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湯・つれづれ雑記録(旧20世紀ウラ・クラシック!)

※旧ブログの一部コラム・記事、全画像は移植していません。こちらのコンテンツとして残します。

シベリウス:交響曲第3番

2006年10月25日 | シベリウス
バルビローリ指揮ハレ管弦楽団(DA:CD-R)1969live

個人的にバルビのシベリウスやRVWのシンフォニーは音のキレが甘く、テンポがもったりした感じがして余り好きではない。もちろん時期や作品、また楽章によっても違うが、ディーリアスあたりまでの響きの分厚い後期ロマン派作品、やはり独欧系の楽曲に適性をかんじる(リヒャルトやマーラーのような)。ハレとなるとなおさら出来不出来があり、アンサンブルはともかく個人技的にはレベルがばらけた印象が否めない。この作品は過渡期的とはいえ前期の覇気に満ちた主情的な書法と後期の精緻な構造からなる主知的な書法が共存する妙味があり、1,2番の冗長さからも4番以降のとりとめのなくなりがちな性向からも離れた一般的な魅力に溢れた作品だと思う。とくに1楽章は民族的リズムのキレが要であり、大昔これをきくとマーラーの巨人の舞曲楽章を思い浮かべたものだが、ハレでバルビだと重量感も余り感じられずノリが半端な感が否めない。好き好きだろうが、私は余りのれなかった。もちろん、これが最晩年の演奏様式にのっとっているせいもあるだろう。中間楽章(緩徐楽章)の旋律的魅力が4番以降より劣っている感もあるのでなおさらバルビの歌心が生かせない曲でもあるのかもしれない。無印。ステレオ。
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シベリウス:交響曲第5番

2006年10月20日 | シベリウス
○ロジンスキ指揮クリーヴランド交響楽団(DA:CD-R)1946/10/27live

録音は許容範囲ギリギリといったところか、ロジンスキのライヴってそれ以上のものはないですしね。これは既出盤とは違うように思えた。さすがの集中力だがややひっかかりがない高速運転。あと、終楽章が思ったより盛り上がらない気がしたのは期待しすぎだったのか。○。
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シベリウス:交響曲第7番

2006年09月20日 | シベリウス
○ザンデルリンク指揮ACO(WME:CD-R)1990's

重厚壮大なシベ7で、純粋に繊細で透明なアンサンブルを聞かせるよりも、初期テイストを残したロマンチシズムの中に可能性を広げるといった一昔前のドイツ流儀の解釈を重々しく展開している。そのため美感という点で後期シベリウスの磨き抜かれた書法を純粋に味わいたい向きには物足りなさと違和感を覚えさせるところもあるだろう。しかしこれは「交響曲」と名付けられてしまったのである、このくらいのスケール感が欲しい思うのも道理、「交響的幻想曲」ではないのだから、しかもじっさいこうやって効果的に響くのだから、こうやるのも邪道とは言い切れない。現代的ではないところにザンデルリンクの魅力はあったのだ。○。
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シベリウス:交響曲第7番

2006年08月09日 | シベリウス
○ガラグリ指揮ドレスデン・フィル(BERLIN CLASSICS/ETERNA)CD

重厚でワグナーのような響きにガラグリの晩期シベリウスの評判が悪いこともわかる気がする。この繊細な曲にじつにそぐわない無骨さが特徴的な演奏だが、思ったより悪くないのだ。ようは1、2番をさばくやり方で7番をやっているのである。弦楽器の奏法からまるきり変えて挑んだバルビが目を円くするような、一本気な野武士のやり方なのである。だから、晩期のシベリウスがわかりにくい向きは、多少の荒さはあるにせよロマン派的にわかりやすい解釈には馴染める要素はあるのだ。私も大変純粋な未来指向の音響と精密な構造をもった曲だとは思うが好き好んで聞くのは初期二交響曲だからして、まったく違う曲と認識すれば間違いなく楽しめるのだ。響きに軽さはなくとも、不協和音は十分な長さと、明確な遷移をもってしっかり認識できるからこちらも面白い。まあ正統ではなく変なやり方ではあるが昔よくあったスタイルをも彷彿とさせる点でも懐かしい。○にさせて下さい。
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シベリウス:交響曲第2番

2006年04月10日 | シベリウス
ザンデルリンク指揮ベルリン・フィル(SARDANA:CD-R)2000/6/17

ザンデルリンクの雄大な造形には妙な甘さというか柔らかさがあり雄渾さはない。唯一例外的に深情的な二楽章ではシベリウスの暗黒面が垣間見える重量級の表現を聞くことができるが、他の楽章は余りにオーソドックスな感じがして、現代にいくらでもこういう演奏はあるように思う。だがこれらのマイナス印象はひとえにベルリン・フィルのせいだと感じた。過去を言ってもしょうがないがベルリン・フィルはこういう古参指揮者に対してかつてこんな「流した演奏」をする団体ではなかった。どこにも「らしさ」がない。アタックのあいまいさ、発音の単なる抑制、確かに技術的には高度だとは思うが、こんな音を聞きたくてこの盤を買ったのではない。オーソドックスすぎるというのは解釈のことを言っているのではない。演奏の雰囲気のことを言っている。ドイツらしいシベリウスでも、ロシアらしいシベリウスでもない。単なるシベリウスだ。面白くない。演奏レベル的には○なんだろうが、個人的に全く惹かれなかった。無印。
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シベリウス:交響曲第2番

2005年12月08日 | シベリウス
○ザンデルリンク指揮ベルリン放送交響楽団(CD-R)1993/4/30LIVE

録音良好。実直なわりにアクの強い演奏で、テンポや音量操作はまめだが発音やフレージングが念を押すようなドイツ式で、安定感があるけれどもやや単調か。精度は極めて高く、清々しさはないけれども厳しく鋭い怜悧さは感じられ、温かみが欲しい半面これは演奏の個性としては認めておくべきかなどとも思う。派手なのにモノトーン。ブラヴォ飛ぶ。○。

12/8はシベリウスの誕生日だそうです。
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シベリウス:交響曲第2番

2005年10月28日 | シベリウス
〇ザンデルリンク指揮ベルリン・フィル(SARDANA:CD-R)2000/6/17LIVE

最初から驚いたのだが、随分とメロウな感じなのだ。アタックを余り付けずなめらかに穏やかに進めていく。もちろんこの人だからハーモニーの作りかたに安定した重量感はあり、前期シベリウスのドイツ性は浮き彫りにされているのだが、オケが、録音のせいかもしれないが、軽い。ベルリン・フィルならでは、というところがないのだ。ティンパニの音などでわかる人はわかるだろうけど、弦楽器の音でこのオケと明確に判別できる人はいるのだろうか。速くて流れいい二楽章など解釈的に、深みはともかく入りやすく即物的でもあり面白い。しかし高弦に生気が感じられない。らしくない失敗まである(ちこっと欠落も)。2000年の録音であることを加味しても柔らか過ぎるように思った。アタッカで入る三楽章はさすがにいきなり強靭なアンサンブル力を見せ付けられコントラストに胸がすくが、すぐに柔らかく収まる。最初の緩徐部のオーボエがきわめて美しい。耽美的と言い切ってしまおう。管楽器群の素晴らしい音色にはベルリンの底力の健在を感じる。颯爽としたテンポのままそのまま入る四楽章、譜面どおりで全く感情を煽らない。しかし二度めの主題提示で爽やかに盛り上がりを提示する、これも譜面通り。しかしそのあとの主題展開でいきなり歌謡的な細かいフレージングをつけてくる、ザンデルリンクだなあ、これを聞くために買ったのだよ。老齢でもけして緩テンポに逃げずきっちり解釈された音楽をやりつくす。異常な深みを見せる耽美に沈む暗転部分から再現部に入って初めてこの主題にテンポと音量によって雄大なクライマックスを築き上げる、まさにこの設計に、ここだったのか!と感服させられたままの流れ、しかし弦楽器への不満は残る。余力、残し過ぎじゃないか?もっともここまで解釈で統制されたらそれに対してできることは限られている、最後のバイオリンの念押しするようなフレージングや松葉への配慮も聞き逃せまい。雄大な夕日は北国の遅い夜の到来を荘厳に告げる。やや音響バランスが武骨だがそれもよし。

結論。録音のせい。〇。
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シベリウス:交響曲第5番

2005年05月19日 | シベリウス
○チェリビダッケ指揮ミュンヒェン・フィル(RARE MOTH:CD-R)1992/11/8live

これは紛れもなくシベリウスである。このスケール、この響きの美しさ、実にシベリウス的な雄大な演奏だ。でも、シベ5か・・・?シベ5というとシベリウスのわかりやすい作品の上位にランクされる曲であり、人気曲の1、2番に比べて円熟した書法が駆使された隙の無い作品として頻繁に演奏される。ドラマティックな曲想に富みカタルシスが容易に得られるのも人気の理由だろう。だが、この演奏にはそういったドラマティックなシベリウスは現れない。ここには印象でいうならば北欧の広大な大地があり、肌の切れるような冷たい空気があり、空はどこまでも広く、そこに隅々までひびきわたるような音、シベリウスという存在の本質そのものの吼える声が聞かれるのである。だから構成感とかシナリオ作りとかいう部分を超越した演奏というか、もうひたすら横長に、しかし力強く響き渡るブラス(お疲れさま)の咆哮にもう、ああ、こういうシベリウスも絶対アリだな、と思うのだ。逆にシベ5にわかりやすさを求める人には向かない。4番で見られた印象派的手法が別の形・・・ドイツ的な演奏様式・・・であらわれた演奏ともいえるかもしれない。逆説的な言い方だがこんな盛り上がらない終演もあまりない。ほとんどウォルトンの1番のような空疎な終止和音の連打ににやりとさせられた。個人的に○。もう一度聞きたくなる、でも結局わからない、そういうちょっと面白い位置にいるものだ。チェリらしいし、チェリのシベリウスに対する読みの深さも感じる。
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シベリウス:交響曲第2 番

2005年04月01日 | シベリウス
○ビーチャム指揮BBC交響楽団(EMI)1954/12/8ロイヤル・フェスティバルホールLIVE

叫ぶビーチャム!音は悪いしやたら速くて直線的、時にオケが歯切れ悪くなるし、1、2楽章ははっきり言ってイマイチ。テンション芸で押し切れる後半楽章は面白い。特に3楽章からのなだれ込む音楽は即物的な解釈の中でも覇気と気合いに溢れた凄い迫力のもの。最後のリフレインではテンポ変化を含むフレージングの妙味が初めて感じられ、全てが計算であることを思わせる。シベリウス受容の先鋒たるイギリス、そのさらに嚆矢を担った一人であるビーチャム。力強い凱歌の後の烈しいブラヴォもうなづける終焉である。後半のみで○。

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シベリウス:交響曲第2番

2005年03月19日 | シベリウス
○セル指揮ACO(RCO)1964/11/26LIVE

結構ふつうでいまひとつ面白みに欠ける。あとブラスがうるさい。下品に吹かせすぎ。この曲を得意にしたセルだが得意にしすぎたのか、この客演では音に心情が篭っていない感じがする。とにかく全般起伏が少なく感じるのだ。3楽章の刻みのまとまりはさすがだが勢いだけの突っ走りにライヴの焦躁感を実感できる。さすがに4楽章へ向けては偉大な盛り上がりをみせるが力強い表現はさほどのこだわりを見せずにあっさりしたテンポで終幕へ向かっていく。最後のクライマックスはケレン味たっぷりのテンポやフレージングでかっこいい。スコア通りといえばそうなのだが冒頭やにわに盛り上がり過ぎるより気が利いている。全体設計の行き届いたセルらしい計算だ。あいかわらずペット以下うるさすぎ。拍手は普通。

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シベリウス:交響曲第2番

2005年03月14日 | シベリウス
○オーマンディ指揮フィラデルフィア管弦楽団1972/04/26

けっこう完璧な線いってるんじゃないかと思います。解釈はとてもこなれていて聞きやすいし、オケはパワーがあるし、技術的には言うことが無い。ほの暗さも肯定的な楽想に集結していくところなどこの元来明るい指揮者には向いていると思う。ただ強い個性が無いのですれっからしには若干食い足りなさを感じさせなくも無いか。○。
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シベリウス:フィンランディア(マシューズ合唱編曲)

2005年03月14日 | シベリウス
オーマンディ指揮フィラデルフィア管弦楽団1972/3/23

かなり「うるさい」演奏。シンバルあたりがやたらと叩きまくるので旋律が沈んでしまい、せっかくの国民賛歌が叙情性を煽るのではなく寧ろとっぴな印象を受けるほど。録音バランスのせいか?合唱も違和感。。無印。
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シベリウス:交響曲第2番

2005年02月23日 | シベリウス
○ストコフスキ指揮フィラデルフィア・フィル(PO)1964/12/18放送LIVE

冒頭の弦の規則的なリズム音形からして既にテンポが揺れておりいかにもストコ節である。ただ、どうも響きが浅く表層的で深層に訴えかけるものが感じられないのが正直な所。クライマックスの作り方も今一つダイナミズムに欠けているように感じた。ほの暗い中からやがてベートーヴェン的勝利に向かう国民楽派の音楽としてはいささかあっけらかんと明るく開放的でハスッパすぎる。かつての手兵を使った貴重な演奏記録だが、無印。
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シベリウス:カレリア序曲

2005年02月23日 | シベリウス
○アンソニー・コリンズ指揮ロンドン交響楽団(BEULAH他)1955/6/2-3・CD

これほどの曲がなぜかこの序曲と組曲しか演奏されないというのはどういうわけだろう。ワグナーの子として、しかしワグナーが材をとった北欧神話の世界を、フィンランドの素材によってより神秘的かつ透明な音楽に昇華させてみせたシベリウスの、既にして円熟した技巧が示された傑作劇音楽である。序曲は組曲ほどはっきりした音楽ではないが、各主題の描き分けを明確にし構造的なものに配慮しながらも、旋律線や和声の変化に印象派的な微妙な揺らぎを加え、暗示や隠喩の存在を錯覚させる不思議さを持たせており、とても新鮮な印象をあたえる。アンソニー・コリンズはリズム処理が素晴らしく巧く水際立っており、茫洋感を抑え素直に聴き易い音楽を作る事に成功している。オケ(弦)も確信に満ちており清々しい。後期ロマン派様式、例えばグリーグから野暮を取り去り、ワグナーの拡大された型式論を採り入れた、初期シベリウスの完成期を示す作品の一つである。一聴損無し。
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