振り出しに戻る「落陽日記」

旅や日々の生活の一コマ。60代半ば、落陽期を迎えながら気持ちは再び振り出しに戻りたいと焦る日々です。

5人で宮津の富田屋へ

2019-03-30 18:52:24 | 旅行
いつもだったらバイクツーリングで出掛けるところだが、3月上旬でまだ寒く、翌日は雨の可能性があったので2台の車に分乗して行った。



M氏のツーシーターのベンツとJ氏のBMWの2台だが、M氏のベンツの助手席に交代で乗せてもらう試乗会?を兼ねている。天気が良かった往路は日が陰り始めた夕方まではオープントップで走行した。走行中の風切り音も意外に小さく、トンネル内を除けばドライバーのM氏との会話もフツーに出来る。



富田屋に到着したのは予定より遅れて17時30分くらいになり、12畳くらいの和室に5人で入った。18時くらいから食事と思っていたが食堂の席が埋まっていたようで、結局18時40分くらいまで待たされた。呼ばれたので食堂に行ったが、入り口には席の空くのを待っている人が何人かいた。



いつもながら料理の数が多い。刺身に天ぷら、塩焼き、煮物と海鮮料理中心でカニの足やハサミもついている。料理がどんどん出てくるので、どんどん食べて皿を空けてゆかないとテーブルの上に料理が置けなる。その内にイスの上にも置いたりする。





宿泊客の料理はコースになっているが、メニューを見ると単品の料理も安くて豊富にある。ビールや酒をしっかり飲んで料理で腹一杯になったが、T氏以外は完食とはならず。もったいない。

翌朝は宿の向かいにある系列の喫茶店でモーニングサービスが朝食になる。







昨晩は部屋に戻ってから持ち込みの焼酎を飲みながら車やバイクの話になる。男ばかりだから当然◯◯の話も混じる。但し、話し声が他の部屋にも筒抜けになるので23時前には切り上げた。

風呂もトイレも洗面所も共用で、寝具は昔の民宿レベル。羽毛布団しか知らない人には無理だろうが、キャンプのことを考えると御の字の宿だ。宿代と朝夕食代、持ち込んだ焼酎の代金を入れても7000円でお釣りが来た。




世界遺産登録されている「大板山たたら製鉄遺跡」ですが(2)

2019-03-23 15:06:41 | 旅行
2015年に文化遺産として世界遺産に登録された「明治日本の産業革命遺産 製鉄・製鋼、造船、石炭産業」の中の23の資産の内の一つが「大板山たたら製鉄遺跡」になる。

23の資産は岩手県から鹿児島県までの8エリア(8県)にまたがり、明治日本の産業革命遺産のストーリーに従って寄せ集められたように見える。逆に言うと世界遺産をばら撒いたようにも見える。

資産の中には萩城下町や松下村塾のように、産業遺産なの?と思わせるものや、実際には一片の鉄も生み出さなかった萩の反射炉もある。

また、製鉄関連では釜石の橋野鉄鉱山、韮山反射炉、鹿児島の旧集成館、官営八幡製鉄所があり、萩反射炉と大板山たたら製鉄遺跡も含むと思われるが、ここで少しだけ違和感を感じることがある。

製鉄の産業革命がテーマであれば、古代中世以来の日本の伝統的な製鉄手法であるたたら製鉄から、高炉や反射炉を用いた西洋の製鉄手法への転換を指すと思うのだが、何故にたたら製鉄が産業革命遺産に登場するのか。生産性の低い和鉄から洋鉄に切り換えて日本の国力を高めようとしたのが明治日本の産業革命ではないのか。

明治日本の産業革命遺産の(公式?)サイトによると、長州藩が萩の恵美須ヶ鼻造船所で建造した木造洋式帆船の丙辰丸の鉄釘や鉄の部材に大板山の鉄が使用されたとある。正直なところ、それで世界遺産?と感じる。



操業の度に炉を構築して三日三晩に渡って砂鉄と木炭を天秤鞴で空気を送りながら燃やし続け、そこから玉鋼や鉄を造り出すたたら製鉄は伝統的産業遺産として重要だと思う。明治の中頃までの身近にあった鉄製品は殆どがこの方法で造られていたはずだ。現在も日本美術刀剣保存協会では年に1回たたら製鉄を操業して日本刀の文化を伝承するための玉鋼を生産し、全国の刀匠に配布している。

日本遺産と言うのがあり、ここには「出雲国たたら風土記」としてたたら製鉄に関する遺産が登録されているが、島根県石見地域や山口県の遺産は含まれていない。そして大板山のたたら遺跡だけは世界遺産だが、これもおかしくないか?

実際に大板山まで足を運んでみたので、たたら遺跡としてしっかり保存されていることはわかった。これも世界遺産登録のお蔭で、それはそれで結構だと思うが、やはり産業革命遺産ではなく伝統的産業遺産として他のたたら製鉄遺跡と併せて見て欲しいものだ。







遺跡の傍に墓地があった。ダム湖に水没しないよう、この場所に改葬されたようだ。備後や出雲から来て働いていた人やその家族の墓だが、操業中の事故や病気で亡くなり故郷に帰ることなくここに埋葬されたのだろう。出雲のたたら技術があってこそ大板山が成り立っていたように思える。


世界遺産登録されている大板山たたら製鉄遺跡ですが(1)

2019-03-16 10:08:56 | 旅行




昨年の5月に出雲地方のたたら遺跡を巡った後、図書館の書物やインターネットで製鉄の歴史を調べている内に、郷里の山口県にもたたら遺跡があることを知った。須佐のホルンフェルスに行った翌朝、レンタカーを大板山たたら製鉄遺跡まで走らせた。

場所は萩市の中心部から県道11号線を東北に向かい1時間弱、住所は萩市紫福(しぶき)になるが、14年前の平成の大合併以前は阿武郡福栄村だった。タブレットのグーグルMAPに表示された電話番号をカーナビに入力したが市役所にある部署だったようでナビの役にはたたず、タブレットを見ながら運転した。遺跡や城跡をカーナビで探すとよくある事だ。

紫福地区まで来ると流石に世界遺産、わかりやすい案内標識やノボリが随時現れて迷うことはなかった。30数年前に造られた山の口ダムのダム湖に沿って上流に進むと遺跡の管理棟があった。



スタッフの女性が二人いて、遺跡を紹介するビデオのスイッチを入れてくれた。



ビデオは東京大学が所蔵している「先大津阿川村山砂鉄洗取之図」にテロップを入れて作成した10分くらいのモノだが分かりやすくて良い。この絵図はNETで視たことがあるが江戸時代末期に描かれたそうで長さが46メートルもあるそうだ。18~19世紀の長門の国での砂鉄の採取からたたらによる製鉄、針金の製造過程などが描かれ、出雲地方のたたら製鉄の模様が描かれた「玉鋼縁起」同様、鉄の製造過程をよく伝えていると思う。



ヒノキ林の向こうに遺跡が保存されているが、遺跡があったと思われる南半分はダム湖に水没してしまったようだ。



元小屋と呼ばれる製鉄作業全体を管理する事務所があった場所だが、パネルを通して遺跡を見ると建物が浮かび上がる仕掛けがあった。



高殿と呼ばれる製鉄炉があった場所で、左右にある2ヶ所の木枠が天秤ふいごの跡で、中央が炉の跡。炉の下には地中の水分を逃がし、炉の熱をキープするための地下構造物があるはずだ。



高殿の回りには川の水を引き込んで砂鉄を洗浄したり製鉄炉から引き出された鉧を冷却するための池がある。敷地の向こう側に川が流れているが、ふいごを動かしたり鉧を砕くために水力を利用した水車などの形跡はないようだ。



少し高台に炭焼き窯の跡があったが、周辺の山中にもたくさんあるのだろう。

記録ではここのたたら場では1751年~64年、1812年~1822年、1855年~1867年の3度操業していたそうだ。燃料の木炭を調達するために周辺の山々の木材を切り尽くす度にたたら場を他の地域に移動して、山林資源が復活した頃に再び戻って来たと思われる。

原材料の砂鉄は石見から海路で奈古まで運ばれ、そこから人馬によって山道を越えて来ている。製品の鉄はその山道を逆に運ばれ、海路で萩や下関に出荷されたと想像できる。

ここ大板山でたたら製鉄が始まる以前にも、ここから更に東北方向の津和野や日原に近い山中の白須山や鈴野川などでたたら製鉄は行われたようで、遺跡も見つかっている。絵図の名前にもなっている大津阿川はここからは西にあるが、砂鉄の採取やたたら製鉄の遺跡があり、鉄の産地は出雲から石見、長門と山陰地方の広範囲に渡っていることになる。

操業を終わってから150年以上経過しているが、当時はかなりの数の人々がここで働いていたと思われる。ふいごを踏む音や木炭の燃焼音、真っ赤に焼けた鉧に冷却水が触れ瞬間的に蒸発して広がる蒸気の音、鉧を割る大きな槌の音。静寂の中で遺跡を見ているとそれらの音が谷間の方からこだましてくるような気がした。








須佐のホルンフェルスは波高し

2019-03-10 14:20:15 | 旅行
須佐は山口県の萩と島根県の益田のちょうど中間に位置し、日本海に面した港町だが、綺麗なホルンフェルスを見ることができる景勝地でもある。

地元山口県の中学生だった頃の理科で須佐のホルンフェルスを習ったが、現在まで須佐を訪れる機会はなかった。最近でこそ道路事情が良くなっているが、車で郷里山口に帰省することはあっても須佐のある場所までは近づきにくかった。





当日は雨こそ降っていなかったが北風が強く、日本海は時化ていた。高台にある駐車場から遊歩道をゆっくりと下って行き、山裾を回ると写真で見覚えのある白と黒のストライプ状の断崖が見えてきた。



白の部分が砂の堆積岩、黒の部分が泥の堆積岩の地層で、そこにマグマが貫入して熱変性によって生まれた変成岩が海食によって断崖となって現れている。中学時代から写真で見て覚えていたイメージからすると、断崖が少しコンパクトに感じた。

下から見上げたら少しはイメージに近くなるかと思い坂道とタラップを降りて行ったが、風が運んで来る波しぶきが凄く、途中で断念した。



自分の郷里が山口県であるにしては見落とし感が強かったホルンフェルスを訪れることができ、少しホッとした。



海からの風にアザミがジッと耐えていた。



チェンマイで飲むビール

2019-03-05 20:14:05 | チェンマイステイ


これはチェンマイで飲み残したので日本に持ち帰ったビアチャーン。タイにはシンハーやレオと言った銘柄もあるが、自分は味にキレのあるチャーンをもっぱら飲んでいる。

スーパーのTOPSで1本32バーツ(約110円)で購入したが、セブンイレブンでは単品で38バーツ、4本カートンで買うと1本あたり35バーツ。日本の缶ビールは税込で200円強するのでほぼ半額だが、容量は320CCで日本よりも30CC少ない。

この缶入りビアチャーンを宿の向かいにあるカフェで注文すると40バーツ。タイではビールをロックで飲む場合が多く(自分もそうしている)、氷(ナムケーン)はサービスで出してくれる。



サンティタムブレックファストも同じく40バーツだ。氷はクーラーボックスに入っているヤツをセルフで入れるが。



ここも行きつけの店だが、寿司次郎では瓶のビアチャーンを注文すると65バーツ。瓶の容量は620CCで、缶と同じく日本の瓶よりも少ない。




最近はヨメと二人で入店すると注文もしていないのにチーフがビアチャーンとアイス、そしてヨメに熱い日本茶を持って来てくれる。そして注文する料理は寿司と刺身の盛り合わせセットと和風海鮮サラダになる。これが二人の晩ごはんで500バーツ少々(1800円くらい)だ。刺身はマグロとサーモンとタコの3種しかないが、こんなに分厚い刺身は日本では見たことがない。

この瓶のビアチャーンは、我々が普段食べに行く飲食店では大体70バーツ前後だが、定宿にしているビアンブアマンションのレストランは59バーツと他に類を見ないほど格安だ。実は1月までは55バーツだったのを値上げしたのだが、それでもまだ安い。

モールにあるレストランや最近チェンマイに開店した世界の山ちゃんでは140バーツくらいになるのだが、ビールを稼ぐためのアイテムとみなしていないのか、仕入れ価格にあまり上乗せしていないようだ。スーパーやコンビニで買うと50~60バーツくらいだから、それより少し高いだけと言うのはホントにありがたい。