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日米密約:有識者委報告(その2)

2010年03月11日 | スクラップ



<3>沖縄返還時の核再持ち込み密約

 沖縄返還後に重大な緊急事態が生じ、米国政府が核兵器を沖縄へ再び持ち込むことについて事前協議を提起する場合、日本側はこれを承認するとの内容の秘密の「合意議事録」が、佐藤栄作首相とニクソン米大統領の間で作成されたのではないかというもの。若泉敬氏(96年死去)が著書「他策ナカリシヲ信ゼムト欲ス」で、69年11月の首相訪米前、米側と極秘折衝に当たったことを明かした。

 外務省に「合意議事録」は保管されておらず、交渉が若泉-キッシンジャーのルートで行われたことが浮かび上がった。昨年12月になって「合意議事録」が佐藤首相の遺品として残っていたことが判明。佐藤首相は文書を私蔵したまま、引き継いだ節は見られず、議事録は佐藤内閣以降の政権を拘束する長期的効力を持つものではなかった。有識者委は同ルートが開かれたこと自体は評価する一方で、内容的に共同声明を大きく超えないなど「密約」としての性格に否定的見解を示した。

 


◇外務省

 若泉氏が準備したとされる「合意議事録」は発見されなかった。外務省は沖縄返還後の有事核持ち込みについて「何らかの記録」作成が必要になる可能性を懸念し、準備研究を行っていたが、文書なしに決着したというのが外務省の認識だった。なお調査終了後、「合意議事録」が佐藤元首相宅に残されていたとの報道を受け、写しを入手。若泉氏の著作にある「合意議事録」と比較を行った結果、内容はほぼ同一であることを確認した。

 


◇有識者委

 沖縄の施政権返還にあたって最も難航したのは、返還後の基地機能に関する問題、とりわけ核兵器の扱いであった。69年11月の佐藤首相とニクソン大統領の共同声明は、核に関する日本の国民感情を大統領が理解するとともに、安保条約の事前協議事項に関する米側の立場が尊重されると合意。ところが94年刊行された若泉敬著「他策ナカリシヲ信ゼムト欲ス」が、佐藤首相とニクソン大統領との間で「重大な緊急事態が生じた際」に米国が沖縄基地に核兵器を再持ち込みすることに対し、日本政府が「その必要を満たす」との「合意議事録」があったことを明らかにした。97年に公開された米国資料や09年12月に佐藤家から両首脳のフルネームで署名された「合意議事録」が発見されたが、調査では「合意議事録」も関連資料も外務省内では発見されなかった。

 68年9月11日、ハルペリン国防総省国際問題担当次官補代理は東郷文彦外務省アメリカ局長に対し「核は平常では常置しないが、有事の際、迅速に持ち込めることの保証をとることがabsolute minimum(必要最小限)だ」と述べた。

 米政府にとっては返還時に核兵器を撤去する場合でも有事の核兵器再持ち込みが前提だった。69年ニクソン政権発足で施政権返還を含む対日政策の再検討は本格化。正式交渉開始に先立って、核については他の要素が満足できる合意に達し、緊急時の貯蔵と通過権の確保ができれば最終段階で考慮すると決定した。核に関する最終決定を首脳会談まで引き延ばし、最大限の日本からの譲歩を得る戦略だった。

 日本政府の立場は非核三原則を踏まえて核抜き返還を求めるものであった。佐藤首相が67年12月の衆院予算委員会で「核兵器を持たず、作らず、持ち込ませず」と答弁。外務省はこの方針を受け、交渉では返還時の核撤去を求め、返還後の核持ち込みについては事前協議の対象とする立場を固めていた。

 「オキナワに戦術核を置けることは抑止力にとってvital(極めて重要)。核についても事前協議はノーとは限らないことが明らかになるべきだ」(69年6月5日、ジョンソン国務次官の発言)

 愛知揆一外相とロジャーズ米国務長官の会談に同席したジョンソン国務次官は、不公表のフォーミュラ(定式)の作成を提唱。愛知外相は「不公表の文書が要らぬようなコミュニケを作り得ることが望ましい」と述べたが明確な回答は得られず、その後の交渉でも緊急時の核持ち込みに関する保証の必要性と方法を巡る溝は容易に埋まらなかった。9月12日の日米外相会談でロジャーズ長官は、沖縄返還に伴う財政面及び(海外向け短波放送の)VOA(ボイス・オブ・アメリカ)の活動継続に触れた後、繊維問題に言及。以降、繊維問題を含む日米関係全体が核との関係で考慮されていると米側が示唆する場面が続く。

 佐藤首相は69年10月7日、牛場信彦外務次官らの報告に対し、「非核三原則の持ち込ませずは誤りであったと反省している。この辺で(日本が)不完全武装だからどうすべきかということをもっと明らかにすべきであろうか」と発言。核問題で米側からの回答が得られない事態の下、首相の判断が揺らいだことがうかがわれる。

 「万一日本自身の安全がかかる事態が生じた場合には、核兵器の導入に対する政策を含む日本の防衛政策全般が慎重に再検討されなくてはならない」(69年10月15日、外務省作成の会談録での日本代表発言)

 首脳間の最終決定を待つほかない事態となり、外務省が取り組んだのは、共同声明とは別に何らかの文書を用意することであった。首相官邸も核の再持ち込みに関する共同声明第7項の三つの案をまとめた。訪米した佐藤首相は11月19日のニクソン大統領との首脳会談で、このうち第2案で合意した。これらの案を官邸に伝えたのは東郷アメリカ局長で、「東郷案」に基づく「官邸案」が外務省に戻され、同じ案が首相からあるルートで米国政府に伝えられた。

 若泉氏は69年7月、キッシンジャー大統領補佐官と極秘の連絡ルートを設定し、同9月末ホワイトハウスで会見した。キッシンジャー氏は緊急時に際し、事前通告をもって核兵器を再び持ち込み、通過させる権利と、嘉手納、辺野古、那覇空軍基地などの核貯蔵地をいつでも使用できる状態に維持し、緊急事態に活用することを両首脳による合意議事録とするよう提案。若泉氏は佐藤首相に会い、極秘に保管する「合意議事録」に両首脳がイニシャル署名することを提案、佐藤首相は交渉を一任し、第1案から第3案までの手書きの共同声明草案を示した。

 「官邸案」は若泉-キッシンジャー・ルートを通してニクソン大統領に伝えられ、繊維に関する「覚書」と核に関する「合意議事録」が作成された。若泉氏は帰国後佐藤首相に共同声明が「第2案」となること、「手続きに関する取決め」や合意議事録、覚書を伝え、首相は出発(11月17日)直前に、共同声明をニクソン大統領が受け入れるとの感触を得るとともに、会談の際に首脳が小部屋に入り「合意議事録」に署名する手はずを了承した。

 「合意議事録」が佐藤内閣の後継内閣をも拘束する効力を持ったかについては、否定的に考えざるを得ない。佐藤首相自身が交渉開始前から「秘密了解」に慎重であったことに加え、文書を私蔵したまま、引き継いだ節は見られない。共同声明よりも踏み込んだ内容を持っているが、声明の内容を大きく超える負担を約束したものとはいえず、必ずしも密約とはいえない。この秘密文書がなくても日本はかねて準備していた「会談録」またはこれを基礎とした提案をして合意に向けて動き、結局合意は実現されたのではないか。

 他方で、キッシンジャー氏というユニークなスタイルを持つ強力な外交指導者との交渉において落としどころを探っていく上で若泉-キッシンジャー・ルートが開かれたことは大いに評価できる。このルートを通してニクソン大統領の意向が佐藤首相に届いた意義は大きい。

 


<4>沖縄返還時の原状回復補償費肩代わり密約

 沖縄返還交渉の最終局面で、沖縄返還協定で米国政府が自発的に支払うとなっている土地の原状回復補償費400万ドルを日本側が肩代わりすることを内容とする非公表の「議論の要約」が作成されたのではないかというもの。吉野文六アメリカ局長とスナイダー駐日米公使が71年6月12日イニシャル署名したとの指摘がなされ、吉野氏が09年12月の情報公開訴訟で「米側と文書を取り交わした」と密約の存在を証言した。

 外務省の調査では「議論の要約」が見つからなかったが、非公表の外相書簡を米側から求められ、試案を作成し交渉したものの、外相の判断で発出を見送ったことを示すメモが見つかった。元毎日新聞記者、西山太吉氏による密約報道が取り上げられた翌72年の国会対策用に条約課長がまとめたメモだった。

 有識者委は「議論の要約」を「狭義の密約」としては否定したが、原状回復補償費の肩代わり合意と3億2000万ドルへの積み増し了解は「両国政府の財政処理を制約する」として「広義の密約に当たる」と結論付けた。




◇外務省

 吉野局長が署名したとされ、米国で公表された「議論の要約」は発見されず、作成されたかどうかは確認できなかった。400万ドルの支払い問題に関し、米側の強い要請に基づき、非公表の外相書簡を発出する交渉が行われたものの、日本側として文書を作成しないとの結論に至ったことを示すメモが発見された。400万ドルについて、米国が日本側から受け取る3億2000万ドルの中から手当てしようとしており、日本側も承知していたことはうかがえる。

 


◇有識者委

 沖縄返還協定第4条1項は、日本と日本国民の米国に対する請求権を放棄したが、同4条3項は返還時に米国が軍用地として使用していた土地の原状回復のため「自発的支払い」を行うと規定。米国側は財源問題から当初、支払いに応じようとしなかった。70年12月22日、愛知揆一外相はマイヤー駐日米大使との定例会談で土地の原状回復の支払いを要求。マイヤー大使は「『復帰は米国にとり出費を伴うことなし』の原則からして、財政支出を議会に要求するのは甚だ困難」と伝えた。

 「この問題が解決しない限り、沖縄住民は左翼の『返還協定粉砕』に与(くみ)する恐れさえある。私見だが、米側の支払い財源は当方としても考慮してよいのではないか」(71年5月11日、愛知外相がマイヤー大使との定例会談で)

 マイヤー大使らは愛知外相の示唆を、米議会に財政支援を求めることを回避できるとして歓迎。愛知外相は17日、米側との夕食会で「3億ドルを超える財政措置を考慮中」として米側の同意を求め、外務省はVOA移転経費(1600万ドル)と請求権対応を合わせた2000万ドルを3億ドルの外枠として扱う方針で大蔵省側と折衝を進めた。同月下旬には福田赳夫蔵相と愛知外相間で合意が成立。佐藤栄作首相の了承も得たとみられる。

 「日本政府は米政府による見舞金支払いのため、信託基金設立のため400万ドルを米側に支払うものである」(71年6月9日の東京での会合でスナイダー公使)

 スナイダー公使は、信託基金設立のため愛知外相からマイヤー大使あての「不公表書簡」の提出を要望。「米政府部内での説明が必要な時のみ提示されるもので極秘資料として取り扱う。ないと請求権に関する日本側提案は受諾し得なくなる」と付け加えた。日本側は資金源に触れることは受け入れがたいとして「米国政府が自発的支払いをするための信託基金を設定するために(返還に伴う財政問題の)一括決済額から400万ドルを留保することを了知する」との案を提示した。

 米側資料によれば、6月12日の最終協議で「署名による書簡」とするか「交渉経緯(記録)」とするかが議論となり、井川克一条約局長、吉野アメリカ局長ら日本側の交渉当事者は二分。吉野氏は交渉経緯全体への言及を避けるため「議論の要約」を作成し、米側の要望に応えることを提案したようだ。

 吉野局長「日本政府は請求問題の解決に際して、どれだけの支払額が予定されているかは正確には知らない」

 スナイダー公使「米政府は4条3項の規定に従って支払いの総額を決定する。総額は約400万ドルとなろう」

 吉野局長「貴方のステートメントを了知する。最終的な米側の支払総額はいまだ不明であるが、日本政府は、自発的支払いを実施する信託基金設定のため、支出される3億2000万ドルのうち、400万ドルが留保されることを予期している」

 スナイダー公使「貴方のステートメントを了知する」(71年6月12日、日米の交渉当事者間で合意した「4条3項に関する議論の要約」)

 外務省の関係資料には「議論の要約」も、12日の交渉経緯を示す記録も残されていないが、日本側書簡案の結末については栗山尚一法規課長(72年1月から条約課長)が作成したメモに「従来よりの基本的立場に基づきかかる文書の必要なしとの結論に達し、試案を正式に取り上げることなく終わった」と記されている。他方、東京では大臣書簡案に代わるオプションとして吉野局長とスナイダー公使によるイニシャルを前提とした「議論の要約」を作成することで合意し、外相の帰国前日の12日に吉野局長とスナイダー公使がイニシャル署名したものと考えられる。

 とりわけこれが注目されたのはいわゆる「西山事件」による。不公表書簡の疑惑は解けないまま推移し、西山事件の審理を通じても明らかにならなかった。調査で明らかになったのは、不公表書簡は検討されたが発出には至らず、その内容は必ずしも400万ドルの肩代わりを日本側が約束するものでなかったこと、さらに書簡とほぼ同趣旨の「議論の要約」の外務省における不存在だ。

 日本側の不公表書簡案も「議論の要約」もそれ自体は両国政府を拘束するような内容ではなく、両政府間の秘密の合意や了解を意味する「密約」にあたるわけではない。また日本側書簡案は最終的には愛知外相の判断で取りやめられた。「議論の要約」は事務当局レベルのものであり、米側には渡されていたが、その作成とイニシャルを愛知外相や後継の福田外相等の政府首脳が認識していたかと言えば疑わしい。

 しかし、原状回復補償費の肩代わり合意と3億2000万ドルへの積み増し了解は、非公表扱いとされ、明確に文書化されておらず、返還協定や関連取り決めにも明記されていないものであるが、両国政府の財政処理を制約する点で、「広義の密約」に該当する。

 沖縄返還に伴う財政経済交渉は、米国の国際収支が悪化し、黒字国と赤字国の責任分担をめぐる対立が激しさを増すとの環境の下で行われた。大幅な黒字国の日本は、米政府の外交攻勢に絶えず守勢に回り、早期返還の実現のために、財政負担の中身を詰めるより、「高度の政治的判断」を優先したことは十分理解できる。その過程では、公表できない合意や了解も必要となり、「議論の要約」もその一つと言えるかもしれない。

 しかしながら、巨額の財政取り決めに関する不透明な処理は、日米両政府による責任ある説明を不可能なものとし、密約疑惑の背景となる。交渉が複雑を極めたことも当面公表できない合意や了解が必要になった理由の一つだった。




毎日新聞 2010年3月10日 東京朝刊

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