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湯・つれづれ雑記録(旧20世紀ウラ・クラシック!)

※旧ブログの一部コラム・記事、全画像は移植していません。こちらのコンテンツとして残します。

ラフマニノフ:ピアノ協奏曲第2番

2007年05月15日 | ラフマニノフ
○クライネフ(P)イワーノフ指揮ソヴィエト国立放送交響楽団(MELODIYA/ETERNA)

透明感ある芸風のクライネフと重厚なロマンチシズムをたたえたイワーノフのミスマッチの魅力が楽しめる。終楽章の乱れぶりにはやや首をかしげさせられるが、非力で生硬な音ではあるもののタッチでカバーし続けるクライネフの繊細な表現にはまるでラヴェルの協奏曲をやるような雰囲気があり、ロシア的な陰鬱さやあけすけさを放つイワーノフを一種閉鎖的なロマン派の世界から救っている。垢抜けた調子が前半でとくに目立ち、硝子のような音が何とも言えないフランス的な情緒をかもし出して特記できる。残念なのは繰り返しになるが3楽章で、非力さをカバーするかのように律せられた演奏ぶりがかなりロマンティックなほうに崩れてしまい、結果としてオケとも分離スレスレの状態に陥っているところがある。左右が分離しすぎ一部音域が聞こえにくい録音が悪いのかもしれないが、ちょっと辛い箇所があった。しかし全般、主としてイワーノフの領域としていかにもチャイコの末裔たるラフマニノフといった側面が引き出され、今現在やや少ないロマンティックなスタイルのラフ2を楽しめるところもあるし、かといってロシアロシアしないソリストの冷たさがちょうどいい温度感を保っているといったところで、好意的に聞けた。○。

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ラヴェル:弦楽四重奏曲

2007年05月15日 | ラヴェル
パガニーニ四重奏団(RCA)LP

この団体はドビュッシーのほうが圧倒的にいいが、加えて2楽章中間部前半の大幅カットがあり、いくら演奏が力強く最後まで聴きとおせるものとなっていても、どうしても違和感はぬぐえない。1楽章の展開部で裏のトリルの拍数をいじったりもしており、こんにち復刻されないわけがわかる。純粋に演奏として、やや色味が足りない。素っ気無くお仕事的にやっている。1楽章冒頭でファーストの音が裏返ったりしてもそのまま録音してしまっているのは、スタンスの乱暴さがうかがえるというものだ。録音システムの違いでKARP盤とは異なるブダペスト四重奏団を思わせる渋い音に聞こえるが、それゆえに響きが重くフランス的な軽さがいまひとつ浮き立ってこない。スピードはあるのに重いというのはよくあることだが。無印。メンバーはテミヤンカ、ロセールズ、フォイダート、フレジン。この団体はいわば楽器が主でメンバーは従なのだろう、メンバーはなかなか固定されない。楽器は東京カルテットに引き継がれているそうだ。

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「フランス音楽の名品たち」

2007年05月15日 | フランス
奏者不明(NATIONAL RECORDING STUDIOS N.Y.)LP

FRENCH BRO PROGRAM 273番と名づけられた解説付きのおそらく名曲全集か放送録音の一枚。ステレオであるが演奏家表記は無い。ゴルシュマンあたりか。曲はいずれも抜粋で、サティのジムノペディ第2番(ドビュッシー管弦楽編曲版?)、パラード、プーランクのラプソディ第1番、ミヨーの屋根の上の牛、そしてオネゲルの夏の牧歌という曲目である。爽やかで毒の比較的少ない演奏効果の高い曲目が選ばれており、プーランクなどけっこう楽しめる。演奏的にもやや落ち着いたテンポではあるが色彩的で丁寧。評価不能。
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れんしう

2007年05月14日 | Weblog
無伴奏ソナタからすこし。新鮮さを取り戻すためペースを落とす。
Comments (3)
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ベートーヴェン:交響曲第5番~Ⅲ、Ⅳ抜粋

2007年05月14日 | ドイツ・オーストリア
クレンペラー指揮ロス・フィル(archiphon:CD-R)1941/2/11サンディエゴ

クレンペラー快速時代のまるでモーツァルトのように古典的な指揮ぶりと勢いが伺える録音だが、いかんせん録音状態(原盤の状態)がシンポジウム並みに悪い(針飛びにより三箇所完全欠落、雑音もひどい)。ピッチも高すぎる。小気味いいテンポで飛ばしていくが、4楽章冒頭などオケの緩さが出ており、終盤でもややアタックの弱さを感じる。クレンペラーはひたすら突き刺すようにアタックをつけていかないと「らしく」なくなる。クレンペラーのベートーヴェンはやはり素晴らしいが、録音状態だけでとりあえず、参考記録としておこう。無印。アルヒフォンはCD-Rになってやや怪しい音源(映像の音だけとか正規が出ているものとか)を混ぜ始めているようだが、趣味的なレーベルらしいので仕方ないか。
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クレンペラーの誕生日

2007年05月14日 | Weblog
テスタメント強力プッシュのクレンペラー、実売はどうなんだろう?ベートーヴェン、ブルックナーはおさえておくべきだろうか。
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ブルックナー:交響曲第9番

2007年05月14日 | ドイツ・オーストリア
○ワルター指揮フィラデルフィア管弦楽団(classical radio vault:CD-R)1948/2/2live

録音劣悪で放送ノイズがかなりきついところもあるが音量も音の芯もしっかりしていて雑音慣れしていればそんなに酷いと言うほどでもない。ただ、演奏自体は好みをわかつだろう。ブルックナー原典主義者はまずワルターなど聞かないだろうが、比較的幅広く聞く私もこの演奏、1,2楽章はニュアンスにはうねる起伏がつけられているものの直線的であるが、3楽章の感情的な動きにはいささか辟易とさせられた。録音状態の問題でフィラ管かどうかすらよくわからないこともあり、少々飽きた。○にはしておくが、ワルターファン以外には不要だろう。ブルックナーじゃなくてブラームスである。
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training

2007年05月13日 | Weblog
疲れがとれず練習も流し。右手がほんとに定まらなくなっている。重音がパンとひびかない。そこが売りのようなところがあったのにこれでは何の売りもない。うう。以下ぜんぶつまみ食い。バッハの無伴奏からショスタコのカルテット6番にチャイコの偉大な芸術家第一部、ストラヴィンスキーの例のやつ。気長にアップしていこう。
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バルトーク:弦楽四重奏曲第4番

2007年05月13日 | 北欧・東欧
○ギレー四重奏団(concerthall)

ギレー団は巧いなあ。。惚れ惚れするような腕と力感、しかし中間楽章での硬質な印象派的情景の描き方もすさまじく繊細で巧い。録音が旧いのでちょっと小粒に聞こえるところもあるかもしれないが、アメリカ往年の室内楽がどのようなレベルだったかがしのばれる(今もそうかもしれないが)。よく20世紀最大のカルテット作家にショスタコを挙げるマニアがいるが、優劣はつけられないものの、影響範囲の広さ、技巧の開拓者としての功績を考えてもバルトークの位置は揺るがないように思う。人好きするかどうかとベートーヴェンぽくない、この二点だけでバルトークのカルテットは日本ではやや分が悪いかんじがする。でも、書法を分析するまでもなくこの作品あたりの緻密さ隙のなさは神がかっている。やはりドビュッシイストであったバルトークの過去がフランスふうの香気をはらむ要素はあるとはいえ、単なる民謡・舞曲編曲にしか行きえなかった国民楽派室内楽の、知性の側面で状況を打開できた唯一の例であると思う。アマチュアが立ち入ることを許されないリゲティ的な清澄さをあわせもつ特殊奏法の饗宴、書法のプロフェッショナルさを抜きにしてもアイヴズとまったく同傾向の新しさをはなつ和声にリズム、よく集中しないとよさがわからない可能性もあるが、しかしギレーは巧い。○。私はバルトーク苦手だけど。
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バルトーク:コントラスト

2007年05月13日 | 北欧・東欧
○ギレー(Vn)他(concerthall)

クラリネットとヴァイオリンとピアノという編成のジャジーさをバルトークならではの抽象化作業によって硬質の楽曲に作り変えたバトルモード全開(コントラストというほどアンサンブルとしての衝突はせず単におのおのの主張が陳列されるようなところがあるけど)の曲。ピアノの粒だった音とクラのベニー・グッドマンをクラシカルにしたような骨太さにギレーの精力的な音表現は往年のアメリカ楽壇の力強さを表現している。とはいえ、楽曲的に甘さを捨てているわけではなく少なくとも弦楽四重奏曲のようなものに比べればぜんぜん叙情的な曲で、ストラヴィンスキー的ともいえ、ちゃんと弾けるソリストが三人集まってやってる演奏なら十分に楽しめる。東欧音楽が極端に苦手な私も。
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妖精の園

2007年05月13日 | Weblog
ときどきオカルトをおもしろく観察したりしているのだが、今朝、「ファティマの奇跡」の最後の目撃者がなくなったというニュースを見て、少し感傷的な気分になった。オカルトといえば日本では70年代だ。そのころに取り沙汰されたさまざまなもの・・・ネス湖の怪物写真、UFO、交霊会、スプーン曲げ、五島氏のノストラダムス・・・が今それぞれの場所で、白亜の墓碑に名のみとどめ、記憶の湖床に眠っている。ときおり水面から顔をのぞかせることはあっても、夢なき現実の破壊者によってふたたび葬られ、あるいは気のふれた夢想主義者によってゴテゴテと飾り付けられ、でも結局は、飾りつけごと破壊されるを余儀なくされている。仕方ないのかもしれない。確かなものしか今は受け容れられない。夢は寝床で見ればいい。しかし、「コティングレーの妖精事件」に想いをはせるとき、ハーンのしるしたウェールズの少年時代の風景、そこにもう見ることのできない旧い日本の情景を重ね合わせ、それは捏造であるし、夢想でもあるものだけれども、ディーリアスの開かない目の見た情景音楽も、ラヴェルの机上で紡ぎ上げられた管弦楽編曲も、すべては現実とは関係なく、ただその夢想のうちに創り上げられたものではなかったか。誰がそれを捏造と言おう。今、そんな夢を音楽に描き出すことのできる人はいるのだろうか。朝日新聞のCMで、すべてが水の中に沈んでゆく情景の感傷的な雰囲気のどこかに、ロマンティックな音楽のどこにも哀しい要素なぞないのに、酷く哀しげな弦楽合奏がのってくるさまを見ると、「コティングレーの妖精」が命を得たピノキオのように画面から羽ばたき、伏せた一瞥をのこして去る幻影を信じてしまう。想像力なのだ。欠けている。想像力は新しいものを生むだけではない。想像力は人への理解と同情をたすける。

今の世界には不要なものなのか。

・・・ああ、何を書こうとしていたのか忘れてしまった。ピエルネのマ・メール・ロアが木霊して消えた。
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きょうのれんす

2007年05月12日 | Weblog
もうダレまくってる。パルティータ2番の三番目くらいのやつとか、「絶対こんな曲じゃない!」ってかんじになってる・・・つか右手グダグダ・・・ストラヴィンスキーはまったく弦楽器センスがない。機械的に新奇な技巧を示すのはいいけど奏者が余り好まない意味がよくわかる。コハンスキのために火の鳥から「王妃の前奏曲とロンド」を編んだやつがショットから出てるわけだが、とにかく確かに見たこともないような動きをみせる、まるで鉄鋼オブジェのような独特さと洗練をみせてはいるものの、弾きづらいことこの上ない。。弦楽四重奏のための三つの小品もそうだけど、よほど耳に叩き込んどかないと意味わからない。兵士の小規模版とか牧歌とか、ああいう叙情的に均された曲も書くのに、なんでかこんな無理ある運指を強いるような曲を。。大学一年のときに買った譜面かあ、なんでこんなん買ったのか・・・見た目の譜面の疎なかんじだけを見て曲の難易度を判断してはいけない。そりゃ練習すりゃできるだろうけどさ、指そっくりかえるよ。まあ、バッハもそっくりかえるような和音書くけど。プロはおもしろいのでアンコールにつかってください。けしてシゲティのために書いたロシアンメイデンソングみたいなのでお茶を濁さないように。
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ショスタコーヴィチ:弦楽四重奏曲第13番

2007年05月12日 | ショスタコーヴィチ
○オレグ・クリサ(1Vn)クラフチュク、ヴェンゼガ、ポタポフ(MELODIYA)

クリサ先生がファーストをつとめた珍しいもの。1970年作品にしては「古風な前衛」の粋を切り詰めたような作品となっていて、晩年の骨皮筋衛門なショスタコの作風を象徴的に知ることが出来る。三部が融合したシベリウスの交響曲の顛末を思わせる単一楽章の中に、有機的に絡み合う要素が緻密に、かつ非常に簡素に提示されている。ショスタコのカルテットは決して複雑な様相をていさないが、これは其の中でもほんとにホネしかない実に単純で非構造的である。しかしベートーヴェンを思わせざるをえない深刻で重い響きをもつ。一桁番号の作品にいくぶんのこっていた旋律性や世俗性が、このころになると極端に絞られ昇華されており、この短い作品の中に要素だけが散置されるさまはツィガーノフ教授(ベトQの全集は最近やっとdoremiで集成復刻された)によると初期作品へのオマージュがこめられたものという。実際、3部後半にいたるまでえんえんと厳しく研ぎ澄まされた音の点描風景が、最後に色をおびていくぶん情趣をかもし出すさまは確かに僅かではあるがまるでプロコが晩年に立ち返った無邪気な世界の想起させる心情を、もっと厳しく抽象化して提示しようとしたかのようだ。

ただ、この演奏はボロディン四重奏団を思わせる雄弁さに若々しい覇気が漲りすぎて、ややウンザリしてしまうところもある。巧いし、とにかく四人とも非常に力があるのだが、哲学的な面から前記のような心象を引き出すまでにいたっておらず、単なる楽譜の再現という純度の高い領域から一歩出ていない。いや、くさすつもりはなく、クリサ先生も素晴らしく独特の透明感をたたえた音で対処しているが、すいません、単純に、3部後半まで乗れなかったのです。
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練習

2007年05月12日 | Weblog
非常に辛いことがあったので適当に流す。メシアン通し。ピアノないとあとはわからない。思いっきり冷徹にメカニカルにしたい。そのためにはメトロノームが必要だ。だが、音程変化つけるのににかなりアバウトさが出てしまっていて、指に力が入らないのが辛い。あと、右手がまだぎごちない。これだけはなかなか治りそうにない。これではオケ弾きも難しいだろう。オケといえば古典の協奏曲伴奏でプルト数意識しない音大生ヴァイオリン奏者なんているのか??と「のだめ」見て素朴な疑問。だいたいプルト数はスコアに厳密に示されているってわけでもないので、予めわかってたとかいう言い方も変だ。だいいち、合わせる前に、譜面配るときに既にプルト確定してるもんでは?ちあきだからいいのか。そうか。ピアノ科だからといってオーボエの構造を知らん最上級生ってのも、そんなもんなのか、音大の授業って。だいたいこの漫画の音大生って、2,3年「気づく」のが遅くないか???就職の話はリアルだけど、レッスンの受け方やらなんやら、お稽古事みたいなユルさなのが。。さてフランクのソナタ。付点音符を間違えていることに気がつく。いかん、引っ掛けたり殆ど16分くらいで弾いてた。変になるわけだ。四分の一、数学的に弾くこと。冷静じゃないとやっぱし。感情なんて最後の一振りだ。フランクはとうぶん、まともに通らないだろう。右手の問題が大きいが左手のアバウトさもなんとかしないとならない。そしてその結果の左右の手のズレだ。音量だけばかみたいに大きいのが癪。そのあとすこしいろいろ見てから、パルティータだかソナタだかわからんものを。やはりバッハは、こういう感情のときにいちばんあっている。殺伐とした感情を涅槃にさそう。ショスタコが殺伐とした共感をそえる。しかし13番はともかく1番は逆効果だった。アゴ痛めておしまい。最後にc-durの音階を。なんとまあほんとに、現代ばっか読んでたら正統な音階がわかんなくなってるのはそのまんまだ。ちょっとやるとしかし、スラーで駆け上がりでもきっちりとれるようになった。やっぱスケール集が必要だ。40分。
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ヒンデミット:歌劇「画家マチス」

2007年05月11日 | ドイツ・オーストリア
○クーベリック指揮バイエルン放送交響楽団・合唱団、ディースカウ(T)他(EMI,ELECTROLA/DG)CD

恐らく元はDGで、CD生産されたのもDG(但し殆ど流通していない)だったと思うのだが。

まあ、長いです(汗)オペラ、特にロマン派のものは重い。多彩な前時代的手法を投入して変化のある楽劇を描いているヒンデミットだが、いかんせん平易すぎてまるでRVWのオペラのような感じがしてしまうところもあり、だがそのわりにある種の毒が混ざるからどうにも重い。クーベリックは娯楽的で、スピードとリズムで曲をドライヴしていく、それは長所も短所もある。男声歌唱がかなり雄弁なのでドイツ語に堪能であれば楽しめるとおもうが、音楽だけでいけば、「このスタイルなら交響曲で十分だな・・・」と思ってしまう。深みに欠けるのだ。平易なら平易なりに計算が必要で、平易なところをただ強調してしまう、おのずから強調されてしまうようなスタイルだと飽きてくる。クーベリックに同曲の交響曲録音はあっただろうか、交響曲ならはまったろう。録音もスケール感も他を寄せ付けない贅沢な布陣もろとも素晴らしくはあるのだが、オケがやや田舎臭いところも含め、◎にはできない。
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