湯・つれづれ雑記録(旧20世紀ウラ・クラシック!)

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チャイコフスキー:弦楽セレナーデ

2005年02月23日 | チャイコフスキー
ケンペン指揮コンセール・ラムルー管(OTAKEN RECORDS:CD-R/PHILIPS)LP

ケンペンはあんまり脚光を浴びる事のない指揮者だ。そのレパートリーが私の守備範囲から外れているので、私にとってもあまり馴染みが有るとは言えないのだが、チャイコの5番とイタ奇の録音だけは強い印象を残していた。それは俊敏で愉快な演奏であった(とくにイタ奇)。こういうからっとした演奏をチャイコに求めるかどうかでケンペンのチャイコが聴けるかどうか決まるというわけだが、私はどっちつかずである。イタ奇のように目的がハッキリしている曲ではこの人の解釈はあうと思うが、最も湿ったというか、歌謡的な要素の強い弦楽器だけを使ったチャイコのイメージそのものといえるこの曲についてはどうなんだろう。私はそこに興味を惹かれてこの非正規盤を手に入れた。まず録音だが、初期盤(サンプル盤だとか)LPからの板起こしであり、非常に状態がいいとはいえやはりLPである、雑音や隣溝からの混信のような瑕疵は避けきれていない。それどころかクリアな音すぎて聞きにくい。これはデジタル化音源ではしようがないことなのだが、それにしてもキンキンして耳への圧力が強く聞きづらい。ヘッドフォンには向かない。スピーカーでうまく調整すれば解決はできると思う。さて演奏そのものなのだけれども、予想はしていたのだが、それにしても余りに屈託がなさすぎる。テンポが速すぎだ。直線的で拘りが無く、ただただ雄弁なオケの音を聴くのみである。唯一3楽章のみが「歌」を感じさせる。だからこれはこういう解釈なのだろう。予想通りカラっとした演奏、またオケも明るく硬質で湿り気ゼロ、うーん、どっちかがちょっとでも潤いを持っていれば面白味もあったろうが。後半楽章がしいていえば聞き物か。この演奏に比べればコンドラシンは随分と柔らかい。それほどに客観的で人工的である。無印。フィリップスには未CD化音源やCD化してもすぐ廃盤になるものが多いが、これもまたその一枚である。
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