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湯・つれづれ雑記録(旧20世紀ウラ・クラシック!)

※旧ブログの一部コラム・記事、全画像は移植していません。こちらのコンテンツとして残します。

マーラー:交響曲第5番

2012年10月11日 | マーラー
○テンシュテット指揮フィラデルフィア管弦楽団(EnLarme:CD-R)1979/3/29

前半楽章の録音が酷すぎて何とも言えない。ステレオがアダとなり音場が不安定で、私のプレイヤーだと1楽章の途中で音飛びするのも含め聴いていられない。オケは豊潤でミスやアバウトさはあるものの重厚でフォルムがはっきりした、なおかつしなやかなマーラーを演じているだけに勿体ない。アダージエットあたりから安定してがぜん聴けるようになってくるが終楽章末尾で音が落ちるのはまたもやがくり。盛大なブラヴォも拍子抜けした。でも、やっぱりこんな緻密で盛大な終楽章を聴かせられると○をつけざるをえない。テンシュテットはマーラー指揮者かというと私はそうでもないように思う。マーラー特有の丸裸のソリストが技巧的な走句を突出させたりとかそういうところでちゃんと背後の音を整えてそこに丸くおさめてしまうような、ワルターが聴かせたマーラーそのものというような特殊な響きが無くなってしまう。オケに強いる緊張感というものもそのバランス感覚を保つためのもののような気がして、とくにニュートラルな曲であろう5番あたりを聴くと、単品では充実したよい演奏だったと思うものの、マーラーに通底する奇怪な精神性のようなものは無かった、と感じてしまう。個人的な部分なので異論はあると思います。○。
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マーラー:交響曲第2番「復活」

2012年10月08日 | マーラー
○コナー(SP)パウレー(MSP)ワルター指揮NYP他(M&A)1942/1/25放送LIVE・CD

録音は悪いし前半は余り迫力のある音はしないが、語り口の上手さはさすが。旋律と響きの調和、テンポの持って行き方はいかにもライヴのよさを感じさせてくれる。やや落ち着いた感もあるが、乾いたスピード感ある表現も織り交ざり、ねっとりした旋律表現にはのちのVPOライヴなど想起する部分もある。弱音部がじつに美しく後期交響曲をすら思わせる恍惚。ソロ楽器が美しい。弦のバラけはなんとかならないものか。原光は若い歌いぶりで、浅い印象。しかし終楽章は波打つようにダイナミックで、ワルターのマーラーをしっかり聴かせる。荒れ狂うと性急過ぎて情趣がなくなるところはご愛敬。放送ノイズのようなものが混ざるのは聴きづらかった。歌手のラインナップから初出音源で間違いないと思われる。
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マーラー:交響曲第1番「巨人」

2012年10月08日 | マーラー
○ワルター指揮NYP(M&A)1942/10/25LIVE・CD

録音のせいかオケのせいかバラけ味が気になるのだが、両端楽章でみせる大仰な表現はのちのバンスタにもつながる前時代的なロマンチシズムを濃厚に漂わせるものとなっている。ワルター30年代の芸風にまだ近い感があり、スピードは保たれ中間楽章など飛ばすところは飛ばしてさほど粘らない。録音のせいかピッチがおかしい感じがするのは併録の復活も同じ。この録音は初出とのことだがワルターNYPの録音はたくさんありデータが混乱している可能性もある。とりわけ個性的ではないし客席反応も普通なのでワルターファンなら、というところか。
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マーラー:交響曲第9番

2012年10月06日 | マーラー
○ジュリーニ指揮スウェーデン放送交響楽団(KAPELLMEISTER他:CD-R)1973ストックホルムlive

ジュリーニはオケに恵まれている。スウェーデン放送交響楽団も名門であり聴けばわかるとおり非常に上手い。透明感があり精密だからジュリーニの重い響きを適度にあく抜きして聞きやすい。とにかく遅いことは遅い(1楽章は30分を越える)。しかし無駄な溜めがなくこれはこうとして素直に聴ける。中間楽章もドラマティックだ。四楽章が薄味かもしれないが無い解釈ではない、げんに客席反応はよい。ホワイトノイズが終始混入し聞きづらいところもあって、解釈もさほど変わらないからジュリーニを聴きたいならもっとちゃんとした音源でどうぞ。ジュリーニマニア向け。一楽章に小欠落のある裏青が出たことがあるが、恐らく同じ。
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マーラー:交響曲第2番「復活」

2012年10月04日 | マーラー
○バルビローリ指揮ハレ管弦楽団(放送)1952/3/12live

壮年期バルビの復活として価値は高い。スピーディでダイナミック、ハレ管の緊張感漲る演奏ぶりも凄まじい。トスカニーニを想起するような音楽作りではあるが、緩徐部ではまさに歌謡的なバルビ節炸裂。録音の悪さ、とくに2楽章での物凄い歪みは看過しがたいものがあるものの、これはNYP時代を思い起こさせる怒りに満ちた演奏であり、ぜひ復刻してほしいものだ。ただ、終楽章はかつてより巨匠指揮者がおのおの個性的で偉大な演奏を繰り広げてきた楽章であり、それらに比べるとやや地味である。バルビは合唱導入部よりダイナミズムを抑え気味に、荘重さに重きを置いており、音量も表情変化もオーソドックスだ。終演後のカタルシスも思ったよりは得られずブラヴォも飛ばない。そういう解釈だとわかってはいるのだが、ここは派手な演出で劇的な盛り上がりが欲しかったかも。○。
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マーラー:交響曲第7番「夜の歌」

2012年06月12日 | マーラー
○マゼール指揮NYP(NYP)2007/6/20-23live

マゼール・ニューヨークフィル・チクルスの一枚。NYPサイトより有料配信されている。とにかくやたらと遅くて、粘り腰が持ち味かと思ったら急に通常並みのテンポで快活に進み、マゼール近年のイメージから外れていない演奏だが、ここではとても厳しく統制され乱れのない演奏ぶりが聴くものをひきつける。フィナーレ末尾の異常な遅さに対してブラス陣の力強くけして途切れない肺活量の凄さに感動をおぼえる。そしてフラブラの凄まじさからもこの演奏の魅力が伝わってくるだろう。1楽章ののっぺりした遅さでウンザリしてしまったらもったいない。3楽章あたりからの流れを楽しもう。マゼールはクレンペラー的な表現主義者ではないので、4楽章の生ぬるい音楽はそれなりに柔らかく仕上げている。○。
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マーラー:交響曲第7番「夜の歌」

2012年05月30日 | マーラー
○ベイヌム指揮ACO(IMC)1958/6/4live・CD

2楽章以降の音質が非常に悪い。テープよれや途切れ、最大音量がとらえきれずに聞こえなくなるところなど、私みたいなすれっからしですら耳を覆ってしまうほどの音だ。終楽章にいたっては冒頭のティンパニソロが一部欠落。演奏自体は力強くロマンティックで、これこそ昔ながらのマーラーだよ、と膝を打つことしきり、コンセルトヘボウも冴えていてマーラーオケの名に恥じない力量を発揮しているためにこれはほんとうに惜しい。ドラティと似て非なるのはやはりオケの差か(ドラティに7番はないけど)。音の悪さに耐えきれる自信があればどうぞ。マーラーらしさ、ベイヌムらしさは健在。
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マーラー:大地の歌

2012年05月29日 | マーラー
○ジュリーニ指揮ベルリン・フィル、ファスベンダー(Ms)アライザ(T)(testament)1984/2/14,15live・CD

2/14のみの実況が7年ほど前に裏青盤で出ていた。じつに好意的に書いた覚えがあるが、今聴くと、ライヴなりの粗さも感じられ(ソロミスに煩い向きには気になる個所もあろう)、解釈的にも地味で、ファーストチョイスに向くかと言えば疑問がある。個人的には歌唱も飛びぬけたものは感じなかった。この曲は「告別」の悲壮感が全体の印象に暗く影を落としているが、歌詞はそこまで悲しいものではないし、諦念諦観といったものは必ずしも悲壮感と並置される感情ではない。ジュリーニの告別は古い時代の演奏に聴かれた「闇とそこから開ける光明」といったものとは少し違う。清澄な空気感が支配的で、楽器の一つ一つ音符の一つ一つの純度が高く、休符が効果的に使われ音量に細心の注意が払われており、室内楽的なアンサンブルをBPOの力感みなぎる音によって崩さぬべく抑える配慮が感じられる。それが一貫して、歌詞の起伏や調性の変化に左右されることなく、悪く言えば平板だけれども(録音が歌唱偏重なせいもある)、ゆったりとうとうと流れる大河のように聴かせていく。音量を抑える余りヴァイオリンパートソロの「歌」がばらけて聴こえたりはBPOらしいといえばらしい音なのだけれど、気になる人は気になるかもしれない。オーケストラだけの再現部(?)、弦楽器の息が長い旋律におけるレガーティッシモな表現。じつに表情変化が細かく、統制が行き届き美しい。「永遠に・・・」のくだりもそれほど明瞭な変化をつけて突入することはないので、ドラマチックな告別が好きな人には向かないが、セレスタの煌めきに彩られながら静寂の中に消えていく末尾は出色。これぞ大地の歌。○。
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マーラー:交響曲第9番

2012年03月13日 | マーラー
○ノリントン指揮シュツットガルト放送交響楽団(?)2008/9/5放送live

webで配信されていた音源でのちに再演されることになったほど人気を博したものである。凄まじい統制力で音符のギリギリまでズレることを許さず、弦楽器の長い音符は響きのブレをなくすため全てノンヴィブラートで通し、オケもよくついてこられるものだという極端なテンポ設定も独特のものだ。1,2楽章は完成度が高い。精緻さよりもそのうえでの異様な迫力に押される。附点音符付のフレーズをリズムを死なせずにここまでギッチリ合わせられるというのも凄い。おしなべてテンポは速いが2楽章の好戦的な調子は白眉だろう。だが3楽章は冒頭から乱れる。疲れというよりは楽章自体の難しさからきていると思うが、ミスも目立ち、「このての演奏として」聴いている側としては一服つけてしまう。4楽章はノンヴィブが光るがこの楽章はもはや線的なフレーズの弱い絡まりでしかないので、特殊な思い入れが必要となるぶんこういう解釈には不向きか。ヴァイオリンソロ前後で一瞬ノイズが入る(入らない音源もあるかも)。総じてはしかし、凄いものであった。○。
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マーラー:交響曲第1番「巨人」花の章付き

2012年03月08日 | マーラー
○ブリーフ指揮ニュー・ヘヴン交響楽団(odyssey)1968live・LP

花の章挿入版(初稿版ではない)初演時の演奏かもしれない。録音としては巨人に花の章を入れた最初のものと言われる。だが個人的に花の章は蛇足もいいところの楽章で他の楽章との落差が激しく、歌手がトランペットに変わっただけの歌曲、みたいなものと思うので、そこでの価値は余り感じない。ということでタイタンの演奏としてこれがどうかというと、地味。まったく奇をてらうことなく、実直で、譜面から外れず、感興も催さない。雑味もあり、オケに全体的に難もあり、おすすめではないが、歴史的価値をくんで○をつけておく。
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マーラー:交響曲「大地の歌」

2012年01月03日 | マーラー
○ヴンダーリヒ(T)ディースカウ(B)クリップス指揮VSO(DG)1964/6/14live・CD

最近のDGはこういう録音状態の悪いものも出すのだなあ。また、男二人大地というのも、とくに告別が男というのは興を削ぐなあ。その二つがネックではあるものの、演奏自体はアグレッシブで、リズミカルな表現ではこれがウィーン響かというような統制のとれたさまが愉快であり、クリップスとの相性良さを感じさせる。それが度を越して前のめり過ぎるのはご愛敬。○。
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マーラー:大地の歌~Ⅴ抜粋、Ⅵ抜粋

2011年12月09日 | マーラー
○ピアース(T)フェリアー(Ms)ワルター指揮VPO(PEARL)1947/9/11放送live・CD

SPエアチェックの板起こしらしく、両楽章冒頭から四分前後で切れている。ワルターの、後年のバーンスタインを思わせる独特の伸縮するロマンチシズムがオケの身体的共感により音楽に昇華している様子がとくに顕著で、全曲聴きたかったが仕方ない。ピアースの晴朗な歌唱が印象的だが、このCD自体はフェリアの小品集。○。
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マーラー:交響曲第1番「巨人」

2011年12月09日 | マーラー
○ジュリーニ指揮BPO(testament)1976/3/1live・CD

重厚な巨人で驚くが、スケールも巨人で、テンポも表情付けも今のマゼールのような印象だ。もっと感情的な歌いまわしがあって、そここそマニアを惹き付けていたとは思うが、それにしてもベルリン・フィルとの組み合わせの奇妙さというか、ジュリーニのどろどろした歌謡的な重さがオケの純粋に響きの重さと合致すると、けっこうあくが抜けて過度なロマンチシズムが薄まり、ブラヴォーに昇華するのだなあと。ジュリーニとしてもマーラーとしても少し違和感はあり、物足りない人もいようが、これはこれでありだと思う。○。
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マーラー:交響曲第4番

2011年12月07日 | マーラー
○トレッチェル(Sp)クレンペラー指揮ベルリン放送交響楽団(audite)1956/12/2・CD

同じ組み合わせの名演ライヴ録音が存在するがこれは録音復刻状態がよくデータも僅かにずれているため初出ではないか。環境雑音からライヴとは思うが拍手はない。クレンペラーの古典に取り組むような真摯なアプローチ、ピリオドを思わせる強く厳しい発音に忘れかけていたクレンペラーのマーラーを思い出した。まったく独特でしかしフォルムに崩れはなく、前半楽章ではマーラーの楽器法ではなく和声の奇妙さをくっきり浮き彫りにし、三楽章では自ずとロマンチックな表情を表出させ心底揺さぶられ、その終止音がそのまま四楽章の冒頭に繋がるという、既存楽章の切り貼りとは思えないこれまたマーラーの離れ業をしっかり印象に焼き付けてくれる。歌唱はやや俗っぽいが、一楽章へ回帰するさいのヒステリックな祝祭的表現が柔らかさを打ち消してしまう。突然終わる、これもクレンペラーらしい。○。
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マーラー:大地の歌

2011年12月05日 | マーラー
○レイノルズ(A)トーマス(T)クリップス指揮ウィーン交響楽団(orfeo)1972/6/24・CD

クリップスはリズム処理が滅法巧い。くわえてVSOをここまでコントロールできる指揮者というのも無かったのではないか。VPOよりもウィーンらしい、いい面も悪い面もあるローカルオケを、VPOのようにしなやかで統制のとれた楽団に・・・いやVSOとVPOは別物とわかっていて書いている・・・昇華させた。歌唱は余り残らないし、あっさりとしている面も否定できないが、これを凡演とはとても言えない。誤解を恐れずに言えばカルロス・クライバーのような巧さだ。○。
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