振り出しに戻る「落陽日記」

旅や日々の生活の一コマ。60代半ば、落陽期を迎えながら気持ちは再び振り出しに戻りたいと焦る日々です。

「どこかにマイル」を使って山形に(1)河北町の紅花資料館

2019-11-29 14:14:39 | 旅行
せっかく貯めたJALのマイレージの有効期限が近づいて来たので、「どこかにマイル」の特典旅行に使うことにした。今年の4月には伊丹から花巻まで使ったが、以前にも鹿児島、大分まで行ったことがある。

今回は希望の日程を入力して、行き先の候補地として三沢、函館、秋田、山形で、東北以北の4ヶ所が揃ったところで申し込んだ。一人で温泉でもと思い、三沢なら酸ヶ湯温泉、函館なら湯の川温泉、秋田なら乳頭温泉、山形なら銀山温泉あたりを想像していた。

申し込んだ翌日にはJALから返事が届き、自分としては4番希望の山形に決まった。思い通りにはならないのは、いつも通りだ。仕方ない。

26日(火)昼過ぎ、山形行きE-170は伊丹空港を離陸した。搭乗率は8割くらいか。



飛行中、どのあたりかわからないが、雪を被った山々が見えた。11月末にしては雪が少ないように思える。



追い風に巧く乗ったか、1時間ほどで山形の街並みが眼下に見え始め、定刻よりも15分も早く山形空港に到着した。







空港からは予約していたレンタカーを受け取り、河北町にある紅花資料館に向かった。東北では南端の山形とは言え、近畿に比べると北に位置するので、太陽が随分南にあることが感じられる。





資料館は江戸時代にこの地の名主を務めた堀米家の邸宅跡で、堀で囲まれている。この地で生産される最上紅花の商いで財を成したそうだ。中学か高校の授業で習った記憶がかすかにあるが、紅花は酒田港まで最上川の舟運で運ばれ、更に西回り航路で上方まで運ばれて着物の染料や化粧品の原料として使われていた。







園内を回るとここに紅花が集積され、加工されていた様子がわかる。また、実際に紅染を体験できる工房もあり、季節的には紅花の時期ではなかったが、温室の中に栽培されている紅花を見ることができた。







この紅花の交易によって発展し、富が集積されることによって、逆にこの地に京や上方の文化がもたらされただけでなく、名主が組織した農兵の部隊もいたようだ。大筒などの武器も展示されていたが、仮想敵は何だったのか、よくわからない。化学染料などが広まる明治の初期まで、大層な繁栄をしていたことは間違いないようだ。


宝塚西谷の森公園から福知山線廃線跡をウォーキング、そしてサツマイモ

2019-11-25 15:00:55 | 日記
11月の初旬に大阪であった高校時代の関西在住者同期会で、MA君からハイキングに誘われた。同じ会に出席していたMI君とK君の3人で年に一度くらい、近くの山に登ったりしているようだ。

日曜日の朝9時JR福知山線の宝塚駅に集合して、三田方面に向かう電車で武田尾駅まで行った。ここから阪急バスで県立宝塚西谷の森公園に向かう。今日のコースナビゲーターは宝塚に自宅のあるMA君。

狭い山道に入ったバスが新名神高速道の下をくぐり、しばらくすると家屋が点在する山里に入った。県道にある公園入口バス停を左折し、間もなくすると西谷の森公園の西口に到着。6kmほどで410円のバス代は安くない。

西口からは小高い山の上にある展望台を目指して登る。距離は約1300メートルほどで標高差はあまりないが、やはり途中からは汗が吹き出してくる。



展望台からは360度の眺望が確保されて見晴らしは良い。海まで見えるかと思ったが南には六甲連山が立ちはだかって邪魔をしている。周囲の山々は紅葉で色付いてキレイだ。



展望台からは岩場を下るが、登山靴を履いて来て良かったと思う。馬の背になった岩盤を経た先にあった、テーブルを備えた峠の東屋で昼食をとった。

4人とも郷里の同じ高校を卒業した後、実家を離れて大学に進学して関西系の企業に就職、そのまま関西に住みついている。40年前から始めた関西在住者の同期会で年1回会う程度だが、話題は当然郷里に関することになる。

昼食後は公園の東口まで下山してバス停(公園口)まで移動。阪急バスに乗って武田尾駅のひとつ手前のバス停(武田尾)まで行った。乗客は我々4人のみ。



従来の福知山線の宝塚~三田区間の山間部は武庫川渓谷沿いを走り、複線化や電化が困難だったので、生瀬~道場駅の新ルートに敷設した新線に切り換えたのが1986年。同時に廃止された旧武田尾駅があった場所の近くから生瀬駅の約1km手前まで、廃止された福知山線の廃線跡がある。

武庫川の河岸にコンクリートでテラスが広がり、その脇にある橋を渡ると廃線ルートの入口になる。



武庫川の渓谷の左岸沿いに枕木の残る線路跡を歩いて行くことになるが、多少歩きにくい。しかし臨場感いっぱいのためか、昔ここを蒸気機関車やディーゼル機関車が客車を引いて走っていた情景が、くっきりと頭の中に描かれる。



渓谷沿いの紅葉がキレイに色付いて、見応えのある景色が続く。春は桜もキレイらしい。



グループで来たり子供を連れたハイキングの人も多く、我々のように武田尾側から生瀬に向かって歩く人より逆方向に歩く人の方が2~3倍は多く感じる。但し廃線入口までは武田尾側のアプローチの方が容易なので、廃線の途中で折り返している人も多そうだ。

トンネルを何本か通ると少し長い鉄橋を渡り、そこからは武庫川の右岸を歩くようになる。結果的に見どころの多いのは、この鉄橋までのように思える。



トンネルの中は真っ暗で、懐中電灯がないと足元が全く見えない。トンネルもビミョーにカーブしていたりして、出口がなかなか見えてこない。

武田尾側には線路脇に休憩したりシートを広げて昼食のとれるスペースが所々あったが、生瀬側に近づくとあまりない。結構疲れたなア、と思ったころに生瀬側の出口に到着したが、そこにルートマップの看板があった。



ここからは生瀬駅まで国道に沿って1km以上の距離がある。歩いて来たのは路跡なのでアップダウンのないルートだが、その前に西谷の森の山に登っていただけに足に疲れがどっと来た。トータルで18千歩ぐらいにはなっただろうか。


西谷の森公園で出会ったハイカーは、ほんの数十人程度と少なかったが、廃線ルートには何百人ものハイカーがいた。紅葉はどちらもキレイだったが、廃線ルートの方が圧倒的人気のようだ。

嬉しいことがあった。西谷の森公園東口から阪急バスの公園入口まで歩いている時、K氏が東口の休憩所に帽子を置き忘れたことに気付き、戻って行った。その間、3人で道端をブラブラしながら待っていると、近所の家から出て来たおばさんに、大きなサツマイモを1本ずつ頂いた。「重たくなって悪いけど持って帰って」と。K氏が帽子を見つけて戻って来ると、もう1本家から持って来てくれた。



帰宅したら偶然にもヨメがスーパーで3本のサツマイモを買ってきていた。比べるまでもないが、もらった方が何とデカイこと。いいお土産になって、食べるのが楽しみだ。おばさん、ありがとう。
















今年2度目のホーチミン(3)戦争証跡博物館

2019-11-23 13:50:42 | 旅行


中学2年の頃、友人の家で彼の兄さんからベトナムで起きている内戦のスライドを見せてもらったことがある。解放戦線の側から撮影された画像で、彼の兄さんは何らかの反戦活動をしていたのだと思う。ちょうど米軍が北爆を始めた頃で、スライドを見て南ベトナム政府軍や米軍がベトナムでやっている酷い事はよくわかり同情心はあったが、遠く離れた場所のことで自分が何かしようとまでにはならなかった。

そして米軍がベトナムから完全に撤退して南ベトナム政府が瓦解してたのが1975年で、自分はちょうど大学を出て就職した年になるが、それまでベトナムに関するニュースは比較的関心をもって見ていた。

今回、戦争証跡博物館に行ってみて既に忘れていることも多かったが、また改めてベトナム戦争の酷さを感じざるをえなかった。館内には戦争による死亡・不明者数が約330万人とあったが、これは第二次大戦での日本の死者数を上回っている。圧倒的に優勢な武器で抑え込もうとしたが、それでもベトナムでは勝てなかったと言うことなのだろう。








米軍や南ベトナム政府軍が使った戦車、それに対地攻撃用のヘリや攻撃機が庭に展示してある。若い頃にプラモデルで作ったような物ばかりなので、それらの名前や装備などを詳しく覚えてはいるが、このような場所で見ると少し冷めた気分になってしまう。





館内にも銃火器やロケットランチャー、迫撃砲などが並んでいた。これらは写真に撮れたが、カメラを向けるのははばかられる展示写真や展示物もあった。



枯葉剤の散布によってもたらされたダイオキシン汚染による障害が、現在でも発生しているのは周知の事実。散布した側の米軍関係者でも発症しているようだ。

それと大量にばら撒かれたボール爆弾の不発弾や対人地雷の爆発は、今なお起きているようだ。



このような展示物のある博物館に足を運ぶには、多少躊躇する気持ちもあったが、やはり悲惨な戦争の事実を自分なりに見ておくことは大事かなと思った。

結構多くの来館者がいたと思ったが、日本人を含むアジア系の人は少なく、圧倒的に西洋人が多かったと思う。街中で見る観光客はそうでもないのに、たまたまだったのかも知れないが。






今年2度目のホーチミン(2)毎日散歩したホテル周辺の景色

2019-11-15 18:14:00 | 旅行
毎朝、7時前後の朝食前に散歩に出掛けた。

近くに5方向から道路が集まる、ロータリーになった交差点があった。信号機がないので各方向からたくさんのバイクや車が集中して、大混雑している。



横断歩道はあるものの信号がなくてバイクの流れが途切れないので、道路を横断するのは至難の技。自分は横断しようとしている地元の人の脇に並びながら一緒に渡るようにした。とにかくバイクが多く、時には歩道を走るヤツや、道路の端を逆走するヤツもいて、油断ができない。

これだけバイクが多いとこんな商売もあるのか、と思ったのがロータリーの脇で見た「空気屋」?



エアーコンプレッサーを路上に置いて、空気の減ったバイクのタイヤに空気を注入する商売だ。工具箱も置いていたので、場合によってはブレーキの調整などもしているのかも知れないが、街中を歩くとこの商売を結構目にする。


このロータリの一角は、肉を販売している店が集まっていた。見た感じでは豚肉のようだ。





実際に販売している場面は見なかったが、スマホを向けていたら店のおばちゃんに「NO!」と怒られてしまった。

ロータリーから伸びる道路沿いには大きな街路樹が並んでいる。恐らくフランスの植民地だった時代に道路が整備され、街路樹も植えられたのだろう。その下では所々に屋台が出て、朝食を商っている。この屋台はバインミーを10Kドン(約50円)で売っている。他の屋台でもそうだが、店主は必ずポリ手袋をして調理している。当局がしっかり指導している感じだ。






ロータリの西側には公園があって、朝から多くの人が集まってバドミントンや体操みたいなことをやっている。その公園にはバドミントンのできるコートが3面あったが、1面ではシャトルコックを足を使って蹴る、「ダーカウ」と言うゲームをやっていた。ちょうど右側の真ん中の女性が蹴ったところで、シャトルが中央の木の左側に白く見える。



ベトナムでは結構盛んなスポーツのようで、学校の体育授業でもやっているらしい。タイではセパタクローをやっているところを見ることがあるが、あれはサッカーとバレーボールを合わせたような感じで、ダーカウは足でやるバドミントンだ。

下の画像は他の公園で撮ったものだが、公園には必ずこのような運動器具が設置され、暑い日中は別として、朝夕は誰彼となく使っている。



日本の場合、自宅の周辺は児童公園ばかりなので仕方ないが、あるのは子供用の遊具ばかりで大人の使えるものがない。市営の体育館まで行けばあるが身近にはない。安全面を心配してなのかもしれないが、日本の公園にも、せめて大人がぶら下がれる鉄棒くらいはあっても良いと思っている。



今年2度目のホーチミン(1)タンディンでジーンズの裾上げ

2019-11-11 13:02:06 | 旅行
6月にヨメと二人で行ったホーチミンだが、10月下旬に再び二人で行ってきた。

用事や特段の目的があったわけではなく、違う日常の中に身を置きたかっただけかも知れない。前回はホーチミンに駐在している後輩や元同僚に会って食事などもしたが、今回は連絡もせず、会うこともしなかった。

前回宿泊のホテルは悪くなかったが、今回は別のホテルで5泊。朝は遅めの朝食をホテルブッフェでゆっくりと1時間かけて、尚且つしっかり食べ、あとは夕食までは間食ていどで済ませてお金をかけないようにした。





ホーチミンの到着翌日はホテルのシャトルバスに乗って、中心部にある聖マリア大聖堂まで行き、そこからタンディン教会とタンディン市場に行った。大聖堂は長らく改装工事中で内部には入れないが、工事のための囲いが前回よりも少なくなっていた。工事完了まで近そうだ。



ここからはGrabを使ってタンディンへ向かったが、途中から激しいスコールがやって来てタンディン教会近くのカフェに入って1時間近くの雨宿りになってしまった。ここの教会はピンク色のキレイな外壁だが、見学は時間帯が決まっているようで、外から見るだけにした。





教会から歩いてすぐの場所にタンディン市場がある。ここの利用者は地元の人が中心で、観光客の多いベンタイン市場に比べると店からの呼び込みも少なく、客引きなどもない。



ここではナッツを買うつもりで、予めネットで調べていた店を探した。店名で探したら割とすぐに見つかり、カタコトの日本語ができる若い女性のスタッフがいた。



カシューナッツが欲しかったが皮付きのものしかなくて希望とは違ったが、試食もさせてもらったので少しだけ購入した。この店にはお茶も置いてあったので、バタフライピー茶があるか尋ねたがないとのこと。他の店舗も見て回り、後日ベンタイン市場でも探したがどこにも置いてなかった。来年のチェンマイステイまではお預けだな。

買わなかったが美味しそうな干しエビがある。



実はこのタンディンまで来た理由はもう一つあって、ホーチミンに来る数日前に日本で買ったジーンズの裾上げをすることだった。



日本市場から撤退するフォーエバー21の閉店セールで1300円ぐらいで買ったが裾丈の補整サービスはなく、ホーチミンへは裾を折り返して穿いてきた。よく行くチェンマイでは店前にミシンを置いて衣服の補整をやってくれる店が多くあるので、こちらにもあるだろうと思ってネットで調べてみた。

そうすると前回、後輩の駐在員K氏に連れて行ってもらったバインセオの美味しい有名店のすぐ横にあることがわかった。それもタンディン教会の向かいの路地を100mくらい入った場所だ。



タンディン市場で買物をしている間に補整してもらって、代金は40Kドン、日本円で200円弱だった。日本だったら千円はとられたと思う。