ボールト指揮LPO(EMI/warner)1975/4/28・CD
正直、この曲はもっと客観的で透明感のある演奏のほうが望ましい。古風で(タリスの主題を使っているというのである)教会音楽的なものであればあるほど、むしろ心を揺り動かされる。ボールトは主情的だ。ドイツ風の重みある旋律表現が響きに雑味を呼び、まあハーモニーの雑さはこの前のセレナードでも感じられるが、そこが他の安定した後期曲ならいざしらずまだこの作風を会得して間もないヴォーン・ウィリアムズ相手には難しい。録音が良すぎるのも、悪い面を際立たせてしまっているかもしれない。ラストの装飾的な動きはなかなかまとまらないのだが、ボールトはしっかりまとめることで、却って不自然な原曲の一面をはっきりさせてしまっている。旋律音楽だからロマンティックに歌い上げるのはよい。こういう演奏をきくと某いえよう評論家が、ワルターがこの曲と大地の歌でプログラムを組んだことに対し、センスがあると言った意味はわかる。だが、虚無感は精密で繊細な演奏からしか生まれない(ワルターも異様にロマンティックだ)。この曲に満ち溢れる虚無をあらわすには、ボールトは余りに元気すぎたのかもしれない。最晩年ではあるが、この曲を得意としたストコフスキー同様、ボールトは最後まで覇気溢れる職人だった。
正直、この曲はもっと客観的で透明感のある演奏のほうが望ましい。古風で(タリスの主題を使っているというのである)教会音楽的なものであればあるほど、むしろ心を揺り動かされる。ボールトは主情的だ。ドイツ風の重みある旋律表現が響きに雑味を呼び、まあハーモニーの雑さはこの前のセレナードでも感じられるが、そこが他の安定した後期曲ならいざしらずまだこの作風を会得して間もないヴォーン・ウィリアムズ相手には難しい。録音が良すぎるのも、悪い面を際立たせてしまっているかもしれない。ラストの装飾的な動きはなかなかまとまらないのだが、ボールトはしっかりまとめることで、却って不自然な原曲の一面をはっきりさせてしまっている。旋律音楽だからロマンティックに歌い上げるのはよい。こういう演奏をきくと某いえよう評論家が、ワルターがこの曲と大地の歌でプログラムを組んだことに対し、センスがあると言った意味はわかる。だが、虚無感は精密で繊細な演奏からしか生まれない(ワルターも異様にロマンティックだ)。この曲に満ち溢れる虚無をあらわすには、ボールトは余りに元気すぎたのかもしれない。最晩年ではあるが、この曲を得意としたストコフスキー同様、ボールトは最後まで覇気溢れる職人だった。