振り出しに戻る「落陽日記」

旅や日々の生活の一コマ。60代半ば、落陽期を迎えながら気持ちは再び振り出しに戻りたいと焦る日々です。

ブラタモリの番組に誘われて出町柳をブラブラ

2018-05-05 18:00:06 | 日記
NHKのテレビ番組「ブラタモリ」、旅番組のようでありながら旅先の文化や歴史だけでなく地質学と言うのか地形や土木に関わることまで探求していておもしろいし大変興味深い。

毎回視ている訳ではないが最近はYoutubeで過去の番組を視ることもあり、自分でも確認のために放送された旅先に行きたくなる。

つい先日の番組では京都東山を美しきニッポンの始まりとして紹介した中に出町柳から比叡山と大文字を眺めるシーンがあった。出町付近は学生時代にウロウロした場所でもあるが最近はその付近を車で通ることはあってもそのあたりでゆっくりすることはなかった。



画像は鴨川西岸から鴨川デルタを眺めているがバックに右大文字のある如意が岳と比叡山が見える。番組によると二つの山の頂上付近の地質は泥岩が隆起してきたマグマによって熱変成したホルンフェルスで、山と山の間の少し低くなっているあたりはマグマが固まった花崗岩らしい。隆起した部分が風化によって低くなったようだ。

ホルンフェルスとはドイツ語で「角(ツノ)の石」とか。なるほど二つの山が角のように突き出ている。

番組の説明で知ったもう一つの「なるほど」は、風化して雨水と共に流れ出した花崗岩の白い石英部分が白い砂となり、比叡山麓から銀閣寺あたりを流れて川底が白く見える白川の語源となったことだ。銀閣寺の近くにあり現在は美術館やレストランになっている橋本関雪の邸宅の白沙村荘の名前も同じ白砂に由来しているんだろう。







加茂大橋付近で河川工事をしているのでベストビューではないがGWで天気も良くデルタ付近は大変にぎわっていた。何時の頃からか川には飛び石が置かれて最近はわざわざこれを渡るために来る観光客も少なくないらしい。



欧米系の男性二人がギターを弾きながら歌っていた。たまたまボブディランのI SHALL BE RELEASEDをやっていたので私も軽く口ずさみながら聴かせてもらった。

夕方くらいからの賀茂川河川敷はずっと下流の三条や四条あたりまでカップルが数メートルおきに等間隔で座っている光景が昔から有名だ。残念ながら自分にはそのような思い出がない。しかし当時はカップルとは言わずアベックと言ってたな。





河原町通りを渡って出町桝形商店街に行ってみた。何軒かはシャッターが下りていたが昔ながらのスタイルで頑張っている八百屋や惣菜屋もある。店前のベンチやビールケースに座って買った物を食べている人も結構いてそれなりに賑わっているようだ。



ブラブラ歩きながら確かこのあたりに餃子の珉珉と王将があったことを思い出し探したら王将があった。今は全国チェーンの王将も京都四条大宮が創業の場所だが出町には自分が学生の頃の昭和46~47年頃に出店したはずだ。河原町今出川の電停付近で当時の社長が餃子のタダ券を配っていたのを覚えている。



懐かしい貼り紙が今も健在なのにはビックリ。自分はこのサービスのお世話になったことはないが仕送り前になると利用する知人がいたなあ。いずれにしても王将は京都市内にどんどん出店し、安くて美味しいのでよく使った。ジンギスカンにライス、そして餃子が自分の定番だった。



川原町今出川の交差点に出たが時々行っていた喫茶店ジアルダンは無くなっている。残っているのは出町輸入食品くらいか。バイトして買ったコーヒーミルとサイホンを持っていたので時々コーヒー豆を買いに行っていたがちょっとした贅沢だった。



このあたりで一番繁盛しているのは間違いなくここだと思う。祝日とは言え店前の歩道に優に50人は並んでいたのが豆餅で有名な「ふたば」。隣の店や通行人の邪魔にならないように店の人が数人出て行列の整理をしていたが大変だ。

時間がなくて今回は行きそびれたが河原町今出川から一筋下ル西入ルに学生時代よく行った食堂があった。「なかじま」と呼んでいたがまだあるんだろうか。その内に行ってみよう。