振り出しに戻る「落陽日記」

旅や日々の生活の一コマ。60代半ば、落陽期を迎えながら気持ちは再び振り出しに戻りたいと焦る日々です。

出町柳のついでに白川疏水(疏水分線)へ

2018-05-07 12:33:12 | 日記
同じブラタモリの番組の中で哲学の道を歩きながら脇を流れる白川疏水(疏水分線)が賀茂川や白川の流れとは逆方向へ流れていることを紹介していた。自分も昨年の4月に哲学の道に来た時そのことに気が付いていてブログにも書いた。

今回は出町柳まで来たので足を伸ばして白川疏水の高野川との交差地点から銀閣寺道あたりまで行ってみた。足は125CCのスクーターだったが疏水だけ見るのなら自転車か徒歩の方がベターだと思う。

疏水が完成した当時は高野川をサイホンで交差させて松ヶ崎方面へ流れていたそうだが、現在はサイホンは使われず高野川に合流させているとのことで、どのようになっているか見たかった。疏水は高野川の左岸を走る川端通りの手前50メートルの地点でトンネルに流れ込んでいてカメラで撮影したが帰ってから確認すると写っていなかった。ガッカリ!



画像は手前の四角い出口から疏水の水が高野川に流れ込んでいる様子。疏水と高野川の交点から50メートルくらい下流になる。



犬を水遊びさせている人が立っている浅い堰のような所の直下にサイホンが通じていたと思われる。ひょっとすると堰ではなくサイホンの構造物の一部だったのかもしれない。



この画像は川の対岸、松ヶ崎側の白川疏水のスタート地点。

ところで高野川で疏水が中断されているのでこの水はどこから?高野川から取水?すぐ北側には京都市水道局の松ヶ崎浄水場があり、画像左側の小さいトンネルは浄水場からの流入水かもしれないが。

ついでに調べてみるとここ松ヶ崎の浄水場の水源は琵琶湖の水で、哲学の道が始まる若王子で琵琶湖疏水から取水して地下導水管で運ばれている。浄水場ができた昭和初期は白川疏水から取水していたのだろうと思う。



対岸に戻って疏水沿いの道を上流(南東)に進んで行くと叡山電鉄の線路、続いて北大路通と交差している。たくさんのお地蔵さんは何だろう?

すぐ近くには叡電の茶山駅があるが20歳の学生時代、このあたりにあったボロアパートに1年間住んでいた。10年前位に探したことがあるが見当たらず、どこにあったかすらわからなかった。



18歳で初めて京都に来て下宿した場所はここから更に北の修学院の端で、通学には叡電の宝が池駅を利用していた。下宿近くには銭湯がなく風呂に行くために叡電に乗ったが、膝の上に洗面器を置いて座っているのは自分だけではなくてフツーの光景だった。

当時の叡電は京福電鉄経営の叡山線だが集電装置はパンタグラフではなくポール式の車両で戦前の製造になる旧式だった。電車が架線の分岐点を通過するたびに車掌が後部の窓を開け、ロープでポールを引っ張っていたなあ。




更に進んで東鞍馬口通を過ぎると北白川の地に入り、古くからの高級住宅地だ。画像は昨年撮ったヴォーリーズ設計による駒井家住宅で疏水の横に建っている京都市の指定文化財だ。ここだけではないが疏水沿いには桜が多いのが良い。



御蔭通を渡ると疏水の両側にあった道は左岸だけになり、緑の木々が一段と深くなった。正面には吉田山が見え右手には京都大学のグラウンドがある。



ここは志賀越通の手前だが道路を挟んで疏水に落差がある。スクーターで来れたのはここまでで後は歩いたのだが、疏水は東にカーブして今出川通りの北側に出る。



このまま銀閣寺方面に進めば白川と疏水の交差点に出るが、スクーターを置いたままでは行きにくいので今回はここでFINISH。