湯・つれづれ雑記録(旧20世紀ウラ・クラシック!)

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☆グリンカ:ルスランとリュドミラ序曲

2017年05月11日 | ロシア・ソヴィエト
※2007年の記事です

ロストロポーヴィチ指揮パリ管弦楽団(EMI)1976/11・CD

うーん、流され易い性格になったな俺。ちっともクラシックを聴く感じじゃなかったのに、テレビで「のだめ」をやってたらききたくなった。スラヴァ追悼の意をどっかに示したくてこの小曲をプレイヤーに落としてはいたのだが。つかさっき右手のアップのために楽譜を片端からあさってて其の中でこれも初見してみたから書くわけだが。グラズノフは三分の二はじつに弾き易く書いてあってさすがアウアー監修だなあ。冷静になってみると、あほみたいになるファンファーレ以降は純粋に練習で乗り切れるものだ。三分の一、前半のほぼカデンツァ的重音トリルウニョウニョパセージの羅列はしろーとはとても演奏しこなすのが不可能。プロはカンタンに弾けるはず。でも、頭で理解不能なヘンなゆがみのある音線なので、技術的にはできても体が拒否ることもあるだろうなあ。

左手はやはり長く弾くのをやめていたせいかかなりよくなったみたいで、師匠を離れ大学入学以来一番調子がよくなっているかんじすらするが、右手が決定的にダメで、これはもう基礎練地獄しかなかろう。。でも意志弱いから一人じゃやらないんだよなあ。ブランクは(しろうとレベルでは)筋力を除けば左手には大して影響しない。弾いていなくても耳と脳で音楽を捉え続けていれば、結局脳がおぼえていて冷静でいれば指は譜面どおり動くので、いい演奏を広く深く聴かないで、ただだらっとオナニ弾き続けただけよりもぜんぜん訓練になるものなんだと実感。しかし耳コピ能力とか(譜面に落とすんじゃなくて再現弾きね)は純粋に弾き慣れてないとダメなので、格段に落ちる。うろおぼえモーツァルトとかうろおぼえカントリーとかうろおぼえジャズとか前はよくやってたのを弾いてみたら、脳は忘れてるわ指は自動再生しないわでぜんぜんあかんかった。読譜力はすぐ回復するけど(反応速度回復は若干時間がいる)譜面のないものは難しい。

右手は一日たりとも怠ってはダメなもので、とくにいくつか奏法を学んだあとだと、ブランク明けは型がどっちつかずで決まらなくなりやすい。独習まで入ってたら無茶苦茶だ。とにかく「型」が崩れたらおしまい。練習譜の登場である。うううう。だいたい部屋にカーテンをたくさん吊ったら弓がいろんなとこにぶち当たり、ただでさえ長期借用中のド高い弓先がもっと割れてますます返却できなくなってしま・・・むにょむにょ。体と楽器を歪んだ空間の隙に入れて弾いてても意味ないなあ。。広いとこで禁じ手?の右腕の肘を入れて人差し指深く斜め差してロシア弾き、とにかくリハビリなので、のびのび弾き易い奏法に決めてしっかり弾きたいなあ。譜面台も奪われて床上の譜面を遠く見くだしながら弾く哀しさ。いいのさどうせ遊びだ。

この演奏解釈自体は余技の範疇を出ず、鈍重で大仰大雑把。いわゆる天才的ソリスト出身の指揮者が初期にやるような解釈だが、メロディだけを追ってロストロ先生のソロを聴く気持ちでいれば楽しみは見出せよう。スヴェトラに似てなくもないがスヴェトラはもっとプロフェッショナル。素朴とも言えるかもしれない。ロストロ先生が大変だったころの指揮記録。75歳記念CDセットより。

コノ曲、ボロディンに受け継がれるロシア音楽のメカニカルな面を象徴するようなじつに単純明快しっかり掛け合うアンサンブル曲になっている。ルスランは序曲だけが知られるがけっこう他の部分も録音されている。しかしやはり、国民楽派の先駆として序曲に最もいいものが簡潔に提示されている。

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