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言葉は正確に:ウソの効用 「言論の自由」に関連して

2014年10月30日 | 言葉は正確に:

言葉は正確に:ウソの効用 「言論の自由」に関連して

言論の自由今回のエッセイは、産経新聞の井口文彦さんの記事に全面的に依存しています。しかし、「言論の自由」ということを、高校や大学の授業で扱う際、よい記事だと思いますので紹介したいと思います。

皆さんは、昭和50年(1975年)に、「連続企業爆破事件」というテロ事件があったのはご存知ですか。その当時の事件の取材に当たった記者が亡くなったことを機会に、当時を語るあるエッセイがが先日、新聞に載りました。(産経:10月27日)

当時、三菱重工の本社などで、極左グループによる爆弾テロが繰り返され、多くの犠牲者が出ました。当時の警視総監、土田国保宅にも爆弾が送りつけられ、奥様が爆死するまでに至りました。5月には、犯人グループの割り出しが進み、一斉逮捕の期日が迫りました。その情報を地道な取材で探り出したF記者は、一斉逮捕が19日朝であるというところまでつかみました。

出稿する18日夜、F記者は警視総監の公舎を訪問。明日朝の逮捕が間違いないということを確かめ、不慮の事態を起きないように、「明日、朝刊に載せる」と通告し、対処を促すためです。

三菱重工事件土田総監は、顔色を変えて、こういいました。「相手はテロリストだ。爆弾が手元にあるという情報もある。自爆し、一般人や捜査官を巻き添えにする恐れもあるかもしれん。輪転機を止めてください。」。F記者は考えました、「記事が出たために爆弾テロで死ぬ人がでる可能性もある。社長や編集局長に人命を理由に待ったをかけられれば、新聞は屈服せざるをえない」と。

そこで、F記者は、「二人とも欧州に出張中です」とウソをつきました。「この日私は2つの嘘をついた。『出稿した』と過去形にしたこと、『出張中で有る』ということっだ。良心がうずいた。」

読者は、以上のやり取りになかで、総監も、ある意味で、ウソをついたことにお気づきでしょう。F記者のウソの方は見え透いたウソです。警察という権力の前に勝負に出た、とうことです。一方、警視総監は、「輪転機を止めてください」と言いながら、だまされた振りをするという芝居を打ったわけです。これがもう一つのウソです。

結局、当時の編集局長、Aは、犯人が記事を読まないように、犯人が住む地域への遅配を決断しました。報道の自由と「社会的責任」を両立させるためのぎりぎりの判断でした。スクープ記事は印刷され、犯人たちは逮捕されました。

この一連のやり取りからは、警察の権力者と、報道人との間に信頼感が成立していることを理解することができます。わざとだまされた演技をした警視総監、犯人の居住地域での遅配を決断した編集局長、そして、見え透いたウソを着いたF記者、その三者が演じる歌舞伎を見る思いです。

freedom of speechその後、警察幹部からは「総監は『明日の逮捕はない』と嘘をつくべきだった」という批判もでましたが、それを伝え聞いたF記者は、「完全否定されれば、報道できなかったと思う」と、後に述懐しています。「私の2つの嘘を見抜きながら、土田氏はあえて情報操作、情報統制をしなかった。戦争を体験したこの人には、言論の大切さとういものを、官僚でありながら新聞人以上に自覚されていたように思う」。

編集局長Aも、「あの夜、総監は社長にも私にも電話をしてこなかった。(---) スクープでは完勝したが、土田総監には完敗したという思いがいまだに強く残っている。」と、後に書いているそうです。

言論の自由には、権力者と報道人の間の相互信頼が欠かせないということを考えさせる事件でした。もし、総監が「明日の逮捕がない」と言えば、警察と報道の間の相互不信が高まり、剥きだしの権力と、手段を選ばない報道の悪循環が始まるでしょう。実際、外務省秘密漏洩事件では、記者が女性官僚から色仕掛けで秘密を手に入れるという挙に出て、報道と役所が長い間相互不信に陥ったことがありました。オフレコの暴露などよくありますね。

土田長官夫人また、一方で、権力と報道の癒着だと言う人もいるかもしれませんが、一見似ていて、癒着とはもっとも離れた事件であるとういことも言っておく必要もあるでしょう。癒着は、相互信頼ではなく、相互不信を利益供与で誤魔化ことで成り立つからです。


今、この新聞社のK記者がある国の元首の名誉を傷つけたという理由で、その国に留置かれています。我が国でも、財務省を非難したため、突然、大規模な税務調査が行われたという話しがあります。 かくのごとく権力者は、手段を選ばない、剥きだしの権力で報道を押さえつけようをすることがあります。このような相互不信を再生産させる状況のもとでは、言論の自由は果たして定着していくものでしょうか。

勧進帳言論の自由という言葉だけを金科玉条のように考えている人も多いかと思いますが、実際の言論の自由は、さまざまな利害関係の下で、瞬時の判断と、コモンセンスをフルに生かしながら、日々のやり取りのなかで培っていくものではないかと思います。

http://www.sankei.com/affairs/news/141027/afr1410270018-n1.html (最終閲覧:10月30日)