振り出しに戻る「落陽日記」

旅や日々の生活の一コマ。60代半ば、落陽期を迎えながら気持ちは再び振り出しに戻りたいと焦る日々です。

唐津の虹の松原を見て昼食は呼子で活きイカの刺身

2017-05-28 12:35:59 | 日記
田原坂を見た後、佐賀市内に行き投宿した。

翌朝は唐津の虹の松原まで北上。


ここは静岡の三保の松原、敦賀の気比の松原とあわせて日本三大松原と言うらしい。長く続く松林と砂浜が綺麗だが松林の植生密度の濃さがかなりのものだ。防風はもちろんだが防砂の役割の期待度も高そうだ。

はるか西に唐津城が見えたが、修復工事でもしているのかそばにある大きなクレーンも見えた。



呼子に移動して漁港を見た後、昼食に玄海というお店に入った。やっぱりここではイカをたべなきゃと、活きイカ刺しの定食だ。画像にはないがしばらくしてイカ焼売もついていた。

刺身はコリコリとして美味い。刺身を食べ終わると下足と残った胴体の部分を塩焼きにしてもらった。希望すれば天ぷらにもなる。

大型バスが3台も入っていたが団体は別会場のようだ。バスガイドさんらしき女性3人が我々の隣で食事をしていた。


お店の駐車場からは名護屋大橋が見えたがこの橋を渡る前に呼子大橋を渡って加部島に行った。玄海灘の風や波をブロックして呼子の港を守っている島だ。

島にある「風の見える丘公園」から見た呼子大橋だが後ろには名護屋城跡も見えてなかなかの景色だった。


田原坂西南戦争資料館に行った

2017-05-25 07:37:09 | 日記
司馬遼太郎の「翔ぶが如く」を初めて読んだのは20年以上も前になるが、戦地になった田原坂や熊本城、西郷終焉の地の城山に行ってみたいと思った。熊本城と城山には仕事のついでに行く機会を得たが田原坂にはその機会がなかった。

今回は日田で昼食の後、菊池を経て植木に入った。そこから田原坂に向かうと官軍墓地や薩摩軍墓地などの案内表示が見え始めた。

立派な資料館があり中に入った。



一部にはレプリカがあるが銃器などは現物が陳列されている。スナイドル銃やエンフィールド銃、そしてスペンサー銃などは興味もあり、ここではじっくりと見られて良い。両軍の持つ武器の性能差は歴然とあるのに薩摩軍が粘れたのはやはり戊辰戦争を経験した士族の軍隊だったからか。

それにしてもあの時代に生まれなくてよかった。

資料館前の展望台からもう一つの激戦地、吉次越え方面を見た。田原坂も吉次越えも熊本と北九州を結ぶルートになるわけだが、薩摩軍も熊本城攻めにこだわらずにさっさと北進していればここは戦場にはならなかっただろう。

ただそれでも寝返るような官軍部隊が現れない限りは九州の外までは拡大しなかったであろう。熊本鎮台から薩軍への同調者が出ず、そして熊本城を早期に潰せなかった時点で結果は明白と言える。


こんなタイトルの観光パンフレットが熊本市観光振興課が出されていました。美少年と言うのは薩摩軍に同調した熊本協同隊幹部の高田露のことで、アニメキャラになっていた。いかにもくまモンを生んだ熊本らしい観光宣伝とは思うが、多くの戦死者や遺族を生んだ戦争に「恋する」のはいかがと思う。

来てもいないのに不在にされたS急便のお荷物問い合わせ

2017-05-23 11:40:24 | 日記

家内に続いて私もスマホに乗り換えるため、Yモバイルをオンラインで申し込んだ。受付が終わりS急便にてスマホを出荷したと言うメールが届いたのが21日の19時過ぎで、翌朝早速ネットでS急便のお荷物問い合わせに追跡用の番号を入力してみた。

既に配達営業所に届き配達に出ているようで午前中には手元に届くだろうと思い家の前を通る車の音や玄関のチャイムが鳴らないか気にしていた。お昼前後には玄関を出てDM類をとるためにポストをのぞいてみたりした。



で、結局届いたのは13時20分頃で、宅配業界も人手不足と荷物の増加で大変だから午前中配達は難しいのかぐらいに思っていた。そして届いた荷物には午前中の印字とシールが貼ってあった。

但しスマホが届いてもYモバイル側で配達が完了したことが確認できなければ番号移行手続きが進まないので配達完了になっているかどうかネットのお荷物問い合わせを確認してみた。



ところがビックリ。13:23に配達完了にはなっていたが12時に配達に来たが不在だったとの記録がある。

今か今かと待っていたのでチャイムを聞き逃すわけもなく、ポストには不在票も入っていなかった。午前中と指定した送り主に対しての報告になるのでしょうが配達に来てもいないのに受取人を「ご不在」としてしまうなんてビックリ。荷物が多くて捌き切れないことは理解し、多少遅れることも止むを得ないと思うが、受取人を勝手に「ご不在」にすることは問題だなあ。

日田の咸宜園跡に寄ってから昼食に焼きそば

2017-05-22 09:08:11 | 日記
早朝の5時半定刻に新門司港に着岸したフェリーを下船し、無料の送迎バスに乗って小倉駅に着いた。8時に山口から来た友人のY氏と合流してレンターカーを借りて日田を目指した。

日田には約40年前に得意先の店舗があり数回行ったことがあるが仕事をしただけで他のことには興味もなかったから記憶が全くない。

日田が江戸時代に天領であったことや広瀬淡窓なる人が咸宜園と言う私塾を開いていて大村益次郎など多くの人物がそこで学んだことを知ったのは大分後のことだった。それ以来、行ってみたい土地の一つになった。




咸宜園跡に建つ秋風庵とその中の掛け軸。著名な入塾者の名前がある。そばには咸宜園教育研究センターという資料館のような施設があり、塾や淡窓のことだけでなく日田のこともよくわかる。

日田は地形的には盆地であり中央に筑後川の上流となる三隈川が流れている。来るまでは山に囲まれた小さな盆地というイメージが強かったが平野部が思った以上に広く、山々も意外に遠いことに気がついた。天領だけにそれだけの収穫はあったのだろう。

昼食は名物の日田焼きそばを食べにチェーン店の「想夫恋」の本店に行った。12時前だったがかなり広い店内は8割がた以上が既に埋まり流行っていた。

豚肉ともやしを炒めたソース味でボリュームがあった。一口目はソースの味を強く感じ最後まで食べるとしつこくなりそうだと思ったがそんなことは無く完食できた。もやしのあっさりした味が調和させているのかもしれない。

小ライスはサービスで付けてもらったがこれで¥800(税別)。箸袋の裏をみるとビックリ、九州一円に数十店舗が展開され、京都にも1店舗が。その内に誰か誘って行ってみよう。

フェリーで九州へ

2017-05-21 10:10:18 | 日記
大阪南港から九州の新門司港を結ぶ名門大洋フェリーに乗って九州に行った。既にブログにあげたように今月末にはJALのどこかにマイルを使って鹿児島に行くことになっているが、フェリーでの九州行きは4月上旬に友人と決めていた旅行だ。


名門大洋フェリーの九州便は17:00発と19:50発の2便があり、今回は17:00発の第1便をネットで予約して乗船した。単身で行って小倉で山口からの友人と合流してレンタカーで日田、田原坂、唐津、名護屋、平戸を回る予定だ。

一番安いエコノミーの部屋がネット割引30%OFFで¥4660だったが私の部屋は14人定員で3人しかいなかった。何組かの韓国人のツアーグループも乗船していたが全体的には空いている感じだ。

18時過ぎには明石海峡大橋の下を通過した。



この後、瀬戸大橋や来島海峡大橋の下を通過してイルミネーションが綺麗らしいがビールを飲んで眠りについていた。

九州を回った後の帰りは新門司港発19:50の第2便に乗った。こちらはネット割引20%OFFの¥5100だが第2便の船は新造船で第1便より☆一つ上の感じだ。上級の部屋が多く、エコノミーの部屋は2室しかなくて8割がた埋まっていた。

所要時間は12時間半で退屈ではあるが往路は展望浴場を利用し、帰路にはシャワールームを利用した。鉄道や飛行機と違ってこのあたりは汗を流して着替えができて大変便利だ。

往路では軽四ワンボックスで自分のルーツを訪ねるという田川出身の同室男性と話をしたが、途中で私と同学年であることがわかった。

帰路ではヘルメットを携えた若い男性が隣の席だったのでバイクの話題になった。福岡から三重県の長期滞在のゲストハウスに戻るところだと言っていた。

ゆとりのある時間を使う旅にはフェリーの利用も悪くないと思った。