振り出しに戻る「落陽日記」

旅や日々の生活の一コマ。60代半ば、落陽期を迎えながら気持ちは再び振り出しに戻りたいと焦る日々です。

酸ヶ湯温泉の混浴大浴場は視界不良だった

2022-11-28 14:46:18 | 旅行
三内丸山遺跡から酸ヶ湯温泉までは30キロ強で、奥羽山脈目指して登って行く感じだが、約1時間程で到着。




 
温泉の後方にある山は雪化粧を始めていた。

旅に出る前に事前学習をすると、酸ヶ湯温泉にはヒバ千人風呂と言う混浴の大浴場があることを、初めて知った。温泉施設はこの大浴場のある湯治宿の一軒だけで、温泉街があるわけではないこともわかった。入浴するならここしかない。

更にネットの画像を見ると、広〜い浴槽ではあるが割と近しい距離で男女が入浴しているではないか。お湯が白濁しているので、首から下は見えていないが、万が一若い女性が自分のそばに入浴していたらと、つい妄想してしまう。


過去に数回、混浴風呂の経験はあるが全て露天風呂で、女性は入っていないか、いても水着や湯浴み着のようなモノを身に着けていた。露天で周囲からも丸見えだからそりゃあ当たり前だが、ここは屋内だからと妄想がススム。

入浴料の千円を払ってタオルを貰い、館内に入って案内図を見ると、混浴ではなく男女別の浴場「玉湯」があったので、先ずそちらに行ってみた。大浴場が千人風呂ならこちらはこじんまりした十人風呂?で、自分以外の入浴客は二人だけ。

脱衣場で一緒になった人に大浴場の混浴について尋ねてみたら、お湯は白いし湯気が一杯立ち込め、ナニも見えない、とのこと。以前、二十代になる自分の娘さんと入浴したこともある、と聞いて少し安心?した。

玉湯を出て一度服を着て大浴場に向かった。無論、脱衣場は男女別々で、浴槽までのアプローチの階段も仕切りがしてある。広くてテニスコートくらいある浴槽(千人は無理だな)にも中程までは仕切り壁があり、女湯側は遮蔽されているものの浴槽は一つで、奥の仕切りのない部分を回ればどちらにも行ける。

ヒバの木で作られた木造の建物は天井が高く、硫黄臭と湯気が立ち込めて照明か暗く、少し離れると誰かわからない。

浴槽は多少深目でお湯は白濁しているので、首から下を湯から出さずに行き来ができる。自分も男湯側で湯に浸かっていると、ぼんやりとした湯気の中から誰かこちらに向かって来る。2メートル位近づいたところで女性とわかったので、目をそらすために慌てて向きを120度変えた。

女性は男湯側にいるご主人を探しているようで声を掛け始めた。男が女湯側に移動するのはさすがにNGだと思うが、これはOKなんだろう。浴槽の奥に進めば女湯側が視界に入るが、立ち込めた湯気で何も見えそうにない。

ネットで見た画像では浴槽を高いアングルから見わたし、湯の中は見えないものの、湯気は全く無くて明るいので男女の別までわかる。あれは広告用の特別撮影だったのか?

混浴は視界不良でちょうどよいのだ。





玉湯の近くにあった喫茶コーナーで頂いた牛タンカレーは美味しかった。そこのスタッフの人に聞くと、1週間前くらいに降雪があり、路面にも積もったとか。




温泉を後にして駐車場を出ると、端の方に積雪の跡が残っていた。酸ヶ湯と言えば寒波が到来して大雪になれば、必ず耳にする地名。この冬も間もなく聞くようになるのだろう。














酸ヶ湯温泉を出発した後、奥入瀬渓流、十和田湖を経て、今晩の宿ある玉川温泉に向かった。



縄文人のパワーは半端じゃない 三内丸山遺跡

2022-11-26 10:39:50 | 旅行
弘前の宿を朝8時に出発、一般道で37キロ離れた三内丸山遺跡へ向かった。通勤時間帯だったが渋滞らしき事はなく、1時間程で目的地に到着。大型バスで来た中学生の団体が入場していた。



予定では外部の遺跡を3〜40分間、展示資料館を5〜60分間と考えていたが、9時15分からボランティアガイドによる遺跡内の案内説明があるというので予定を変更。見学者7人でガイド氏の案内を受けた。



説明では約30年前、青森県営野球場の建設を始めたところ縄文時代の遺物が出土し、大規模な集落跡が見つかったので野球場の建設は中止に。相当な違約金が発生したらしいが当時の県知事の英断があったようで、野球場にしていたら世界遺産登録などなかったのは確かだ。





三内丸山遺跡に関するの資料では必ず見るのが復元されたこの建物で、「大型掘立柱建物」。現物を見てその大きさに改めてビックリした。6本の柱はクリの木で、直径約1メートル、高さ約15メートル。推測だが重さは2トン近くはありそうだ。





画像は柱が立っていた穴と、穴の底に残っていた柱の一部。これらから柱は直径約1メートルのクリの木で、柱を支えた穴底の土の密度から柱の重さと高さが推定されたようだ。復元の際、さすがにこれだけ太いクリの木は国内では見当たらす、ロシアから輸入したそうだ。
 
石器しかない時代にこんな大木をどんな風に切り出して、そしてどのように運んで来たのか、それを考えてみて思ったことがある。

古代エジプトのピラミッド築造の際の石の運搬や積み上げ技術は素晴らしいと思っているが、紀元前3000〜2000年のほぼ同じ年代の三内丸山の縄文人たちも似た事をやっているのではないか。

調べてみたがピラミッドの石の平均重量は2トン半らしい。1基のピラミッドで積まれた石は200万個以上あるので、出来上がるまでに20年(100年説もある)以上の歳月を費やし、千~万人単位の奴隷(新説では庶民が報酬のビール目当てに働いたとか)が使われたようだ。

建造物の規模で言えば全く比較にならないが、2トン近い木柱を運搬して建てる技術レベルは、ピラミッドの技術に近いと言えないだろうか?

当時のエジプトでは小麦の栽培が始まっていたので、狩猟採集生活の縄文人よりも食料事情は安定し(ビールもあったから?)、労働力の供給も容易だったのではと思う。

一方で三内丸山では500人程度の人口と推定されている縄文集落の人々が集まり、カズラやツタを束ねたロープで木柱を引き摺り、そして引き起こしたのだろうか?失敗してケガ人が出たこともあっただろう。思えばスゴイことをやっていたもので、縄文人の知恵、技術、パワーと言ったものが半端でなく、自分の想像をはるかに超えている。

ガイド氏によると、6本の柱を使った建物が実際にはどんな構造で、また何の目的で建てられたかは不明だが、集落の存在を示すランドマークやシンボルではなかったのでは、とのこと。遠方から丸太舟で交易に来る人が目標にしていたのかもしれない。





上の画像は復元された大型竪穴建物だが、これを見ると十年くらい前に佐賀県の吉野ヶ里遺跡に行った時に見た、高床式祭壇や集会の館を思い出した。建物の細部や建物としての完成度は弥生時代の吉野ヶ里遺跡の建物の方がが進んでいるのは当たり前だが、さらに二千年は遡る縄文期にもこれほどの大型建物が建てる技術があったのはやはり驚きだ。










大型の建物や柱以外に竪穴式住居(復元)や子供の墓、盛土なども見学して色々と想像力を掻き立ててくれたが、大型掘立柱は遺跡を後にしてからも色んな事が頭をを離れなかった。

ガイド氏の案内だけで1時間半を費やしてしまったので時遊館(展示資料館)を見る時間が無くなってしまった。折角ではあったが、屋外の遺跡を見てガイド氏の説明だけでも頭の中が満杯に近かったので、見損なった残念度は低い。

縄文人のバワーって、スゴイもんだ。半端じゃない!











弘前で見つけた宿が好かった

2022-11-20 11:57:37 | 旅行
14時半頃に着陸した秋田空港からレンタカーで一般道を走り、弘前の宿に到着したのは19時前だった。



館内に入ると懐かしい鍵のついた下駄箱が迎えてくれた。学生時代に通っていた銭湯の下駄箱がこれだったが、最近はあまりお見かけすることがない。



下駄箱の数からでもわかるように、たくさんの部屋数がある宿ではない。宿の女将さんにチェックインしてもらい、エレベーターで部屋のある二階へ。



この宿には洋室も和室もあるが、予約した宿泊サイトの画像を見て和室を選んだ。腰痛があるので本来なら洋室の方が使い易いのだが、木質の部屋の雰囲気が見たくなって和室を選んだ。狭いながらも一人で使うならホテルにある洋室よりも落ち着き、居心地も良かった。





バスルーム(少し小さいバスタブ)と洗面台、トイレは別になっていて使い易い。最近までのホテルはこの3つがワンユニットになっているのが当たり前で、今でもビジネスホテルでは主流だと思うが、なるべく別室の方が良い。二人で泊まる場合などは尚更だ。

この宿で特筆すべきは予約制で使えるお風呂が別にあり、30分間を貸切で入浴できること。3人くらいまでは入れる浴槽と洗い場があるそこそこの広さの浴室に、一人で入っていると贅沢な気分になる。4時間近くのドライブ疲れも洗い流せて気持ち良かった。 

最近の新規ホテルには共用で中規模の浴場を備えた物件が増えているように思うが、自分の場合はホテルを選択する際の重要な要素のひとつになっている。部屋の浴室とは風呂上がりの快感が大きく違うと思う。





朝の7時から食堂で朝食を頂いた。メインは魚(鯖?)の味噌煮で野菜の煮付けに他一品。普段の朝食と同じようなボリュームで、高い宿泊料を払っているわけではないので充分だと思う。



セルフサービスのコーヒーと一緒にいただいたフルーツは、パリッとした食感から梨かな思ったが、後で女将さんにリンゴだと聞いた。名前も聞いたが難聴のせいでよく解らず、後日調べると地元青森県産の「トキ」で、近年出来た交配種らしい。甘くて美味しいが、リンゴの食感とは思えなかった。

この宿は自分のように旅での利用者よりも、定宿にしている出張者の方がはるかに多そうで、同じ時間に朝食に来ている人は女性の方が多かった。

朝食の配膳をしていたのがご主人のようで、宿は家族で経営されている様子。宿全体の作りに客をもてなす気持ちが表現されていて、アットホームな雰囲気がある。自分にはもう一度来る機会はないかも知れないが、ひとり旅にはピッタリの宿だった。


今回のみちのくひとり旅は次の理由から思い立った。
①全国旅行支援の恩恵に与ること
②JALマイレージの有効期限が迫っている
③東北地方に行ったことのない場所が多い





そこで旅程は3泊と決め、以前にも数回利用したJALの「どこかにマイル」に申し込み、伊丹⇔秋田便が決まった。訪問地は思案の末、青森まで足を伸ばして三内丸山遺跡を見た後に温泉巡りをすることにした。秋田空港から三内丸山遺跡に向かう途中の宿泊地として弘前を選んだが、弘前が観光目的だったのではない。

宿にチェックインした後、旅行支援でもらった地域振興クーポンを持って弘前駅前の居酒屋へ。



地元名物のイガメンチ、嶽きみ(スイートコーン)の天ぷら、そしてイカの炙りを食べ、ビール、ハイボールの大ジョッキを飲むともらったクーポン(¥3000)では足が出た。
 
好きなモノを誰にも遠慮せず好きなだけ食べる、これがひとり旅の醍醐味のひとつだ!
















設備や乗り心地は快適だが料金がちょっと高いオレジフェリー

2022-11-14 22:34:01 | バイクツーリング
四国カルストでフェリー組と自走組の二手に分かれたが、フェリーを予約した1か月前の時点ではJ氏1人が自走で帰宅の予定だった。1週間前になってM氏がJ氏と一緒に自走で帰ると連絡があり、続いてT氏からもフェリーをキャンセルしてほしいとの連絡があった。





過去4回(九州2回、山陽路、山陰路)のツーリングは全員が九州からのフェリーで帰宅した。今回の四国からだと距離が短いこともあるのだが、フェリー代金が九州からよりも逆に高いことも彼らが自走を選んだ理由だったようだ。

自分としては3日間走って疲れも出てくるので帰りは安全で楽なフェリーが良いのだが、このあたりは個人差があるようだ。愛車は前世紀の旧車の上にライダーは古希を迎えた高齢者。無理はしないで安全第一だ。

自走組は分かれた後に丸亀のビジネスホテルで一泊しているが、同じ泊まるなら船旅を楽しみながらの船中泊も楽しいと自分は思っている。



大阪行きのオレンジフェリーが発着する東予港に到着したのは暗くなる前の17時半。乗船券の発券開始が18時で乗船開始は20時から。そして出港は22時。到着が早いと待ち時間がかなり長くなるが、暗い道を走るのは避けたい。






今までに乗った九州大阪間のフェリーの船室は大部屋タイプのエコノミーか、カプセルホテルのような二段式ベッドのツーリストしかない。オレジフェリーには大部屋タイプはなくて、最低料金の船室がシングルで、これを利用した。ベッドに小さなデスクと椅子だけだがドアは内側からロックができ、完全個室だ。

カプセルタイプのような窮屈さは無く、寝ていても大部屋タイプではありがちな機械の振動や音は感じることなく、快適に寝ることができた。大浴場は洗い場が多く、使いやすい。ラウンジは広く作られて、テーブル間の距離もかなりある。

I氏と風呂に入った後、乗船前にコンビニで買っていたツマミやオニギリをラウンジに持ち込んでミニ宴会。缶ビールの自販機は無く、船内レストランにあった生ビールのセルフサーバーでビールを調達(¥500)。

就航して間もない大型化された新造フェリーなので設備は整っていて、8時間の船旅は快適だった。付け加えるなら、バイクでの乗船時の待機時間や下船時の待機時間が、今までの経験では最も短くてスムーズだった。乗用車の乗船や下船を脇に見ながらバイクの側で長い時間を待機させられるのはイライラするもんだ。

今までに乗った九州航路のフェリーとは曜日や時期による料金体系が違い、また同等の船室は無いので料金の比較は難しいが、自分が払った料金は¥15420。土日料金でシングルルーム1人が¥9600と、バイクが750cc未満で¥6300、WEB予約したのででシングルルーム料金だけが5%offで合計¥15420。

九州から帰るとして同じ日に新門司港から名門大洋フェリーの新造船(19時50分発第2便)をWEB予約して利用すると、同等に近い船室(個室、TV洗面台付)で¥14040、カブセルタイプで¥11560。17時台に出港する第1便だと更に1割ほど安く、大部屋利用なら¥9121で済む。WEB予約だと第1便が30%off、第2便が20%offになる。しかもバイク料金も割引に含まれる。

四国航路はオレジフェリーがほぼ独占しているが、九州航路は数社が運行しているので競合によって各種の割引がされ、安くなるのかも知れない。

また、名門大洋フェリーをはじめ九州航路の各社は全国旅行支援を受けてさらなる割引やクーポンの配布があるが、オレジフェリーには今もってなく、旅行支援の適用を避けているかのようだ。旅行支援があればさらにお得なツーリングになり、全員揃ってフェリーに乗ったかもしれないのに。

全国旅行支援が話題になる前から計画して予約していたとは言え、何故に旅行支援がないのか、不思議であり残念だ。









天空のツーリングロード、四国カルスト高原

2022-11-09 14:20:58 | バイクツーリング
四国の高い山と言えば石鎚山や剣山で、標高は2千メートル近くあるが、四国カルスト高原は1千4百メートル位の標高がある。昨年秋にやはりバイクで訪れた山口県秋吉台のカルスト台地は4百メートル位なので、かなり高い場所になる。

雲の上の町と呼ばれる梼原から四国カルストに向かうと、雲の上のさらに上、正に天空にあるカルスト高原である。





2年前には車で来たが、その時にいずれは自分のバイクでここに来て走りたいと思った。そしてそれが実現でき、念願が叶った訳だ。

少しだけ心配だったのは、旧年式の我が愛車は気圧変化に弱いキャブレター仕様のアメリカンバイク。ヘアピンカーブの続く登り坂は特に苦手だが、後続バイクにせっつかれながらも無事にたどり着けた。ご苦労!




他のメンバーも一人ずつ撮影したが、あまり上手くは撮れていない。コンパクトデジカメにグリップ代わりに装着したミニ三脚を握ってバイクを追っかけるが、難しい。

それでも放牧中の牛もチラッと撮れて、カルスト特有の景色がよくわかる画になった。


2年前には資料館のような建物に立ち寄ったが、カルストテラスと名前を変えて館内の展示形式もスッキリし、展望デッキが拡大されていた。





また、以前はなかったコーヒーが販売されていて、テラスから遠くの太平洋を眺めながらの一服も悪くない。


この後で私とI氏は他の3人と別れ、カルスト高原を大洲方面に下り、大洲、内子、砥部を経て今夜の大阪行きフェリーで帰るために東予港に向かった。







別れた3氏は松山方面に下り、今夜は丸亀で宿泊。翌日は瀬戸大橋を渡って陸路で帰るのだが、3日間ぐらいではまだ乗り足らないようだ。