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振り出しに戻る「落陽日記」

旅や日々の生活の一コマ。60代半ば、落陽期を迎えながら気持ちは再び振り出しに戻りたいと焦る日々です。

韮山の反射炉と大砲

2020-09-24 17:14:38 | 旅行
以前から機会があれば行ってみたいと思っていた伊豆の韮山にある反射炉を見て来た。



空に突き出た反射炉の手前にガイダンスセンターがあり、入場料を払ってからホールに入ると、ちょうど映像による反射炉の紹介がはじまったので約10分間くらい席に座って視た。



映像が終わるとボランティアのガイド氏が現れて外にある反射炉の方に誘ってくれるが、展示やパネル解説をまだ見ていないので遠慮させてもらって、館内をゆっくりと見させてもらった。
ここの反射炉は海防用の大砲、それも従来からある青銅砲ではなく、鋳鉄製の大砲を製作するため、幕末安政年間に幕府が天領韮山代官の江川太郎左衛門英龍に命じて建設されたが、自分の予備知識はそのぐらいだった。反射炉はTV番組「鉄腕ダッシュ」で小規模な反射炉を建て、アルミを溶かして容器を鋳造していたのを視たので、おおざっぱな仕組みは知っていたつもり。





前から疑問に思っていたのは
1)材料の鉄と燃料はどこから調達したのか?
2) 鋳造の方法は? 
3) 作られた大砲はどこで使われたか?
などであったが

1) については当初、砂鉄を原料にした出雲のたたら製法の鉄材を使ったが大砲としての強度が足りず、途中から南部藩釜石産の鉄鉱石を高炉で銑鉄した鉄材に切り替えたようだ。燃料は地元産の木炭から、やはり熱量のある石炭を筑後やあ常磐から調達して切り替えたらしい。

2) については4つの反射炉にL字に囲まれた場所に掘り込まれた穴に、砲身の鋳型を垂直に立て、そこに4つの炉で溶かした鉄を流し込んだらしい。鋳造された砲身は中空ではなく、今で言う旋盤を18日間かけて水車で動かし、後加工で砲身に穴を空けたとある。反射炉と同じ敷地内に加工場や水車があったようで、すぐそばを韮山川が流れている。

 

3) については、鋳鉄製の大砲は製作され、試射もしたが失敗ばかりが多く、実際に配備されたのはなかったか、あってもわずかばかりだったと想像される。製作難易度の低い青銅製の大砲はかなりの数が韮山でも鋳造され、各台場に配置されたようだが、同様の反射炉を建設した薩摩藩や佐賀藩などでも鋳鉄砲を製作したものの、満足できる結果ではなかったようだ。長州藩の反射炉のように建設しただけで全く稼働していないものもある。

会津戦争や上野戦争で活躍したと伝わる佐賀藩のアームストロング砲は、現存していないので確認のしようがないが、輸入品だったの説もある。

下の画像は韮山に展示されていた青銅製の臼砲だが、これは反射炉ではなく実験炉?で鋳造されたと説明があった(と思う)。



青銅製の大砲については韮山の反射炉が稼働してしばらく後、長州藩は英仏蘭米の4か国と、薩摩藩は英国と大砲を使って実戦を交えている。
長州藩が使ったのは藩内や江戸葛飾の長州藩屋敷で鋳造した青銅砲が大半で、上陸して来た4か国に戦利品として持ち去られた大砲の一部が現存し、その内2門の青銅砲が下関と萩に里帰り(長期貸与)している。砲身に製作者の銘が残っているので間違いない。機会があれば見てみたい。

薩摩藩が使った大砲は明治維新後も残っていたはずだが、鋳つぶされたり太平洋戦争中の金属供出で無くなり、幕末期に日本で製作された大砲のほとんどが同じ運命だったと思われる。

韮山の反射炉は保存のための手が加えられているとは言えカタチがしっかり残り、稼働していた当時の臭いが今も感じられる。但し、ここは大砲製造所で目的は高性能の大砲を鋳造することで、反射炉はそのための手段であり、大砲製造所の一部であることもよくわかった。




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3 コメント

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ものづくりイノベーション (ワークミル職人)
2024-08-16 14:31:05
最近はChatGPTや生成AI等で人工知能の普及がアルゴリズム革命の衝撃といってブームとなっていますよね。ニュートンやアインシュタイン物理学のような理論駆動型を打ち壊して、データ駆動型の世界を切り開いているという。当然ながらこのアルゴリズム人間の思考を模擬するのだがら、当然哲学にも影響を与えるし、中国の文化大革命のようなイデオロギーにも影響を及ぼす。さらにはこの人工知能にはブラックボックス問題という数学的に分解してもなぜそうなったのか分からないという問題が存在している。そんな中、単純な問題であれば分解できるとした「材料物理数学再武装」というものが以前より脚光を浴びてきた。これは非線形関数の造形方法とはどういうことかという問題を大局的にとらえ、たとえば経済学で主張されている国富論の神の見えざる手というものが2つの関数の結合を行う行為で、関数接合論と呼ばれ、それの高次的状態がニューラルネットワークをはじめとするAI研究の最前線につながっているとするものだ。この関数接合論は経営学ではKPI競合モデルとも呼ばれ、様々な分野へその思想が波及してきている。この新たな科学哲学の胎動は「哲学」だけあってあらゆるものの根本を揺さぶり始めている。こういうのは従来の科学技術の一神教的観点でなく日本らしさとも呼べるような多神教的発想と考えられる。
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科学と宗教の文明論的ダイナミクス (国際政治学関係)
2024-10-13 04:10:51
一神教はユダヤ教をその祖とし、キリスト教、イスラム教が汎民族性によってその勢力を拡大させたが、その一神教の純粋性をもっとも保持し続けたのは後にできたイスラム教であった。今の科学技術文明の母体となったキリスト教は多神教的要素を取り入れ例えばルネサンスなどにより古代地中海世界の哲学なども触媒となり宗教から科学が独立するまでになった。一方でキリスト教圏内でも科学と宗教をむしろ融合しようとする働きにより、帝国主義がうまれた。宗教から正当化された植民地戦争は科学技術の壮大な実験場となり、この好循環により科学と宗教を融合させようというのである。その影響により非キリスト教圏で起きたのが日本の明治維新という現象である。この日本全土を均質化した市場原理社会する近代資本主義のスタートとされる明治維新は欧米などの一神教国が始めた帝国主義的な植民地拡張競争に危機感を覚えたサムライたちが自らの階級を破壊するといった、かなり独創的な革命でフランス革命、ピューリタン革命、ロシア革命、アメリカ独立戦争にはないユニークさというものが”革命”ではなく”維新”と呼んできたのは間違いない。しかしその中身は「革命」いや「大革命」とでもよべるべきものではないだろうか。
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日本人の誇り (山陰たたら製鉄関係)
2024-10-13 04:13:06
それにしても古事記はすごいよな。ドイツの哲学者ニーチェが「神は死んだ」といったそれよりも千年も前に女神イザナミ神についてそうかいてある。この神おかげでたくさんの神々を生まれたので日本神話は多神教になったともいえる。八百万の神々が出雲に集まるのは、イザナミの死を弔うためという話も聞いたことがある。そしてそこから古事記の本格的な多神教の神話の世界が広がってゆくのである。
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