すみません)
その人は母方の曽祖父。仕事をしながら、余暇を使い、書き上げたそうです。
これから少しずつその本をこのブログに写し記していこうと思っています。
百年ぐらい前の本なのですが、あの頃の台湾と日本の雰囲気を知りたい方もいらっしゃると思うので
当時の表現により現在では使われない言葉も出ていますが、それも含めて時代考証の参考にしていただければと思います。
毎日1ページを目標に頑張ります。
(写真家の方とは同姓同名の別人です、すみません)
その人は母方の曽祖父。仕事をしながら、余暇を使い、書き上げたそうです。
これから少しずつその本をこのブログに写し記していこうと思っています。
百年ぐらい前の本なのですが、あの頃の台湾と日本の雰囲気を知りたい方もいらっしゃると思うので
当時の表現により現在では使われない言葉も出ていますが、それも含めて時代考証の参考にしていただければと思います。
毎日1ページを目標に頑張ります。
まずは、自己紹介いたします。私は台湾輔仁大学「異文化研究所」の楊承淑と申します。このブログの存在を心から感謝しております。実は今、片岡巖さんを含めて日本統治時代の通訳者の研究をしております。論文執筆中です。
もし、お差支えがなければおじい様の生卒年を教えていただければ大変助かります。下記のメールにご返事いただければ幸いです。よろしくお願い申し上げます。001652@mail.fju.edu.tw
返答遅くなり申し訳有りません
生没年1876:1/26~1930:2/6です。
曾祖父、片岡巌のお墓は、福島県郡山市からバスで十五分くらいの音路という所に有ります。
その墓標の裏に書かれている文面を見ると大体の事が分かりました。妻は和子です。
研究頑張ってくださいね!
僕もまた頑張ります。
成美おじいちゃんの妻であるおばあちゃんが亡くなりその後 その子供達である 私の伯母達が亡くなりました。
おばあちゃんが生前ずっと片岡家の話をしていたもので ‥
ご連絡ありがとうございます。
いつかおばあさんのお話しを聞かせてください。
片岡家は東はなわから郡山へ移住し、
巌は夏は棚倉開墾、冬だけ勉強をしていたそうです。
仙台から台湾へ、、、弟の直四郎さんは台湾にいたようですが、準太郎さんは台湾にいらっしゃったのでしょうか!?
同じ血を引く者としてこうしてやり取り出来た事ありがたくおもいます(涙)
私は成美お祖父さんの
末っこの 子であります (^-^)b
私が小さな頃からおばあちゃん
片岡家は士族で 家には刀やら色々あったんだけど…なんたらかんたら聞かされてたんですが
若かった私達‥
気にもせずきたのですが 祖母も父もその姉達が亡くなったのもあり 家族の大事さ 教えられました
それから片岡家のルーツが知りたくなり検索してたらこちらに行着きました
私は無知で
逆に色々お話し聞かせて貰えたらと思います
喜久田の直寛さんのお墓もきちんとお墓参りしております(^-^ゞ
そうですか、僕も祖父母からもっと台湾から帰ってきたときの話を聞いておけばよかったと思っています。戸籍で知った情報のみですが、確かに士族と書いてありました。巌は1876年東白河塙(はなわ)にて生まれたそうです。
randomnote76@gmail.com
よろしければご連絡ください。
今度お墓参りと貴重なお話伺いに郡山に行きたいです。
今年は、とてもよい一年になりそうですね
わたくし 準太郎の息子成美の次男成隆の子であります メールしましたが私ガラケーからなのでNGなんでしょうか…送れませんでした(^o^;)
父上の兄弟は7人いましたが 今は長兄と その姉のみ2人だけになりました
こちらは
片岡を継ぐものが 絶えつつありまして…
私達の代で終りなのかなぁ…て感じです<(_ _;)>
でも本当に
歴史に残るご先祖様達大事にしたい一心で 沖内様のブログにたどり着き やり取りできた事
嬉しく 有難く思います
少し前に安積開拓が日本遺産に認定され
それに携わったご先祖
負の連鎖だけはしないように 継いで生きたい行きたいです
了解しました(`・ω´・)b後程御連絡します
ので
No.消して下さいませ
御無沙汰してしまいm(__)m
連絡と思いながら‥
人見知りMaxで 躊躇しちゃってます(笑)
つい先日成美の妻クニの命日でしたので喜久田へお掃除に…
成美(クニと娘達)の墓石の両脇には直寛さん 準太郎 克己さんと敏子さん 華子さんあと寛之さん? 5つ程墓石があります
父や祖母が少なからず
教えてはくれてたのですが沖内様のブログ拝見し
誰がだれで と学習しました(^-^ゞ
墓石の脇には巌さんの名前もありました
ほんと 沖内様に巡り会えた事に感謝します(*^^*)
こちらこそ、そんなに感謝していただいて
ありがとうございます。
実は先日母が音路の墓地は墓参りに行ってきましたが、直寛さんのお墓はわからないそうでした。しかし小さな頃に行った記憶はあるそうです。
土地の区画整理や開発で行くたびに変わる故郷の風景に戸惑いつつも、(片岡家も白河から移住)それが世の流れと諦めつつも、先人に感謝です。
今度喜久田の本家のお墓もぜひお参りしたいのですが場所を教えてください。