第5節 死児の屍
一醫あり、投薬を誤り、人の愛児を死せしむ、主家之を詰まりて曰く、汝須らく為に殯殮(ひんれん;もがりおさめ)すべし、否らずんば之を官に訴えん、醫已む無く許諾し、依て児屍を薬箱中に匿して携へ帰る中途に又一家に邀(むか)へられ、往いて箱を啓(ひら)き、薬を用うる時、誤りて児屍を露はせり、家主驚き問う、答えて曰く、此れは是れ別人の医者の殺せるもの、我れ携へ帰りて蘇活せしめんとすと
或るところにお医者さんがありました、薬を間違えて、人の大事な子供を死なせてしまいました。
親は怒って、お医者さんに葬儀を出すように言いました。「約束をやぶったら役所に訴えます!」と。
お医者さんはやむなく、「わかりました、すみませんでした」と言って死んだ赤子を棺の代わりに薬箱に入れてしまいました。
又他の家族から「ちょっと先生、家族の者を診察して下さい」と言われ、そこの家に行って診察をする事になりました。
診察をして薬箱を開けて薬を出そうとした時に、間違えて死んだ赤ちゃんが見えてしまいました。
家の者が驚いて「先生それは??」と、
お医者さんはシドロモドロにこう答えました。「う、これは別の医者が死なせてしまい、これから我が治療院に戻ったら蘇生を試みようと思っているところです」
コメント:原文では、葬儀では無く、殯殮(ヒンレン、もがり、おさめる、)と有ります。
脱線になるのですが、これは古代の死生観。
人が死と言う事を理解する為に、死体が腐り、白骨化するまで、そっと棺などにおさめておく事を言います。
あまりにも悲しくて死んでしまったなんて信じられず本当に死んでいるか覗いて見たりしてしまう人もいたでしょうか。
日本でもあった、古い風習です。
そうしてちゃんと頭も心もその人が亡くなったの理解していくのでしょう。
もがりという言葉だけ探すと最近「もがりの森」と言う映画も有りました。
大化の改新の時に「薄葬の令」という法律が有りました。爾来、仏教の伝来と共に、火葬などに変わり簡略化が進みました。
でも仏教の供養で七七日(49日)や百か日などに故人の霊が段階を踏んで霊界に赴くという考え方も、この殯殮にもとを辿って見る事が出来るかもしれません。
台湾の風俗風習は道教や仏教などたくさんの宗教、宗派がありますが、人の死は簡単に宗派によって分けられるものでは無く、共通して悲しい時はみんな悲しいです。
うまく結論は出ませんが、人は悲しみを越えるためには時間がかかるのでないでしょうか。
死児屍
有一個醫生、由於用薬錯誤、而把入家的愛子給治死、苦主威脅他説…『你一定要為我愛子辦理喪事、否則我就到衙門去告你!』醫生只好承諾、於是就把死屍放在手提箱𥚃帶走、可是途中他又到另一家去出診、當他打開箱子取藥時、不小心把死屍露出來、這家患者看到就很鷲恐的問、醫生回答說⋯『這是別的醫生治死的、我準備帶回家給他治活。』
一醫あり、投薬を誤り、人の愛児を死せしむ、主家之を詰まりて曰く、汝須らく為に殯殮(ひんれん;もがりおさめ)すべし、否らずんば之を官に訴えん、醫已む無く許諾し、依て児屍を薬箱中に匿して携へ帰る中途に又一家に邀(むか)へられ、往いて箱を啓(ひら)き、薬を用うる時、誤りて児屍を露はせり、家主驚き問う、答えて曰く、此れは是れ別人の医者の殺せるもの、我れ携へ帰りて蘇活せしめんとすと
或るところにお医者さんがありました、薬を間違えて、人の大事な子供を死なせてしまいました。
親は怒って、お医者さんに葬儀を出すように言いました。「約束をやぶったら役所に訴えます!」と。
お医者さんはやむなく、「わかりました、すみませんでした」と言って死んだ赤子を棺の代わりに薬箱に入れてしまいました。
又他の家族から「ちょっと先生、家族の者を診察して下さい」と言われ、そこの家に行って診察をする事になりました。
診察をして薬箱を開けて薬を出そうとした時に、間違えて死んだ赤ちゃんが見えてしまいました。
家の者が驚いて「先生それは??」と、
お医者さんはシドロモドロにこう答えました。「う、これは別の医者が死なせてしまい、これから我が治療院に戻ったら蘇生を試みようと思っているところです」
コメント:原文では、葬儀では無く、殯殮(ヒンレン、もがり、おさめる、)と有ります。
脱線になるのですが、これは古代の死生観。
人が死と言う事を理解する為に、死体が腐り、白骨化するまで、そっと棺などにおさめておく事を言います。
あまりにも悲しくて死んでしまったなんて信じられず本当に死んでいるか覗いて見たりしてしまう人もいたでしょうか。
日本でもあった、古い風習です。
そうしてちゃんと頭も心もその人が亡くなったの理解していくのでしょう。
もがりという言葉だけ探すと最近「もがりの森」と言う映画も有りました。
大化の改新の時に「薄葬の令」という法律が有りました。爾来、仏教の伝来と共に、火葬などに変わり簡略化が進みました。
でも仏教の供養で七七日(49日)や百か日などに故人の霊が段階を踏んで霊界に赴くという考え方も、この殯殮にもとを辿って見る事が出来るかもしれません。
台湾の風俗風習は道教や仏教などたくさんの宗教、宗派がありますが、人の死は簡単に宗派によって分けられるものでは無く、共通して悲しい時はみんな悲しいです。
うまく結論は出ませんが、人は悲しみを越えるためには時間がかかるのでないでしょうか。
死児屍
有一個醫生、由於用薬錯誤、而把入家的愛子給治死、苦主威脅他説…『你一定要為我愛子辦理喪事、否則我就到衙門去告你!』醫生只好承諾、於是就把死屍放在手提箱𥚃帶走、可是途中他又到另一家去出診、當他打開箱子取藥時、不小心把死屍露出來、這家患者看到就很鷲恐的問、醫生回答說⋯『這是別的醫生治死的、我準備帶回家給他治活。』