子供科学電話相談室と大人の言葉使い コラム以前
「コラム以前」シリーズ、二つ目はNHKの子供科学相談室について。今年の夏も特集が行われ、その後、今毎週日曜に、二つから三つの専門ごとに回答が行われています。コロナ禍のため、スタジオに先生がくる場合もあるし、先生は自宅から、という場合もあります。
この番組も年間通しての番組となり1年以上ですが、いろいろ気づかされることがありました。その一つ。アナウンサーにも、先生たちにも言えることですが、不可解なのは、子供が専門用語を知っているたびにほめちぎるという点です。専門用語というのは能率を図るために生まれたもので新しい知見でもなんでもありません。知識がある=科学という間違った方向に導く可能性はないでしょうか。
もっと子供の心理に近づいてみましょう。子供は、専門用語を知っているから誉められてもちっとも嬉しくはありません。自分で努力し、見出したことは評価されたいと思いますが、用語を知っているから褒められても、当惑するばかりです。
二つ目ですが、アナウンサーはもっと聴くことの訓練をする必要があるということ。アナウンサーは話す職業ということになっていますが、言語は話し手と聞き手がいて成り立つ行為です。聴くことがうまくないのはアナウンサーとしてはいけないのではないでしょうか。インタビューの際にその力量が試されます。深夜便の須磨さんなど聴き上手の方がおられますが。
では、どうしたら聴くことがうまくなるのか。それは経験と読書、つまり教養というものが左右します。うまく話すということは、さまざまな選択肢から他を捨てて、ある言葉を選ぶ作業です。瞬時に取捨選択、とくに、捨てるということが大切です。ストックが少なければ言葉も単調になるのは分かりやすい道理です。音楽番組でも、かつての吉田秀和さんや、『題名のない音楽会』の黛敏郎さん(これらはユーチューブで見たり聴いたりできます)が魅力的で、説得力のある話し手であったのは、彼らの人生で積み重ねてきたものがあるからこそでしょう。若い人がうまく話せないということはこういうことです。無難であることしか念頭にないのでしょうか。相手の理解を考慮することなく言葉を排出する様は聴いている側にストレスをもたらします。
話が広がりました。子供の質問の意味をよく理解して、適切に次の課題にリードするのはアナウンサーの修行としても意味のあることでしょう。「コラム以前」と言いながら長くなりました。しかし冗長でした。