振り出しに戻る「落陽日記」

旅や日々の生活の一コマ。60代半ば、落陽期を迎えながら気持ちは再び振り出しに戻りたいと焦る日々です。

池の数が合わない忍野八海

2019-05-26 10:24:16 | 旅行
山中湖に行ったら忍野八海も見るといいよと、ヨメは友人に言われたらしい。Y氏夫妻とホウトウを食べた後でY氏の車に乗せて頂いて忍野八海に向かった。

以前、富士五湖や箱根方面には行ったことがあるが忍野八海は初めてで、富士山の雪解け水が地下水となって湧出する池が8か所ある程度の予備知識しかない。世界遺産に登録された文化遺産である富士山の構成資産の一つなので、それなりの期待もしながらの忍野八海だった。





先ず圧倒されたのは観光客の多いこと。それも中華系の言葉が多く飛び交い、日本語はたまにしか聞こえてこない。それでも最初に見えた池を覗き込むと水は綺麗で透き通っていて、錦鯉などが泳いでいる。水車小屋や島まであり、池のそばにある大きなお土産屋も古い日本家屋風に造られている。お土産屋も外国人観光客で一杯だ。



細長い池のそばの説明を見ると8つの池はそれぞれが霊場で、竜神が祀られているようだ。



池の底をのぞくと錦鯉の他にキラキラするものがあり、よく見るとコインが投げ入れられているようだ。コインを投げないように注意書きが外国人にもわかるように書いてあるが、時には池から回収でもしているのだろうか。





幾つかの池を見て回って底抜池だけ資料館の中にあり、資料館の入場料を払わないと見られなくなっている。私有地の中にでもあるのだろうと思ったが、出入りする人の姿もあまりない。ここだけ金を払うのもバカらしいので無視した。





ここまで来て既に見た池と無視した池を合わせて8つになったはずだが、そばにあった忍野八海全体の案内図を見ると1km離れた場所にもう一つ出口池と言うのがある。数え間違いだったのかなと思いながら駐車場に戻り、出口池に向かった。



ここはひっそりとして、わざわざ訪れる人も少ないようだ。


帰宅してから池の数のことを思い出してNETで調べてみると、ビックリすることがわかった。最初に見た池は八海の池ではなく、お土産屋を経営する土地の所有者が自分で開削した人工池だった。一番良い場所で一番広く、周辺の建物もそれらしい造りなので、知らないとてっきり八海の一つだと思う。案内図にも表示されていない。

無視した資料館の中にも底抜池の他に人工池が一つあるらしい。私有地なら商売のために池を造っても法的な問題はないかも知れないが、人工池だと知ってだまされたように感じたのは自分だけだろうか?大勢の外国人観光客も恐らくは気付いてなく、人工池の沢山の画像が忍野八海として紹介されているのだろう。

世界遺産の看板の裏でえげつないモノを見てしまった。







山中湖まで行ったのに富士山を拝めず

2019-05-22 18:58:39 | 旅行
マレーシアでロングステイされているY氏夫妻と初めて会ったのはチェンマイの日本食の店で、7年前のことだ。その後マレーシアのお宅にお邪魔したり、当方の自宅に寄ってもらったりとお付き合いをしていたが、ここ数年は双方の都合が合わずその機会がなかった。

今回は山中湖にあるマンションに一時帰国された機会に会いましょうということになり、日程を調整した上で山中湖まで車ででかけた。名神高速、新名神、伊勢湾岸、新東名と高速道路を乗り継いで静岡を過ぎたあたりから富士山が見えないか期待したけれども雲がかかって見えない。

御殿場で高速道を下りて山中湖へ向かうが、ここでも雲があって富士山が見えない。上空は青空が出ているところもあるのに残念だ。

湖畔にあるレストランでY氏夫妻に合流して、昼食にホウトウを食べた。土曜日のためか客が多く、席につくまでかなり待たされたが、その間も積もる話があって苦にはならない。



初めて食べるホウトウだが、結構ボリウムがある。これは戦国武田軍団の野戦食だったとY氏から説明があった。


7年前に初めてY氏に会った時、当方は会社を定年退職した直後で、チェンマイでロングステイをする希望を持っていた。Y氏はたまたまマレーシアからチェンマイに遊びに来られたタイミングで、ロングステイのノウハウみたいなことを色々と教えて頂いた。

当方は息子が結婚して孫ができたりで、結局ロングステイの夢は実現せずに毎年1~2回ショートステイをするだけになってしまったが、その中でもY氏のアドバイスは生かされている。現地で同じ日本人の滞在者と食事をする時はワリカンにする。具体的な年金や貯金の話はしない。現役時代の会社の話はなるべくしない。


昼食の後、当方の希望で忍野八海に連れて行ってもらい、その後でマンションを訪問してお茶をいただいた。

忍野八海を紹介する写真にはは富士山とセットになったものが多いが、富士山はまったく顔を出してくれなかった。マンションのテラスからも普段なら富士山が望めるとのことだったがやはり見えず。

Y氏夫妻とはマンションでお別れをして、当方は近くのホテルに投宿。翌朝、レストランで食事中、富士山頂上の冠雪した部分が数分間だけ見えたが、結局今回の旅で富士山の全貌は拝めず仕舞いになった。まことに残念。



画像は気の毒に思ったY氏がLINEで送ってくれたものだ。






愛車スティードが故障、セルモーターが回らない

2019-05-19 05:15:52 | 日記
GWの最中、天気も良いので久し振りにバイクで走って見ようかと思った。ここのところスクーターにはよく乗っているが、スティードには1月以来だ。自宅の駐輪スペースが狭いためスティードを路上に出すには車を移動させたりとか結構面倒くさい

しばらくエンジンも回していなかったので、先ずはガレージに置いたままエンジンをかけてみた。セルを3回ほど回したがエンジンはかからず、バッテリーも弱っていたようでセルも回らなくなった。少し時間をおいてから再度トライしてもセルが回らない。

仕方ないのでバッテリーを外して充電することにした。バッテリーは交換してから4年近くはなるのでソロソロ交換の時期かも知れない。

翌日、充電したバッテリーを装着してセルボタンをおすが、カチッカチッと音がするだけで、何度やってもセルモーターが回らない。ウーン、困った。

バッテリーの寿命が尽きかけて電圧が不足しているか?バッテリーを脱着した際にどこかの配線のカプラーがゆるんだ?昨日は回ったのにセルモーターが突然故障?


いろいろと考えてはみたが、ネット検索で思いつくキーワードを入力して類似の事例を読み漁った。そうするとスターターリレーと言う部品が故障した可能性もあることがわかった。


そこで先ず最初に車のバッテリーからブースターコードでスティードのバッテリーに繋ぎ、セルボタンを押してみた。セルモーターは回らず、カチッカチッと音がするだけで、バッテリーの問題ではないことはわかった。

次に今まではその存在すら知らなかったスターターリレーを探した。バッテリーのすぐ上にあり、バッテリーのプラス極からの端子とセルモーターに繋がる端子があり、その両端子の間をブースターコードで直結してみた。





コードが触れただけでバチッと派手に火花が飛び、あわてて離してしまったが、セルモーターが反応したような音がした。今度は火花が怖いので軍手をはめて再チャレンジするとセルモーターが回った。イグニッションキーはOFF にしていたのでエンジンはもちろんかからない。

これで原因はスターターリレーの故障だとわかり、交換すべく早速アマゾンで探した。よく似た形状の汎用部品で¥2300のヤツをポチッ。



右側が故障したヤツで左側が新品。ゴム製のホルダーごと交換するようだ。

早速に装着してセルボタンを押すとセルモーターが回り、エンジンもかかった。めでたしメデタシ!

ネットで調べていて色々なことを初めて知った。セルボタンでバッテリーとセルモーターを接続させるのかと思っていたが、セルボタンはスターターリレーを作動させるスイッチで、セルモーターを作動させるスイッチはリレーの中にあり、二段階になっていた。

セルモーターは大きな電力を使うので、なるべく配線を短くしてロスを少なくするためらしい。セルボタンのあるハンドルまわりに太い配線を避けることも出来る。

自分でやってみると勉強になる。


今年も賀茂川河川敷で葵祭ピクニック

2019-05-16 16:55:47 | 日記
昨年同様に今年もS氏夫妻と葵祭ピクニックに出掛けた。

当家は電車で北山まで行き、自転車で来ていたS氏夫妻と植物園前で13時に合流。賀茂川にかかる北山大橋西詰の南側の河川敷に陣取って、それぞれ持参の手弁当を広げた。







両家の弁当を合わせると、祭りにふさわしい鯖寿司、稲荷、出し巻き、唐揚げ、その他、なかなか豪勢なランチになった。S氏が倒れないようにマタグラに挟んでいるのはシャンペン。横には未開栓の赤ワイン。それに缶ビールが6本ある。


土手の上の加茂街道に上賀茂神社に向かう祭列の先頭が現れたのは15時前くらい。



祭列の先頭部分だけ土手の上に登って見たが、あとは河川敷に戻ってワインを飲みながら海道を通過する祭列を眺めていた。本日の主題はピクニックでお祭りは副題なのだ。



ビールはあまり飲まないようにしていたのだが、この頃になって尿意をもよおしてきた。しかしながら河川敷に公衆トイレはないのでS氏の自転車を借りて北山大橋東詰にある京都府の土木事務所まで行ってトイレを借用した。ここには公衆トイレとしてご利用くださいと看板が出してあり、助かる。

トイレを済ませて加茂街道まで戻ったらちょうど斎王代の輿が通過したところだった。



今年の斎王代は親友のK氏の細君の姪御さん。斎王代に選ばれるのは名誉なことではあるが、相当な出費も伴うらしい。つまりは親族のK氏も相応の祝儀を包むことになるはずで、ボヤキが聞こえてきそうだ。

それにしても祭り日和と言っていい好天で、気持ちの良い一日だった。



ピクニックをお開きにしたのは17時過ぎだった。

みちのく岩手の旅(5)中尊寺と毛越寺

2019-05-10 10:46:34 | 旅行
岩手の旅から帰って1ヵ月が経とうとしているが、まだ旅の最終日をまとめていなかった。

遠野の伝承園から南花巻温泉郷に向かい、2泊目は温泉宿に泊まった。翌日が最終目的地の平泉であり、今回の旅の第一目的地でもあった。奥州藤原氏の栄華を物語る中尊寺は以前から行ったみたいと思っていた。

NHKの大河ドラマ「源義経」を視た中で当時の日本では僻地となる東北地方に栄華と繁栄を極めた平泉と言う場所があったことを知り、深く印象に残った。大河ドラマはタッキーの出演した「義経」ではなく、尾上菊之助が義経を演じた50数年前の「源義経」のこと。自分は中学生だったが親父が歴史好きのこともあって一緒に視ていた。





駐車場から大木に挟まれた参道を上がって行くと昨日の雪がまだ残っていた。左右にある幾つかのお堂に立ち寄りながら500メートル近く歩くと中尊寺の本堂がある。







本尊の釈迦如来坐像にお参りをしていると、隣の人はタイの寺院でよく見るが上半身を深く折り曲げて両肘と額を床にくっつけてお祈りをしていた。外国人の観光客も少なくないようだ。

本堂から更に上がって行くと博物館となる讃衡蔵があり、そこで金色堂の入場券を購入。金色堂は階段の上にあった。





金色堂は覆堂と呼ばれる風雨を避けるための建物の中にあるが、創建当時には覆堂はなかったようだ。現覆堂は約50年前に建てられた空調完備の鉄筋コンクリート製だが、それ以前の古い覆堂は少し離れた場所に移築保存されている。金色堂は撮影禁止になっていた。

頻繁に行くタイでは金色に輝く仏像や寺院などは珍しくないが、日本では鹿苑寺金閣とここぐらいか?覆堂が無く、青空の下で緑の木々に囲まれた金色堂の姿が仮に見られたらどんなに素晴らしいだろう、と想像してみた。

讃衡蔵の展示物を見て回ったが、金色堂には今も藤原清衡、基衡、秀衡のミイラ化した遺体と泰衡の首級が安置してあることをそこで知った。副葬品などの展示もあったが、藤原氏を滅亡させた頼朝の軍勢は破壊や略奪をしなかったと言うことになる。その後も本堂やお堂は失火で焼失もあったらしいが、金色堂が長い間盗みや破壊の対象とならずに残っていることは素晴らしいと思う。

藤原氏の繁栄をもたらした要素の一つは領地内に金鉱があったことだとは思うが、その財力でもって仏教を厚く信仰することがなければ今に残る文化はなかっただろう。

金色堂の周辺には松尾芭蕉と宮沢賢治の歌碑があった。






中尊寺を下って、毛越寺へ行った。





寺ではあるが広大な池とその周囲に寺やお堂が配置され、いくつかは跡が残っているだけだ。

浄土庭園と呼ばれる池とその周辺の景色は、今は4月と言えどもみちのくはまだ冬景色。花の一つもまだ咲いてなく、浄土庭園と呼ぶには少し物悲しい感じだった。