振り出しに戻る「落陽日記」

旅や日々の生活の一コマ。60代半ば、落陽期を迎えながら気持ちは再び振り出しに戻りたいと焦る日々です。

出雲のたたら遺跡巡り(3)可部屋集成館と櫻井家庭園

2018-05-28 09:05:52 | 旅行
昼食をとった後、奥出雲町を更に南下して可部屋集成館に到着したのは15時を過ぎていた。

可部屋は松江藩から鉄師と呼ばれた製鉄業者の中でも鉄師頭取を何度も務めた名家らしい。同様の鉄師名家で絲原家の絲原記念館と言う施設も見たかったのだが時間の関係でこちらに絞った。

可部屋は屋号で創業者は大坂夏の陣で豊臣方で戦い討死した浪人、塙團右衛門(直之)の嫡男直胤。櫻井は母方の姓で福島正則に仕えたが改易された後に可部(広島市)、さらに山深い新市(庄原市高野町)に移り住み野だたらを始めた。

そして團右衛門の孫(三代目直重)の代に奥出雲の地に移り松江藩からも鉄師としての業績を認められるようになったようだ。

櫻井家住宅の前に建つのが可部屋集成館で櫻井家所蔵の歴史資料、書画、茶器の展示を見ることができる。



歴代の松江藩主を始め文人墨客などの賓客も多かったようで優れた美術工芸品が残されている。展示を一通り見て住宅に向かった。







住宅の中に足を踏み入れるとここでも生活用具や家具置物を見ることができる。現在の当主さんの住まいでもあるようで、ご婦人のすがたをチラッと見かけた。

住宅を出て奥に進むと藩主などが来駕した際の御成門や駕籠を置いた庭石がある。



庭の左手には七代藩主松平不味公を迎える際に造成された滝があり、不味公から「岩浪(がんろう)」と名付けられたそうだ。裏山のどこかにある水源から導水してきているようだが砂鉄採取の「鉄穴(かんな)流し」の技術があれば容易いもんだろう。



ここは山奥の谷あいにあり、周囲の山が色付く紅葉の時期にはになればこの鉄師の庭園も更に見応えがありそうだ。