ギオー(SP)リテーズ(ORG)クーロー指揮ORTFcho、マルティノン指揮ORTF(EMI他)1972/10・CD
フローラン・シュミットといったらこの盤というほど有名な録音の一つで今はどこから出ているのだろう。豊満で妖しいロマンスを振り撒く、それでいてワグナーらの影響はさほど感じさせないフローランの大作である(時間的には20分台)。時代なりの録音ではあるが、マルティノンらしい響きの清浄さを保ちながらしっかり末流ロマン派作品として盛りたて、楽曲の要求するまま効果的に、派手派手にやっている。スクリアビンを思わせるところも緻密で立体的な書法によりさらに説得力を増し、特にブラスの扱いは巧みで各セクションとのバランスがよく、半音階的な動きによるディーリアス的な色彩も、動きの細かさゆえか細くなるということのないように非常に巧緻に組み上げられているが、マルティノンはこの誇大妄想の塊を技術的に決して万全ではないにせよORTFから可能な最大限の表現を引き出して再現しており、あまりに編成が大きすぎて録音上オルガンが小さかったり合唱が狭かったりするものの、ロシア風の行進的なリズム表現から完全に中欧的なフィナーレへと導いていく騒々しいパッセージは、当時ステレオ録音ではこれが最上だったろう、と思う。録音に神経質でなければこれを最初に聴くとフローランの作風の一つをよく理解できるだろう。メロディストでもあるのだ。これが詩篇と言われると…
フローラン・シュミットといったらこの盤というほど有名な録音の一つで今はどこから出ているのだろう。豊満で妖しいロマンスを振り撒く、それでいてワグナーらの影響はさほど感じさせないフローランの大作である(時間的には20分台)。時代なりの録音ではあるが、マルティノンらしい響きの清浄さを保ちながらしっかり末流ロマン派作品として盛りたて、楽曲の要求するまま効果的に、派手派手にやっている。スクリアビンを思わせるところも緻密で立体的な書法によりさらに説得力を増し、特にブラスの扱いは巧みで各セクションとのバランスがよく、半音階的な動きによるディーリアス的な色彩も、動きの細かさゆえか細くなるということのないように非常に巧緻に組み上げられているが、マルティノンはこの誇大妄想の塊を技術的に決して万全ではないにせよORTFから可能な最大限の表現を引き出して再現しており、あまりに編成が大きすぎて録音上オルガンが小さかったり合唱が狭かったりするものの、ロシア風の行進的なリズム表現から完全に中欧的なフィナーレへと導いていく騒々しいパッセージは、当時ステレオ録音ではこれが最上だったろう、と思う。録音に神経質でなければこれを最初に聴くとフローランの作風の一つをよく理解できるだろう。メロディストでもあるのだ。これが詩篇と言われると…