湯・つれづれ雑記録(旧20世紀ウラ・クラシック!)

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辞書と商売

2006年12月18日 | Weblog
このブログは元々本体サイトの機能補完用に作った暫定的なもので、本体サイトは最初から個人的な知識や音源整理のための辞書的な役割を果たすために構築したものである。従ってアクセス数とかアフィリエイトとかトラバとか、収益性だの双方向性だのいったものとは無縁のまったく個人的なところから始まっている性格上、また取り上げる音源がほとんど正規の新品屋では手に入らないたぐいのものであることからも、そういったブログの「流行りの」部分は排した書き方になっている。せめてタグ機能さえあれば辞書として更に使いやすいものになるのだがgooを選んでしまった以上仕方がない。

思うのだがたかだかウェブログや日記に商売を持ち込んでくる感覚はどうも汚れた感じがする。アフィリエイト商売のようなものをgooのようなエンドユーザ向けサービスを無償提供(私は有償だが)しているプロバイダがやるならともかく個人がやるのには物凄く抵抗がある。

こういう性格ゆえかなり損もしてきている。

きほんアマチュア団体がプロの領域をおかすような高額チケットを発行したり、団体にアマチュア奏者が演奏代(トラ代)を要求するなどといった「アマオケ界の常識」が信じられなかったくらいで、毎月安くないお金を払って演奏会のときはチケット販売をさせられて、挙句ゲーペーあたりにぽっと来た大して弾けもしない学生オケあがりの人間からお金を取るどころか(5000円とかその程度であれ)謝礼を払うという、この慣習に非常に嫌のものを感じていた。だから私はトラで金をもらったことがない。左右わからずもらったり、団体自体がもらっていたりといった幼稚な時期があったにせよ。

プロ余りが激しいこの業界で、価格交渉などしなくても来てくれて、少なくとも自称セミプロよりは弾いてくれる人なんていくらでもいる。アマチュアは金をとらず自費でやるからこそ、本気で音楽に打ち込める。トラ代だけで生活するセミプロ級フリーター、なんて甘ちゃんも今はいないだろうが。アマチュアはプロになれなかった人間ではない。しがらみや慣習に縛られたプロができないことができるからアマチュアなのだ。しがらみや慣習に縛られたアマチュアなんて阿呆らしい存在としか言いようがない。

金をもらって何かをすることで自分を高められる、というのはプロを目指す人間の吐く台詞である。

ブログで稼ぐという言葉に、ほんらい草の根である場に対して本末転倒な感をおぼえるのは私だけだろうか。

書き方によっては欲しいものをすぐ手に入れられるリンクを貼ってくれて便利、なんて受け取られ方もあろうが。winwin関係で全てのブログ商売が成り立ってるとも見えないのだが。
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