振り出しに戻る「落陽日記」

旅や日々の生活の一コマ。60代半ば、落陽期を迎えながら気持ちは再び振り出しに戻りたいと焦る日々です。

大山桝水原とみるくの里のソフトクリーム

2018-05-20 08:58:23 | 旅行
久し振りに山陰方面に出掛けた。



大山には登山やスキーの経験はないが、学生時代と新婚時代に来たことがある。随分と昔のことになるがいずれも夏場でキャンプをしたり、ペンションにも宿泊した記憶がある。



ここはスキー場だが桝水原の地名の由来はこの付近にあった水溜りにあり、湧き水の水量が枡で計ったように一定だったので枡水と呼んでいたようだ。

天気は薄曇りで伯耆富士と呼ばれる標高1700メートル強の山容がキレイに望めるが観光客はあまり多くなく静かだ。この高原は標高も800メートルくらいあるので暑かった麓と違って爽やかな風が吹いて半袖シャツでちょうど良い。



大山寺まで移動すると、また違った大山の山並みが望める。北壁になるのか所々に白く残雪が見える。





帰り道の途中で「大山まきば みるくの里」に立ち寄りソフトクリームを食べた。介護の人と一緒に来ていた老人ホームの高齢者の方々も含めてここに立ち寄る人の殆どがソフトクリームを食べているように見える。一番の稼ぎ頭のようだ。

ソフトクリームによっては乳脂肪が濃厚すぎて後で胃がもたれた経験もあるが、ここのは適度な濃度と甘さで美味しい。2本目だってOKだ。

山を下って次の目的地は安来にある和鋼博物館だったがルートを調べていると今日は水曜日の定休であることがわかった。急遽、月山富田城跡に変更した。






鴨川公園でランチピクニックしながら葵祭を見物

2018-05-19 12:10:22 | 日記
京都の上賀茂に住む現役時代の同僚であるS氏夫妻と鴨川の河川敷にある公園に昼食を持ち寄ってランチピクニックをした。S氏とは入社時から所属部署も近くて新婚時代は社宅が同じで時には夫婦で食事を一緒にしていた。その内に転勤などで疎遠になっていたが定年退職を機会に年に数回は食事を共にするようになった。







場所は北山橋を少し下がった西岸の公園。晴天で気温は30度近いが湿度はさほど無いので木陰は快適。対岸にはしだれ桜の棚が見える。水際を離れた鴨がエサを探しているようだ。

昼食の画像はないが草地に敷いたグランドシートにビールとワインはS氏夫妻が自宅から自転車で運んでくれた。当方が持参したランチに比べてS氏が持参した重箱に詰めたランチは格段に豪華であった。

缶ビールを飲みほしてワインも1本空いた頃に加茂街道を葵祭の隊列が近づいてきた。







葵祭に合わせてピクニックを企画したのではなく、たまたま双方の都合が一致したのが5月15日で葵祭と同じ日だと気づいたのは1ヵ月前。

S氏夫妻は住んでいる場所がら過去には何度も葵祭を見物しているが、自分としては40年ぶりぐらい。学生時代に住み込みでアルバイトした店のお嬢さんが祭りのヒロインである斎王代を務めた時に見て以来だ。







ランチをしている河川敷からでも隊列が進んでいる様子は見えるが写真を撮るには土手を登って街道に出なければならない。隊列は1時間くらい続き斎王代は隊列の後半なので先頭を撮影した後で一度ランチ席に戻り、しばらくすると斎王代が見えたので慌てて土手を登った。

直登は無理なので斜めに登る。するとワインの酔いが手伝ったか足を滑らせ危うく滑落するところだった。



今年の第63代斎王代はその母親も斎王代を務めたことがあり、母娘二代というのは6組目とか。私のアルバイト先のお嬢さんもその娘さんが何年か前に斎王代を務めた母娘斎王代だが、京都にゆかりのある良家のお嬢さんしか選ばれないと聞く。持ち出す費用も相当らしい。



斎王代が通過すると土手下の道を並行してすすむ見物客が増えた。社頭の儀が行われる終着の上賀茂神社まで行くのだろうか。


祇園祭、時代祭をあわせて京都三大祭だが葵祭は行列のコースが長いので見物の場所が選べるのが良い。真夏のため暑くて人混みも激しい祇園祭、いろんな装束が見れるので興味深いが最前列でないと見物客の頭ばかりの時代祭。

鴨川のほとりにランチ席を設けてワインを飲みながらゆっくりと葵祭を見物しているのは自分達だけだった。ここは特等席だな。




ツーリングの帰り道は雨の中

2018-05-15 19:51:53 | バイクツーリング
宮津の富田屋で1泊したツーリングには6台が参加。その内4台は昨年九州ツーリングに一緒に出掛けた仲間。あと2台は2回目と初めて一緒にツーリングする仲間で、いずれも現役時代の会社関係者。自分ともう一人が年金生活者であとは現役の社員だ。





色んなバイクだが6台も集まるとそれなりに壮観だ。

事情があって集合したのは午前12時で場所は須知のドライブイン。目的地は丹後半島の経ヶ岬を経由しての宮津富田屋。



天気も良くて絶好のツーリング日和。須知で昼食の後、福知山、峰山、間人を経て経ヶ岬に到着したのは午後3時半。



ゆっくりと海を眺めるヒマもなく、往復に20分はかかる灯台にも足を運ばずそそくさと宮津に向かった。

富田屋での楽しい宴会はすでに前回のブログでUPしたとおりだが、翌日の帰り道が悲惨なことになるとは思っていなかった。

数日前からの天気予報では帰る日の午後から雨になる予想だったので午前中に帰着すれば何とかなると全員が考えていた。5時半頃にトイレで目覚めて窓の外を見ると雨もなく、天気予報どおりだなと期待したが6時頃から雨の屋根を叩く音が聞こえて来た。

結局それから降りっぱなしで朝食を食べて8時前には宿を出発したが帰宅した12時前までずっと雨中走行だった。雨具はあったものの完璧な防水はできず、特にブーツの中はグチュグチュ。

天気の崩れが予報よりは6時間くらい早くなったようだ。楽しかった富田屋の記憶が半分は消えてしまった。

バイク仲間6人で宮津の富田屋で1泊

2018-05-14 09:25:10 | バイクツーリング
宮津と言えば日本三景の天橋立を擁する京都府北部の街。玄関口となる宮津駅は京都丹後鉄道の駅でJR西日本と共同運行の特急が京都から福知山を経て乗り入れている。

京都丹後鉄道は宮津から福知山、西舞鶴、豊岡の3方向に路線があり、国鉄⇒JR西日本⇒北近畿タンゴ鉄道の歴史を経て2014年に高速バスの運行で有名なWILLER EXPRESSが運営権を買い取った鉄道だ。

その宮津駅の真ん前に富田屋と言う酒場食堂がある。昼と夜の営業だが家族連れなども多くて外で待たされることもある繁盛店だ。

下の店舗の画像は昨年12月に利用した時のものだが歴史を感じさせる古い建物で店舗の2階は宿になっている。今回は仲間6人でバイクツーリングで来て投宿。





ピンぼけだが1泊2食付きで5000円となっているのが読めるだろうか。



部屋は当然ながら和室で風呂とトイレは共同、廊下との仕切りはふすま1枚で鍵もなし。シーツを掛けた布団は羽毛ではなく綿の入った少し重いヤツだが掛布団を抱いて寝るクセのある自分には羽毛より抱きごたえがあってよろしい。





部屋はそれなりだが新鮮なサザエや殻つきのサザエなど魚貝類ばかりの夕食は立派。画像を撮った後にエビ、イカ、野菜の天ぷらが一皿、スズキの大きな切り身を塩焼きしたものが出た。全部がテーブルに乗らないのであれこれ食べるのではなく、一皿ずつ食べ尽くさなければならない。



デカイ岩牡蠣は別注で一皿1000円を6人でシェアした。この後ナマコも別注。

メンバー全員酒が強いので部屋に戻ってからもビールや焼酎を持ち込んでの宴会になったが、持ち込みを含めて一人7300円。驚きの値段だ。



朝食は店の向かいにある系列の喫茶店でモーニングセット。撮り忘れたが厚切りトースト、ハムエッグ、サラダにコーヒー。

十数年前までは食堂で焼き魚の朝食を食べ、味噌汁が美味かったことが懐かしい。既に10回近くは利用しているはずだが今も昔も5000円は変わらず。

自分の場合は男だけのグループで宴会を兼ねた利用ばかりだが今回はバイクのタンデムツーリングカップルがいた。出張中と思われる女性のお一人様に出会ったこともあるがビジネスホテルに泊まって外食するより楽しめると思う。但しうちのヨメはNGだろうな、誘ったこともないけど。

もしもこのブログを読んで行ってみようと思われたらタオル、シャンプー、歯ブラシはお忘れなく。それと夜中にトイレに行く場合は廊下が軋むのでネコ足で。それと宿泊予約は電話のみで、楽天やじゃらんを検索しても無駄。



出町柳のついでに白川疏水(疏水分線)へ

2018-05-07 12:33:12 | 日記
同じブラタモリの番組の中で哲学の道を歩きながら脇を流れる白川疏水(疏水分線)が賀茂川や白川の流れとは逆方向へ流れていることを紹介していた。自分も昨年の4月に哲学の道に来た時そのことに気が付いていてブログにも書いた。

今回は出町柳まで来たので足を伸ばして白川疏水の高野川との交差地点から銀閣寺道あたりまで行ってみた。足は125CCのスクーターだったが疏水だけ見るのなら自転車か徒歩の方がベターだと思う。

疏水が完成した当時は高野川をサイホンで交差させて松ヶ崎方面へ流れていたそうだが、現在はサイホンは使われず高野川に合流させているとのことで、どのようになっているか見たかった。疏水は高野川の左岸を走る川端通りの手前50メートルの地点でトンネルに流れ込んでいてカメラで撮影したが帰ってから確認すると写っていなかった。ガッカリ!



画像は手前の四角い出口から疏水の水が高野川に流れ込んでいる様子。疏水と高野川の交点から50メートルくらい下流になる。



犬を水遊びさせている人が立っている浅い堰のような所の直下にサイホンが通じていたと思われる。ひょっとすると堰ではなくサイホンの構造物の一部だったのかもしれない。



この画像は川の対岸、松ヶ崎側の白川疏水のスタート地点。

ところで高野川で疏水が中断されているのでこの水はどこから?高野川から取水?すぐ北側には京都市水道局の松ヶ崎浄水場があり、画像左側の小さいトンネルは浄水場からの流入水かもしれないが。

ついでに調べてみるとここ松ヶ崎の浄水場の水源は琵琶湖の水で、哲学の道が始まる若王子で琵琶湖疏水から取水して地下導水管で運ばれている。浄水場ができた昭和初期は白川疏水から取水していたのだろうと思う。



対岸に戻って疏水沿いの道を上流(南東)に進んで行くと叡山電鉄の線路、続いて北大路通と交差している。たくさんのお地蔵さんは何だろう?

すぐ近くには叡電の茶山駅があるが20歳の学生時代、このあたりにあったボロアパートに1年間住んでいた。10年前位に探したことがあるが見当たらず、どこにあったかすらわからなかった。



18歳で初めて京都に来て下宿した場所はここから更に北の修学院の端で、通学には叡電の宝が池駅を利用していた。下宿近くには銭湯がなく風呂に行くために叡電に乗ったが、膝の上に洗面器を置いて座っているのは自分だけではなくてフツーの光景だった。

当時の叡電は京福電鉄経営の叡山線だが集電装置はパンタグラフではなくポール式の車両で戦前の製造になる旧式だった。電車が架線の分岐点を通過するたびに車掌が後部の窓を開け、ロープでポールを引っ張っていたなあ。




更に進んで東鞍馬口通を過ぎると北白川の地に入り、古くからの高級住宅地だ。画像は昨年撮ったヴォーリーズ設計による駒井家住宅で疏水の横に建っている京都市の指定文化財だ。ここだけではないが疏水沿いには桜が多いのが良い。



御蔭通を渡ると疏水の両側にあった道は左岸だけになり、緑の木々が一段と深くなった。正面には吉田山が見え右手には京都大学のグラウンドがある。



ここは志賀越通の手前だが道路を挟んで疏水に落差がある。スクーターで来れたのはここまでで後は歩いたのだが、疏水は東にカーブして今出川通りの北側に出る。



このまま銀閣寺方面に進めば白川と疏水の交差点に出るが、スクーターを置いたままでは行きにくいので今回はここでFINISH。