振り出しに戻る「落陽日記」

旅や日々の生活の一コマ。60代半ば、落陽期を迎えながら気持ちは再び振り出しに戻りたいと焦る日々です。

折角の北海道だから1泊は温泉で

2021-11-25 09:58:24 | 旅行
今回の北海道旅行は2泊なので1泊は札幌のホテルにしたが、2泊目は温泉ホテルにした。2泊とも温泉でも悪くないのだが、温泉だと宿が違っても同じような食事が続くこともあるので1泊だけにして、場所は登別温泉にした。ここは数回来たことのある温泉地で道内にはまだ行ったことのない温泉もたくさんあるが、新千歳空港から遠くない範囲で時期的に積雪の心配が少ない場所で選んだ。

予算の関係で高級宿とはゆかないが、サッカーグラウンドくらいありそうな大浴場に硫黄泉、ミョウバン泉、食塩泉やら露天風呂などのたくさんの浴槽を持つ宿で、夕食の前後と朝食前の計3回も利用した。大浴場だけでなく、時おりは部屋の中にも硫黄の臭いがまぎれ込むこともあったが、温泉に来ている雰囲気がして良いと思う。

ここの泉源は地獄谷と呼ばれる場所にあるようで、露天風呂からは泉源にある温泉井戸が見えた。







朝食後に地獄谷まで散歩に行ったが、吹き上がる水蒸気の向こうに見える建物が泊まった宿だ。

チェックアウト後、地獄谷の更に奥にあるクッタラ湖を車で目指した。この湖は円形のカルデラ湖で、学生時代に来た時にそこで泳いでいる写真が今も残っている。帰る時に砂利道の急坂を軽四のタイヤがグリップしなくなり、友人に車の後ろを押させたことも思い出の一つだ。

ところが残念なことに湖までの道路が封鎖されていた。チェックアウト時にホテルのフロントで確認したら大丈夫と言われていたのだが。



この水蒸気を上げている湖は大湯沼で、ここも地獄谷の奥にある。火口の跡のようだが、泡が出ていて底から高熱の温泉が湧いているようだ。地球の内部が吹き出物のように露出している感じがする。


昨日は登別温泉までのルートとして国道453号線を通り、支笏湖を経由してきた。札幌市内を出てから苫小牧に至るまで、途中の恵庭峠では雪があったりで、北海道らしい景色が見られるので楽しいルートだ。



学生時代に友人とした北海道ドライブ旅行では、もっぱらユースホステルや民宿を利用したが、ここ支笏湖畔と北大クラーク像裏の2泊だけはテント泊だったと思う。1974年の夏だった。

北海道大学構内のイチョウ並木と銀杏

2021-11-23 13:42:55 | 旅行
テレビの情報では今日の北海道は一部では雪が降っていて、山間部では積雪もあるようだが、自分が札幌を訪れた先週火曜日はマズマズの天気だった。寒いと困るのでダウンジャケットを準備していたがシャツの上に羽織るだけで、ファスナーを締めてしまうと暑いくらいだった。

宿泊したホテルは札幌駅の近くで、翌朝チェックアウトした後に北海道大学の構内を散歩した。レンタカーを入れたホテル駐車場が12時まで利用できたので、それまでの間の散歩だ。

北大に向かう途中でたまたま脇道を見ると「清華亭」という看板が見えたので立ち寄ってみた。







明治初期の開拓時代に貴賓接待所として偕楽園と呼ばれた公園内に建てられ、明治天皇の休憩所としても利用されたとある。あまり大きくはない洋館風だが内部は和洋折衷の建物で、当時の雰囲気が良い感じで残っていて、一見の価値はあると思う。

北大の構内にはいるのは3度目だと思うが、最初は北海道旅行をした大学4年の夏休み。友人と二人でクラーク像の裏にテントを張り、蚊に悩まされながら寝たことと、朝になって観光客の声で目が覚め、慌ててテントを撤収した記憶がある。



前日の夕方、札幌市内に入った時に見た街路樹のイチョウには黄色い葉がまだ沢山残っていて、有名な北大構内のイチョウ並木の黄葉を期待してたのだが殆ど落葉していた。



見事なほどの黄色のカーペットだ。



イチョウの葉に合わせたわけではなさそうだが、消火栓の色も赤ではなく黄色だ。





木の最上部にはイチョウの葉が残っているように見えたのだが、よく見ると銀杏ばかりだった。路上にも落下した銀杏が踏み潰されて、例の臭いにおいが漂っている。

ここ北大のイチョウは市内の街路樹として植えられた雄の木と違って、雌の木が多いようだ。まだ樹上に残っている銀杏の実がすべて落下したらにおいもスゴイしどうなるのだろう。積雪の下に隠れるのかな?



比較的新しい建物があったので何かと思ったらコンビニで、北海道地元のセイコーマートだった。北大のロゴ入りTシャツやお土産類もあり、2階にはテラスもあってイートインになっている。酒のツマミになりそうな海産物の袋物が安くなっていたので土産に購入した。

北大を出てレンタカーで次の目的地に向かったが、しばらくすると車の中に銀杏のにおいが漂ってきた。あれっと思って車を停め、靴の裏を見ると靴の溝に踏み潰された銀杏のかけらがたくさん挟まっていた。臭いはずだ。







寒い日のキャンプに焚き火は必須

2021-11-14 14:00:58 | 旅行
いつものバイク仲間とキャンプに出掛けた。この仲間でキャンプをするのは何十年振りになるのか思い出せないが、トライアルバイクで遊んでいた30代の頃は夏になると毎年のようにやっていた。今はアウトレットモールが建っている竜王や、山科の牛尾観音の近くの広場、比良八淵の滝の下流の河原、etc。

50代近くになり、トライアルバイクに乗らなく(乗れなく)なってからはキャンプはしなくなり、車やロードバイクを使っての1泊旅行などに変わっていったが、数年前からは昔のようにキャンプもやろうと話はしていた。特にT氏がBBQキャンプがしたい様子で、やっと実現に至った。

同じキャンプをするなら10月までにすれば良いのに、コロナの緊急事態宣言があったり、それぞれの事情もあったりして11月になってしまった。予定日の前日までは時々雨が降ったりしていたが、何とか天気も回復しそうなので決行した。



場所は滋賀県の朽木、安曇川の河原にあるオートキャンプ場だ。自分はT氏と車で、M氏とJ氏はバイクに寝袋とマットを積んで午前中から京都の美山方面をツーリングした後、15時過ぎに合流してきた。もう一人のI氏は先月自転車で転倒して、今は松葉杖がないと歩けないので欠席。

かなり広いキャンプ場でテントサイトは約60区画はあるが、当日は金曜日なので利用していたのは5組ほどだった。



17時を回って太陽も山に沈み、BBQの宴会が始まった。馬刺しからスタートして牛タンの塩焼き、ニワトリのモモ肉、手羽、手羽先、それにポテトサラダ。料理長はT氏で、食材は全て彼が手配してきて、アルコール類は自分が用意した。昔なら皆で買い出しをしていたが、いつも一番よく食べるT氏に一任した今回のやり方は正解だった。





その内に周囲も暗くなり、西の空に見えた夕焼けも薄くなってくると月が煌々と輝いてきた。画像はないが、夜中に月も没してしまうと夜空一杯に星が輝いていた。



右側にある小型の青いドームテントは自分のテントで、40年以上も前の新婚時代にIBS石井で買ってヨメとキャンプしていた頃のヤツだ。今回のために防水スプレーをかけてきたが、今もって問題なく使えるのは素晴らしい。

中央にある緑色のペール缶は焚き火をするために持って来たが、これが思った以上の大活躍をしてくれた。









カメラで撮ってみると、炎が色んな形に変化しているのが良く分かる。

燃料になる焚き木は、今年の春に別荘跡地で伐採した樹木で、現地に積んでいたモノを先週末に取りに行った。伐採を手伝ってもらった仲間と一緒に焚き火をするなら市販の薪ではなく、これを使うのは当然だろう。太い薪や細い薪を合わせてペール缶に一杯半くらい持ってきたが、よく燃え過ぎたのか、足りなくなってしまった。





上の画像は使用した後のペール缶。

ほとんどのキャンプ場では直火での焚き火はNGなので、何か道具がいるなと考えてペール缶を思いついたが、そのまま薪を入れても酸素不足で良く燃える気がしない。空気を入れる穴をどれくらい、またどんな方法があるかYouTubeで探していたら面白くなって、20本以上視てしまった。名前だけ聞いたことがあったが、ロケットストーブの自作方法の紹介が多くあって、結局それらを参考にしてペール缶に穴を開けた。

ペール缶はホームセンターで購入し、穴は同じくホームセンターで購入したステップドリルの刃を使い、ペール缶の下部に直径2CMほど穴をぐるりと17個開けた。そして穴の1CMくらい上部の4ヶ所に長さ4CMくらいのビスを差し込んでナットで締め、そこに直径24CMの焼きアミを載せて完成。これを見た仲間は自作品ではなく、穴の開いているキャンプストーブを買って来たと思っていた。

動画で視たロケットストーブほどの燃え方ではないが、それでもよく燃えた。ストーブを囲んで暖をとりながら焼酎のお湯割りを飲み、その内にギターを弾きながら歌も出て来た。キャンプ場内でも一番端っこだったので、周囲に迷惑はかかってないはずだ。

その内に薪も無くなりテントに入り寝袋にもぐり込んだが寒くて寝付けない。翌朝は霜が降りていて、テントの屋根の露が凍結していた。寒いはずだ。

それでも久し振りのキャンプは楽しく、焚き火は癒しの時間を与えてくれたようだ。来年はもう少し早い時期に、そしてもっとたくさんの焚き木を準備しよう。




山陽路ツーリング(4)M氏のバイクにトラブル発生

2021-11-03 10:04:48 | バイクツーリング
M氏のバイク(W800)にトラブルが発生した場所はJR小倉駅にほど近い、モノレール平和通駅の横(下)。近くにウナギの有名店があり、M氏が奥さんへのお土産と、我々が帰りの大阪南港行きフェリーの中で食べるうなぎ弁当をテイクアウトするために立ち寄ったが、日曜日のせいもあったのか混雑していて注文するだけでも相当の時間がかかった。

弁当は17時に引き取りに来ることにして、それまでの間の時間潰しに若戸大橋方面に行くことにしたが、ツーリング3日目の今日になって、メンバーの顔には少し疲れの色が見える。

ところが、M氏のバイクのエンジンがかからない。5~6度セルを回している内にバッテリーがダウンしてセルも回らなくなって、万事休す。バッテリーを外せれば近所のバイク用品店で新しいバッテリ-を買ってきて交換しようと考えたが、いろいろやってもバッテリーが外せない。同じW800に乗るJ氏がユーチューブを見ながらやっても上手く外せない。押しがけならかかるかと、一度トライしたがこれも駄目。

付近にバイクショップがないかNETで探してみると、4kmくらいの場所にカワサキのショップが見つかり、M氏が電話して状況を説明。純正のバッテリーなら在庫があるということで、レッカー車で迎えに来てもらうこととなった。

M氏とバイクを載せたレッカー車の後ろを我々もバイクで走りながらバイクショップに到着したのは15時頃だった。かなり大きなバイクショップで、ショールームも整備工場も結構広い。

新しいバッテリーには充電が必要なので時間がかかったが、18時前に作業完了してエンジンは無事にかかった。その間にウナギ店まで行って弁当の引き取りを済ませ、バイクショップではサービスのコーヒーを頂いた。

少し暗くなった道を急いでフェリーに乗る新門司港に向かい、19時前には到着し、無事に5台揃って乗船することが出来た。



よく考えると故障した場所から近い場所に大きなバイクショップがあったことと、そのショップが新門司港にも比較的近距離にあったことは幸だった。若戸大橋方面やその先に行った所で故障していたらフェリーに乗れなかったかもしれない。少なくともM氏だけは帰れなかったかもしれない。4万円以上の高い出費になったが、M氏はホッとしていた。

しかしながら、3日間600Kmも走行しているのにバッテリーが上がったのは解せない。セルが回ってもエンジンがかからなかった原因は、恐らくバッテリーの電圧低下で燃料噴射ポンプへの給電が遮断されたのだと思うので、仮に他車のバッテリーからジャンピングして一旦はエンジンがかかったとしても、次の始動で同じことが起きる可能性がある。

M氏のバイクは今年の初めに買い替えた中古車だが、バッテリーについては前のオーナーから汎用品ながらも比較的最近交換したと聞いていたそうだ。そうだとすれば劣化するには早すぎるし、レギュレーターかどこかに問題があるのかもしれない。

実は笑い話になるようなM氏のトラブルがもう一つ起こった。

フェリーが大阪南港に接岸して下船する際、M氏のバイクのエンジンがまたかからなくなった。フェリーの係員に申告すると、他のバイクは先に下船するように指示されたのでスロープを下って岸壁に駐輪した。すぐにM氏を救助するためにスロープを歩いて登っていたら、M氏が乗ってヘッドライトを点けたW800がスロープを下ってきた。エンジンがかかっている。

昨晩乗船した際に係員の指示でギアをローに入れたことを忘れてしまい、エンジンをかけようとしてセルが回らなかったようだ。昨日のトラブルのことがあったので頭の中が真っ白になり、しばらくしてからニュートラルランプが点灯していないので気が付いたと、苦笑いしながら言う。

キルスイッチがOFFになっているのに気付かなかったりとか、バイクに乗っているとよくあることですがね。