(写真家の方とは同姓同名の別人です、すみません)
その人は母方の曽祖父。仕事をしながら、余暇を使い、書き上げたそうです。
これから少しずつその本をこのブログに写し記していこうと思っています。
百年ぐらい前の本なのですが、あの頃の台湾と日本の雰囲気を知りたい方もいらっしゃると思うので
当時の表現により現在では使われない言葉も出ていますが、それも含めて時代考証の参考にしていただければと思います。
毎日1ページを目標に頑張ります。
台湾風俗誌という本とそれにまつわる私の不思議な話
台湾風俗誌と書かれた本を東久留米の医師が母に貸してくれた。
台湾について書かれた古い本、大正11年発行の昭和60年くらいの復刻版
本を母が祖父に見せたらそれは曽祖父の書いた本だとわかった時の母は驚いた。
その日から本をコピーしようとしばらくその医師のお宅に通った。
ついに神田の古本屋で本を購入し書き写してデジタルアーカイブとして残そうとブログを始めた。
僕はその本を書くに至った経緯や100年前の日本人、文化、歴史、漢字、そして台湾人のことを全然知らなかった。
それはブログにメッセージをくれたクロスカルチャーを大学で教えているヤン先生と今でも続く交流の始まりました。
放送大学のスチュワート本多先生から文化人類学を学び、そして台湾風俗誌とその著者をテーマにしたこと、そして続けて台湾の医療制度の歴史を書いた。
この本の中に書かれていることは未来の予言かもしれないと思っていた。
この本のおかげでまだあったことのない親戚とメールのやりとりができたこと
まだやり残したことが、たくさんある。次の世代に伝える事
コロナ禍において旅行はままならない時代になったがいつでもこの本を開くと
100年以上前の台湾に行けると
(写真は台湾の友達とバンド練習しているところ)
なんか秋だからか長めのレポートになりました。
長文その1
チキンラーメン日清の安藤百福さんは祖父森永信一と台湾で一緒に暮らしてました。
両親を早く亡くし祖父母に育てられてた百福さんを小学校が近くにあるので曽祖父の勧めで家から通ってたそうです。
この曽祖父は茗荷谷にある台湾協会学校の一期生です。(今は拓殖大学)
福井県人で、テニスが好きで晩年は囲碁を趣味としてました。
曽祖父の息子は三人、その長男が僕の祖父、百福さんとは次男が同級生でした。
曽祖父森永信光に勧められて朴子の図書館の司書をされてたそうですが、その後、商売の道に進みました。
という事を百福さんの自伝を読んで知りました。
長文その2
その頃は曽祖父は台湾の東石郡の郡守というのをしてました。帰国後、福井の震災と空襲に遭って福島の祖父母の家では肩身がせまい思いをしてたから、きっと立派になった百福さんのことを知ったらどんなに喜んだことかなー。と思います。
後日談、、、、
何年か前マクドナルド食肉問題で沸いていた頃、ちょうど曽祖父の事で日清に問い合わせていました。
ついつい新製品の開発にアドバイス、しました。
この食肉不信の時代の中で野菜だけのカップラーメンがあったら良いなと提案しました。台湾でもウケますよーって思って。
担当の方は開発部に転送しますと言ってくれて、無事に半年以内に「ベジータ」という野菜だけのカップラーメンを作ってくれました(思い込みかもしれませんが)
正直「ベジータ」が国内で売れたとは聞いてませんが、変わった発想をバカにせず商品化するその創業者精神が日清に今も息づいてる気がしました。ビーガン向け食品は海外の需要の方があるのかもしれないです。
今は「謎肉」と言うカップラー麺に入ってる不思議なお肉を僕は喜んで食べてますー。
片岡巌の曽孫、台湾にて、原子力発電に反対する呉慶年教授に出会う。台湾に11・9から4泊5日で行きました。大変楽しく密度の濃い旅でした。詳しくいずれ皆さんに報告できると思いますが、取り急ぎ台南の成功大学にて夜の不思議な古老との出会いについて...
片岡巌と台湾語研究会
台湾風俗誌と僕。小さな頃、何故かキョンシー映画がすきだったぼくは、小学校の頃は少林寺拳法を習い、一つ上の姉がいたからと言う理由で自由の森学園に入り、中学校と高校時代を過ごす。...