外国語学習の意味、そして母国語について考えましょう

社内公用語の英語化、小学校での英語の義務化など最近「英語」に振り回され気味ですが、何故、どの程度英語を学ぶか考えます。

福沢諭吉の愉快な英語修行 3 諭吉さん、悪戯がすぎますぞ、の巻

2018年11月29日 | 福沢諭吉と英語のつきあい

福沢諭吉の愉快な英語修行 3 諭吉さん、悪戯がすぎますぞ、の巻

前回

写本イラスト現代では、写本ということは悉くフォトコピーに置き換われて、無用のものになりましたが、では、適塾における写本の練達は私たちにはまったく無意味なものでしょうか。ここには、「欠如の充足」という普遍的学習理論(かってに私がそう名付けていますが...)の柱の一つの見事な応用例ではないでしょうか。人間は足りないこと、知らないことがあるとそれを充足しようとする本能、情熱というものがあります。これは人間がものを学ぶ際の不可欠の条件の一つです。現在の学習環境、小学校でも中等教育でも大学でもこの条件は満たされているでしょうか。もしないとしたらその問題を議論しなければなりません。何も適塾のまねをしてわざと不便な状況を作り出す必要はないかもしれません。また、「昔あって今失われたもの」のノスタルジーに浸るのもすこしずれているように思います。しかし、少なくとも、この人間離れした写本の作業は、何時の時代にも通じる学習の本能というものについて考えさせてくれるのです。

さて、試験、写本についで、適塾での活動の三つめの面、実験、工芸にも書生たちは熱心でした。しかし...。以下、アンモニア製造の一節からです。

アンモニア(-----) すなわちこれが暗謨尼亜(アンモニア)である。至極旨く取れることは取れるが、ここに難渋はその臭気だ。臭いにも臭くないにも何ともいようがない。馬爪(あのばづ)、あんな骨類を徳利に入れて蒸焼にするのであるから実に鼻持ならぬ。それを緒方の塾の庭の狭い処でるのであるから奥でもっらぬ。奥で堪らぬばかりではない。流石(さすが)の乱暴書生もれには辟易(へきえき)してとも居られない。夕方湯屋に行くと着物が臭くって犬が吠えるというけ。たとまっぱだか遣やっても身体からだが臭いと云いって人に忌いやがられる。(岩波文庫p.88。今回、このページ前後から引用)

医学塾であるにもかかわらず、適塾は衛生概念にも問題があったようです。

食事の時にはとても座って喰うなんということは出来た話でない。足も踏立てられぬ板敷だから、皆上草履(うわぞうり)をはいて立って喰う。一度は銘々に別けてやったこともあるけれども、そうは続かぬ。お鉢がそこに出してあるから、銘々に茶碗に盛って百鬼(ひゃくき)立食(りっしょく)。

夏は真実のはだか、褌(ふんどし)も襦袢(じゅばん)も何もない真っぱだか。もちろん飯をくう時と会読をする時にはおのずから遠慮するから何か一枚ちょいと引掛ける、中にも絽(ろ)の羽織を真っぱだかの上に着てる者が多い。これは余程おかしな風(ふう)で、今の人が見たら、さぞ笑うだろう。

裸といえば、諭吉さんの大失態がありました。

適塾階段又あるときこれは私の大失策、或る夜、私が二階に寝て居たら、下から女の声で福澤さん/\と呼ぶ。私は夕方酒を飲んで今寝たばかり。うるさい下女だ、今ごろ何の用があるかと思うけれども、呼べば起きねばならぬ。それから真っぱだかで飛起て、階子段を飛下りて、何の用だとふんばたかった所が、案に相違、下女ではあらで奥さんだ。何どうにもこうにも逃げようにも逃げられず、真っぱだかで座ってお辞儀も出来ず、進退窮して実に身のおきどころがない。奥さんも気の毒だと思われたのか、物をも云わず奥の方に引込んでしまった。翌朝おわびに出て昨夜は誠に失礼つかまつりましたと陳べるわけにも行かず、とうとう末代御挨拶なしに済んで仕舞た事がある。こればかりは生涯忘れることが出来ぬ。先年も大阪に行って緒方の家を尋ねて、この階子段の下だったと四十年前の事を思出して、独り心の中で赤面しました。

「しらみは塾中永住の動物で、誰一人もこれを免かれることは出来ない。ちょいとはだかになれば五疋も十疋も捕るに造作はない」と、こんな調子で、町中へ出ても緒方の書生は嫌われ者でした。或る時こんなことがありました。

そんなわけだから塾中の書生に身なりの立派な者は先まず少ない。そのくせ市中の縁日などいえば夜分きっと出て行く。行くと往来の群集、なかんずく娘の子などは、アレ書生が来たと云て脇の方によけるその様子は、何かでも出て来てそれをきたながるようだ。どうも仕方しかたがない。鳥を捌く往来の人から見てのように思うはずだ。あるとき難波橋のわれわれ得意の牛鍋屋の親爺が豚を買出して来て、牛屋商売であるが気の弱い奴やつで、自分に殺すことが出来ぬからと云て、緒方の書生が目指された。それから親爺に逢って、「殺して遣やるが、殺す代りに何を呉くれるか」――「左様ですな」――「頭を呉れるか」――「頭なら上げましょう。」それから殺しに行った。こっちは流石(さすが)に生理学者で、動物を殺すに窒塞させれば訳はないと云うことを知って居る。幸いその牛屋は河岸端であるから、そこへ連れて行って四足を縛って水に突込んですぐ殺した。そこでお礼として豚の頭を貰って来て、奥からなたを借りて来て、まず解剖的に脳だの眼だのよく/\調べて、散々いじくった跡を煮て喰くったことがある。

このような塾で頭角を現わしたのは、学力だけでもなさそうです。「人を食う」という表現がありますが、諭吉さんの場合、少々程度が違います。

(-----) それから又一度遣やったあとで怖いと思ったのは人をだまして河豚(ふぐ)わせた事だ。私は大阪に居るときさっさと河豚も喰えば河豚の肝(きも)喰って居た。る時、芸州、仁方(にがた)から来て居た書生、三刀元寛(みとうげんかん)云いう男に、味噌漬みそづけ貰って来たが喰わぬかとうと、「ありがたい、成程い味がする」と、よろこんで喰て仕舞って二時間ばかり経ってから、「イヤ可愛いそうに、今喰たのは鯛でも何でもない、中津屋敷で貰た河豚の味噌漬だ。食物の消化時間は大抵知ってるだろう、今吐剤飲のんでも無益だ。河豚の毒がかれるなら嘔いて見ろと云ったら、三刀も医者の事だから分わかって居る。サア気を揉んで私に武者振付くように腹を立てたが、私もあとになって余りしゃれに念が入過りすぎたと思て心配した。随分間違いの生じ易やすい話だから。

このような話は『福翁自伝』中、枚挙にいとまがありません。こういうのを英語ではpracticcal jokeと云いますが、この「姿勢」は終生変わらなかったようで、「福沢諭吉の英文翻訳法2/2」で触れた尾崎行雄の件(註の部分)などをご覧ください。まこと枚挙にいとまがないのですが、このブログは英語教育、学習を旨とするものなので、次回、有名な漫画家の祖先が福沢にしてやられる話を最期にし、適塾の学習について「真面目」な話をひとくさり。そのあとめでたく英語の世界に入ってまいります。

最期に、町中(塾内だけでないんです!)での悪行によって危うい目にあった話で今回はおしまいにします。

適塾祭り私が一度大いに恐れたことは、これも御霊(ごりょう)の近処で上方(かみがた)に行われる砂持(すなもち)と云う祭礼のような事があって、町中の若い者が百人も二百人も灯籠(とうろう)を頭に掛けてヤイ/\云て行列をして町を通る。書生三、四人してこれを見物して居る中に、私がどういう気であったか、いずれ酒の機嫌でしょう、杖か何かでその頭の灯籠をぶち落してやった。スルトその連中の奴と見える。チボじゃ/\と怒鳴り出した。大阪でチボ(スリ)と云えば、理非を分わかたず打殺して川にほうり込む習(ならわし)だから、私は本当に怖かった。何でも逃げるにしかずと覚悟をして、はだしになって堂島の方に逃げた。その時私は脇差を一本さして居たから、もし追つかるようになれば後向いて進んで斬るより外仕方しかたがない。斬っては誠にまずい。かりそめにも人にきずを付ける了簡(りょうけん)はないから、ただ一生懸命に駈かけて、堂島五丁目の奥平の倉屋敷(中津藩の屋敷)に飛込んでホットいきをした事がある。

続く(福沢諭吉4へ)