法院通訳の月報、「法院月報」(1911年より「臺法月報」と改名)は、
臺灣語学習者向けの雑誌、「語苑」と比べると、
臺灣地方法院の通訳者たちが中心となって記事を構成していることが雑誌名からもわかる。
もしかして、警察官は警察官の雑誌があったのかな?
資料は六本木にある台湾文化協会の図書室のマイクロフィルムから拾いました。
「法院月報(臺法月報)」の中で、「片岡巖」の記名入り記事
字縜の解 1910年10月10日
臺俗琑談 1910年12月10日
贌の字 1911年 7月23日 「臺法月報」
壬子年頭の感 1912年 1月20日
安平偉感 1912年2月22日
臺灣人と職業的信仰 1912年3月20日
革命歌と本島人 1912年5月20日
迷信一束 1 1912年6月20日
迷信一束 2 1912年7月20日
迷信一束 3 1912年8月20日
迷信一束 4 1912年9月24日
迷信一束 5 1912年11月22日
迷信一束 6 1912年12月20日
牛 1913年1月20日
○ 1913年2月20日
臺風灣俗 1913年3月20日
臺灣語学習者向けの雑誌、「語苑」と比べると、
臺灣地方法院の通訳者たちが中心となって記事を構成していることが雑誌名からもわかる。
もしかして、警察官は警察官の雑誌があったのかな?
資料は六本木にある台湾文化協会の図書室のマイクロフィルムから拾いました。
「法院月報(臺法月報)」の中で、「片岡巖」の記名入り記事
字縜の解 1910年10月10日
臺俗琑談 1910年12月10日
贌の字 1911年 7月23日 「臺法月報」
壬子年頭の感 1912年 1月20日
安平偉感 1912年2月22日
臺灣人と職業的信仰 1912年3月20日
革命歌と本島人 1912年5月20日
迷信一束 1 1912年6月20日
迷信一束 2 1912年7月20日
迷信一束 3 1912年8月20日
迷信一束 4 1912年9月24日
迷信一束 5 1912年11月22日
迷信一束 6 1912年12月20日
牛 1913年1月20日
○ 1913年2月20日
臺風灣俗 1913年3月20日