振り出しに戻る「落陽日記」

旅や日々の生活の一コマ。60代半ば、落陽期を迎えながら気持ちは再び振り出しに戻りたいと焦る日々です。

月山富田城跡まで来たが膝痛で登頂は断念

2018-05-21 13:27:24 | 旅行
大山を下って月山富田城跡に向かった。ルートの途中には足立美術館があるが10年近く前に行ったことがあるのでパスした。広い駐車場に大型バスが多数いた。

月山富田城跡を入力したカーナビの案内に従って車を進めたが目的地まで残り僅かの所で山道に入り、道路が極端に狭くなった。離合できる場所もあまりなく、前進を躊躇するぐらいだ。

それでも幸いに対向車もなくて城跡案内の看板のある場所に到着。中腹まで登ったようだ。



右手下方に一軒家があり、隣接する駐車場が見えたのでそこに駐車したが他に2台の車があった。軽トラックのそばにいた地元の男性に尋ねると自分達は裏道を通って来たようだ。帰りは駐車場からこのまま下ったが狭いながらも道幅に余裕があり、飯梨川沿いの広い道路に出ると歴史資料館もあった。





山中御殿平から本丸のあった山頂を眺めた画像だが、ジグザグに山頂に至る道が見える。15分位で登頂できるようだが生憎と膝が少し痛むので断念。
ここには城主の居館があったようだがかなり広い。



石垣の近くに井戸があったが柵などの安全設備は無い。石垣は尼子の時代のものではなく、毛利氏や吉川氏の所領になったころに整備されたらしい。

ここから川に向かって少し下った太鼓壇には尼子の家臣、山中鹿介の銅像があるようだがそこも膝痛で断念。

歴代の尼子氏頭領よりも知名度は高いように思われる山中鹿介、NHKの大河ドラマだと太閤記や秀吉、毛利元就、軍師官兵衛などにも必ず登場してくる。尼子家滅亡後もお家再興を願いながら織田軍の一翼となり上月城で毛利軍と戦うものの降伏開城。捕えられ移送途上で謀殺されるまでのストーリーは戦国時代ドラマでは欠かせないシーンだ。

日本五大山城の一つの月山富田城は想像よりは低い山だったが立地としては山陰エリアの中央にあると言える。当時のこあたりは日本有数の鉄の供給地であり石見の銀山にも近い。一時的ではあるが山陰から山陽地方にかけての覇権を握っただけの条件は備えていたのだろう。