湯・つれづれ雑記録(旧20世紀ウラ・クラシック!)

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グラズノフ:交響曲第2番

2019年02月05日 | グラズノフ
セレブリエル指揮ロイヤル・スコティッシュナショナル管弦楽団(warner)2009/6/2-5・CD

ダラダラ長くとりとめもない曲ではあるが国民楽派好きにはアピールするだろう。グラズノフの個性は固まっておらずオーケストレーションも生硬で単調。ヴァイオリンなど刻みばっかりで嫌になるんじゃないかという、メロディメイカーとしてもまだまだで、一つの主題に固執して大して面白くもない変容を遂げさせる。無理があるというか変な掛け合いだらけで細かくやりづらそうなアンサンブルではさすがの王立スコティッシュオケも薄くなったり乱れたり、セレブリエールも職人的な捌きを徹底しきれない。ただ、作風が固まってない時期のグラズノフ特有の清新さ(この人に清新さがあったのはごく一時期だ)がある。西欧のワグナーなど巨大な曲を書く作曲家からの影響を受けたとおぼしき、後年は絶対書かなかったような無理があるようにすら思える音の継ぎ方、これは同曲では最も映える一楽章で聞かれるが和声面の大胆さは、2番カルテット四楽章など他にも同様のものはあるが、いずれ耳を打つ。なぜこの方向性を詰めていかなかったのかとも思うが、それはアカデミズムの泰斗グラズノフの確立には邪魔だったのだろう。何を聞かされたのかわからない二楽章、スケルツォぽくしようとしたけど一楽章などとあんまり変わらない聴感の三楽章からまったく締まらないまま四楽章の数珠つなぎの音楽へ向かうが、この楽章はやっとボロディン=グラズノフらしい美しいメロディが出てくる。この曲全般にスケールを大きくみせているが、カリンニコフぽい簡素さも目立つ。西欧折衷派の色があるのでいくら低音ブラスが恥ずかしい咆哮をしても騎馬民族的リズムを煽っても、薄くて明るいトーンが求心的な方向には向かわせない。この楽章でグラズノフらしい構造があらわれるとやや、重みが出てくるが、いかんせん構成が緩くいつまでたっても終わらない(!)変奏曲が私は苦手なのだが、古臭い変奏曲を聞かされてる様な苦行感は否めない。それはこのシェフにオケがロシア風味をすこしも持たず垢抜けているせいもある。強弱の変化や重点の置き方が散漫で、メロディだけを楽しむにもぶつ切れの連鎖に聞こえてしまうところはまあ、、、後進の作曲家に鈍いだのなんだの言われるのはこういうところだなと思いつつ、ラフマニノフの一番もその時代においてはこのくらいの野暮ったさはあったような気もする。さらに、同時代ないしそれ以前のクーチカ界隈を考えると、ましであると言わざるを得ない。しかし、えんえんとフィナーレゾーン、なかなか終止音にならないな。。
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