今回も片岡巖から脇にそれてしまいますが、琉球新報の5月13日の記事について
内容は前回4月21日に行った
「台湾竹村小85周年記念式典について」です。
記事の投稿は沖縄の職業能力開発大学校の林文彬教授です。
林教授も台湾人で竹村小校の卒業生。
竹村小学校の教師だった祖父、故森永信一の代理として行ったおば夫婦と僕は
楊承淑教授と伊原大作教授に案内してもらい、光栄にも来賓として迎えられました。
叔母はお祝いの言葉を壇上にて述べ、その時朴子の空気を感じたまま気持ち良さそうに話していました。
僕はもしかして自分にも回って来たらどうしようかと考えましたが、
その時は、曽祖父森永信光の詠んだ朴雅吟社の漢詩をお伝えしよう、、、。
幸い僕には回ってこなかったからその心配は杞憂に終わりました。
さて記事の最後は、安谷屋長也(アダニヤ)先生の事が書かれていました。
沖縄の出身の安谷屋長也先生は一度だけ竹村小学校へ行ったのですが、その後、
行方不明で音信不通になってしまっているようです。
誰か心当たりの人がいたら教えて欲しいという旨で文章は締めくくられていました。
安谷屋長也先生は竹村小学校の校歌を作曲者でも有り大変生徒の信頼が篤かったようです。
生徒に親のように慕われていた安谷屋長也先生を探す、林教授の気持ちがすごく良くわかります。
沖縄には、小学生の頃隣に住んでいたJALに勤めていた家族が沖縄に転勤したときに夏休みに遊びに行ったのと高校3年生の修学旅行で西表島、翌年に同じく8月~9月までの間に友人3人で西表島でキャンプ生活をしていました。
晴れた日には台湾が見えました。
また沖縄には友人もたくさんいます。
今回の記事を読んだ友達もいるかもしれません。
日本よりアメリカに近い沖縄はその分、就業率(失業率)の事を考えても、日本に先んじて問題が顕在化していたと思います。だからこそ日本の近い将来が見える沖縄の職業能力開発はとても興味があります。
そして長寿の沖縄、例えば定年後の人もまだまだ新しい可能性があると思います。
林文彬教授も健康で100歳ぐらいまで一緒に元気に頑張りましょう!
内容は前回4月21日に行った
「台湾竹村小85周年記念式典について」です。
記事の投稿は沖縄の職業能力開発大学校の林文彬教授です。
林教授も台湾人で竹村小校の卒業生。
竹村小学校の教師だった祖父、故森永信一の代理として行ったおば夫婦と僕は
楊承淑教授と伊原大作教授に案内してもらい、光栄にも来賓として迎えられました。
叔母はお祝いの言葉を壇上にて述べ、その時朴子の空気を感じたまま気持ち良さそうに話していました。
僕はもしかして自分にも回って来たらどうしようかと考えましたが、
その時は、曽祖父森永信光の詠んだ朴雅吟社の漢詩をお伝えしよう、、、。
幸い僕には回ってこなかったからその心配は杞憂に終わりました。
さて記事の最後は、安谷屋長也(アダニヤ)先生の事が書かれていました。
沖縄の出身の安谷屋長也先生は一度だけ竹村小学校へ行ったのですが、その後、
行方不明で音信不通になってしまっているようです。
誰か心当たりの人がいたら教えて欲しいという旨で文章は締めくくられていました。
安谷屋長也先生は竹村小学校の校歌を作曲者でも有り大変生徒の信頼が篤かったようです。
生徒に親のように慕われていた安谷屋長也先生を探す、林教授の気持ちがすごく良くわかります。
沖縄には、小学生の頃隣に住んでいたJALに勤めていた家族が沖縄に転勤したときに夏休みに遊びに行ったのと高校3年生の修学旅行で西表島、翌年に同じく8月~9月までの間に友人3人で西表島でキャンプ生活をしていました。
晴れた日には台湾が見えました。
また沖縄には友人もたくさんいます。
今回の記事を読んだ友達もいるかもしれません。
日本よりアメリカに近い沖縄はその分、就業率(失業率)の事を考えても、日本に先んじて問題が顕在化していたと思います。だからこそ日本の近い将来が見える沖縄の職業能力開発はとても興味があります。
そして長寿の沖縄、例えば定年後の人もまだまだ新しい可能性があると思います。
林文彬教授も健康で100歳ぐらいまで一緒に元気に頑張りましょう!