振り出しに戻る「落陽日記」

旅や日々の生活の一コマ。60代半ば、落陽期を迎えながら気持ちは再び振り出しに戻りたいと焦る日々です。

バイクのユーザー車検を受けたが見事に不合格(3)

2017-10-29 09:25:06 | 日記
結果を先に言うと、やっとこさ合格に漕ぎ着けた。

台風21号が予想より早く東に去り、天気が回復したので車検場に出掛けた。2回目の受験手数料1300円分の印紙を購入して受付を済ませ、車検ラインに並んだ。光量対策はやったので自信はあったが多少ドキドキしている。

計測器の前で検査が始まりエンジンの回転を上げてヘッドライトを照らすと側にいた検査官が「少し上を向いている」と言ったので「ここで下げてもいいですか」と言ってから両手でライトを下向きに少し押した。以前から両手で力を入れれば動かせる程度にネジを調整していた。

すると電光掲示板にXが点灯して検査官が「下げ過ぎたなア」。不合格となり別の検査官がいるBOXまで進み書類を渡すと「33」と記入された。質問すると10m先を照らした場合に水平から33cm下を照らしているとの回答。光軸の基準は水平から下に20%、上に10%の範囲内なので恐らく15cm程度下がり過ぎなのだろう。

前回検査の1回目には光軸の指摘を受け、整備後の2回目には指摘は光量だけだったので光軸は大丈夫と思いヘッドライトは固定していた。何かの理由でズレたのかもしれない。

いずれにしても光量は配線キットの効果で基準をクリアできたのでひとまずは安心だ。駄目だったらバッテリーを新品に交換しようと考えていたがそれは必要なくなった。

で、近所のバイク店まで行ってガレージの壁を借りて店主と光軸を水平になるくらいまで調整して再び車検場に戻り検査ラインに並んだ。

計測器の前で検査が始まりエンジンの回転を上げるが電光掲示板にまたまたXが。今回は側に検査官がおらず、BOXまで前進して書類を出すと「前の検査より光軸が下がっている」と「40」と記入された。エーッ、何で?

検査官は「二輪は座り方、ハンドルの持ち方でも光軸は変わる」とジェスチャーを含めて説明してくれた。

こちらは頭の中がまっしろになったが、同じことを繰り返しても合格は難しいことは自明なのでテスター屋で調整するしかないと思った。テスター屋とは二輪だけでなく四輪も含めて車検を受ける前に車検場と同じ計測器を使って光軸やスピードメーターなどの調整をしてくれる業者だ。

テスター屋は車検場の近くにあることが多いがネットで調べると京都の場合は見つからず、20km離れた寝屋川にあるテスター屋まで走った。

ここで大事なことがわかった。計測器の前には直線の進入線と前輪を止めるストップ線が描かれているが車体が真っ直ぐになるように何度も修正させられた。そして着座位置とハンドルを握る姿勢も何度も確認された。検査官の言葉と重なる。

そしてヘッドライトの向きを細かく調整しながら「これでも100%確実ではないので、駄目なら何度でも調整します」とテスター屋の整備士さん。

検査場に戻って検査ラインに入ると「今日は3回目だからこれで不合格なら明日以降の再検査になります」と言われながら進入ラインに沿って計測器の前に。

ところが検査を始めても電光掲示板がなかなか◯にならないどころかXに。その時に側にいた検査官が「少し左に向いている」と言ってハンドルをほんの少し右向きにアシストしてくれた。そこでやっと電光掲示板が◯に。


検査前は光量も光軸も甘く考えていたが実際はかなりシビアな検査だ。2年後の車検も、テスター屋の世話になったとしても1発合格は難しいかもしれないと思うと憂鬱だ。しかし良い勉強にはなった。

バイクのユーザー車検を受けたが見事に不合格(2)

2017-10-28 10:47:31 | 日記
ヘッドライトの光量が基準(15000カンデラ)の半分にも満たないことを改善しないと車検に合格できないことがわかった。実は昨年このバイクを友人から購入した後に社外品の新品ヘッドライトに交換している。以前のやつは同じく社外品だが一応前回の車検にはパスしている。

旧に戻すのも一案だと思い仕舞っておいたヘッドライトを取り出してみたが口径が小さく反射鏡の輝きは衰えていて、とても基準の光量を満たすようには思えない。他県の車検場とは言えこんなのでパスできたなんて不思議だ。

ネットでいろいろと調べてみると光量不足の原因としてバルブ(電球)やバッテリーの劣化と共に配線やスイッチ類の劣化もあげられていてバッテリーとヘッドライトを直結することで光量がUPするらしい。また、そのための配線キットも「ヘッドライトブースター」などの名称で各種販売されているようだ。

早速二輪用品販売店までバイクを走らせて店のスタッフに尋ねると配線キットがあった。
スタッフにスティードのバルブも見てもらうと少し青色の入ったバルブだったが透明に代えた方が方が良いとのことで併せて購入した。計9500円也。


自宅に戻ってからすぐに取り付け作業に入ったので現物のキットを写真に撮るのを忘れた。下は付属の取り付け図だが、バッテリーからヘッドライトにバイパスを通すようなイメージだ。


キットの一方はバッテリーの端子にそのまま接続してリレーとヒューズは工具入れの空きスペースに納まった。


配線は車体左側だと燃料コックなどと干渉するので車体右側にまわしてタンクとエアークリーナーの間を通した。タンクを外してタンク下に配線したい所だが今回は取りあえずで済ませた。キットの全長は1800cmあり、私のスティードでは30cmくらい余裕があったため、その分はシート下に収めた。



ヘッドライトの後部にカプラーが増えたので見苦しいがハンドル操作に干渉しなければ良しとしよう。いずれは防水のためにも対策が必要だろう。




作業が終わったころには薄暮になっていてエンジンをかけてみると格段に明るくなっていた。たぶん、これなら車検も大丈夫だろう。


バイク用品店のスタッフの話では店で受け付けたバイク車検は認証工場ではないため車検場に持ち込んでいるようだ。その際に旧年式でヘッドライトの光量に不安のあるバイクの場合はこの配線キットを持参し、不合格の場合は車検場で配線をセットして再車検に臨んでいるようだ。なるほど。

台風が近づいていて明日から雨模様なので台風が去ったら車検場に行ってリベンジしよう。







バイクのユーザー車検を受けたが見事に不合格(1)

2017-10-22 16:52:45 | 日記
今月末に車検の期限を迎えた我が愛車のスティード。昨年、友人から購入した97年式の中古車で、2年前の車検はその友人がやはりユーザー車検で更新していた。私にとっては初めてのユーザー車検だ。

幸いに自宅から5kmの場所に京都南車検場があり、事前に提出書類の購入と簡単な下見をしておいた。自賠責保険は近所のバイク店で加入して保険証の準備もOK。

このバイク店とは8月末に九州ツーリングに出掛ける当日フロントブレーキに不具合が見つかり、あわてて修理してもらったのが初めてのお付き合い。店主が私と同年であることがわかり、それからも時々訪問してユーザー車検の情報も少しいただいた。

もちろんNETからもユーザー車検に関する情報を集めたことは言うまでもない。


早めに書類は準備したのだが来客があったり雨が続いたりで天気予報を見て前日にNETで車検の予約を入れて車検場に行ったのは10月中旬過ぎ。

受付を済ませて検査レーンに行くと前には大型トラックが順番待ちで並んでいた。


順番が来てレーンに入ると若い検査官が来たので、先ず初めてのユーザー車検であることを告げ、「よろしくお願いしま~す」

車体番号の確認、そして左右のウインカー、ブレーキランプ、ホーンの作動確認のあと車体の何か所かを金づちで叩きながら目視でも検査をしている。OKのようだ。

それが終わるとバイクをローラーのある溝に前進させて、前後のブレーキの制動確認。これもOK。

続いてスピードメーターの検査で前輪が乗るローラーが回転を始めてスピードメーターが40kmを指したらホーンを鳴らさなければならない。このバイクのスピードメーターは時々針が止まったままでスピードケーブルをしごいたりしないと動かないことがあるが、今朝は家を出た時から動いていて問題なくOK。

途中で検査官がアクセルを回してエンジン音を確認していた。マフラーは社外品に交換していて現在の音量基準では不合格だと思うが旧年式なので何も言われなかった。

最後の検査がヘッドライトの光軸光量検査で、ここで引っ掛かるケースが多いようだ。バイク店主も何度か苦労したことがあると言っていた。

鏡のような計測器の正面からハイビームにしたヘッドライトを当てて少しだけエンジンの回転を上げた。5秒くらいしただろうか、横にいた検査官が「光軸が下を向き過ぎだ」と言うのでヘッドライトを上向きに手で修正しようとしたが計測器が計測を中止してしまった。そして電光掲示板にXが表示。

指示に従って前方にあるBOXにいた別の検査官に書類を出すと「光量不足、バルブかバッテリーかジェネレーターの不良だろう、4時までならあと2回再検査できます」と言われ、あえなく不合格。

取りあえずいつものバイク店で対策をと思って直行して不合格を報告。光軸が下を向いていた分だけ光量が不足することもあるとの店主のアドバイスと自分ではエンジン回転をもっと上げればと思ったので早速作業にとりかかった。念のためバルブも店主のバイクの予備バルブを借用交換して店のガレージの壁にヘッドライトの光を当てて光軸の調整。

で、車検場に引き返して2回目の光軸、光量検査にチャレンジ。今度はエンジンを走行時ぐらいまで回転を上げて計測器に当てること10秒。またもや電光掲示板にXが表示。ガックリ。


BOXまで前進して検査官に尋ねると光量が基準の15000カンデラに対して6400カンデラしかないとのこと。これでは話にならん。

1回目の検査時には光量値を聞かなかったが6400以下だったのに間違いない。後のまつりだが聞けば良かった。横にいた検査官から最初に指摘された光軸のことを重視してしまったようだ。

6400ではドロ縄的な対策をしても合格は無理だと悟って今日の4時までならもう1回できるはずの再検査もギブアップ。不合格の書類を持って受付に行き、後日再検査したいと言うと係の人は「4時までなら」と言いながら6400カンデラの数値を見て「ああそうだね」と言うような顔をしていた。

受付では2週間以内なら不合格項目の検査を受けられる「限定更新」の検査票と限定検査証を発行してくれた。日を改めての再検査は手数料が1300円かかるが仕方ない。取りあえずバイク店主に報告に行かなきゃ。

昔の質感がそのまま残る犬山城の天守閣

2017-10-06 15:56:47 | 日記
想像していたよりはこじんまりしていた犬山城。前日には300メートルを超す金華山の山頂にある岐阜城の天守閣から持参の双眼鏡で犬山城を探したが確認できなかった。各務原の航空自衛隊飛行場まではよく見えたがその先にあるはずの犬山城はわからなかった。


城の手前には三光稲荷神社、針綱神社、猿田彦神社の三社が城をガードするように並んでいる。少し離れて犬山神社もある。犬山城近道と書かれた看板が置いてあるお稲荷さんの鳥居から入ると神社の裏口が登城路につながっていた。ついでと思ってお賽銭をあげて参拝したが上手く誘導されたもんだ。


戦国時代に築城され江戸時代は尾張徳川藩の重臣の居城だったが平成の代までその重臣の末裔が個人で所有する城だったそうだ。現在は城の維持保存のために設立された財団法人に寄付されているが、国宝に指定されたこれだけの歴史遺産を管理するだけでも大変なことだろう。


柱や床、急峻な階段、ほとんどが建築当時のままでが質感が直接伝わってくるのが素晴らしい。この城と比較するとすれば彦根城や姫路城など、建築当時のまま残存する城になるが、ここは壮大でもなく豪華でもなく質朴とした感じだがそれが良い。

コンクリートで再建された城は遠くから眺め、そして展望台として城に登ってみるのも悪くはないが昔の質感や空気感があまり伝わって来ない。それならば石垣だけが残され草の茂った城跡にたたずんで昔を想像する方がまだ楽しい。


天守閣からは城山の脇を流れる木曽川が下に見える。犬山城の別名を李白の詩にある「白帝城」と呼び、江戸時代に荻生徂徠が名付けたらしい。「朝辞白帝彩雲間」50年前に習った幾つかの漢詩の中ではよく覚えているやつだ。

自分で想像していた白帝城とは随分違う感じで、どう見ても木曽川が峡谷の急流に見えない。が、野暮なことは言うまい。

次に来る機会があれば早朝に木曽川の対岸から城を眺めてみたい。少しは白帝城に見えるかもしれない。




岐阜城に登って信長の気分に

2017-10-04 15:09:20 | 日記
東海北陸自動車道がまだない頃、大日岳やひるがの高原でのスキー、せせらぎ街道越えの高山行きの場合、どうしても岐阜市内を通過する必要があった。そのたびに金華山のてっぺんにある岐阜城を見て、一度は登ってみようと思っていたことが今頃になってやっと実現した。


登ったと言っても山頂まではロープウェイだ。登山道も複数のルートがありハイキングがてら歩いている人も少なくない。


昔のサラリーマンとも言える城詰の役人達はわらじだけで毎日この山を登り降りしたかと思うとぞっとする。よくぞ現代に生まれけりだ。TVの健康番組で信長はふもとにある居館から毎日登っていたと言うがホントかなあ?

美濃の中心にあり斉藤道三の居城で稲葉山城と呼ばれたていたが後に織田信長が攻め落として自分の居城として名前も岐阜城と改めている。城から周りを眺めるとここを拠点としてやろうと意気込んだ気持ちがわかるような気がする。




北方の山間部は別として南方には今で言う濃尾平野がずっと見渡せて、現在でこそ住宅ばかりだが大きな山もなく当時は限りなく田畑や雑木林ぐらいだったのだろう。平野には大きな木曽川、長良川、揖斐川の三川が流れ、治水も大変だったけど農作物は豊潤だったに違いなく、為政者としては魅力的だ。

信長が天下布武を掲げて統一事業に着手することができたのもこの城を奪取したことが大きいはずだ。


山のふもとには長良川沿いに川原町と言う古い町並みがあった。長良川の水運の中心となる港町だったようで江戸時代には木材や和紙、その他工芸品の取引が盛んであったようだ。

信長が出した政策である楽市楽座の場所かと思ったがその場所は1kmくらい南になるらしい。

この後、犬山城に向かった。