かって、この世に存在していた「卜部兼好」という青年は、下らない望みを捨てて生きる事を望んだ。
何故なら、兼好が生きた現世があまりにクソくだらなかったからだろう。クソくだらない世の中にあわせて「望み」を抱いても、その「望み」じたいがクソだ。下らない世間に対して「望み」を抱く事じたいが、とてもクソ下らない。
下らない世の中とはぜひとも絶縁したい。
その、具体的な対処方法は「出家」である。
出家は、今も昔も、自分の価値判断を宗教におまかせして、あとはお願いしますという「思考停止」の荒技だ。だからこそ、「南無阿弥陀仏(ブッダにおまかせします)」と平気で唱えられるのだが、兼好は違った。
ブッダなんか信じきっちゃいないし、信じられない。
それは、兼好の素地が、「神道」であったという事とも多少は関係しているのだろうが、そもそもの兼好の無駄に理屈っぽい性格が、信じきる強さを否定してしまうのだろう。
でもだ。
仏教しか「卜部兼好」の逃げ道はなかった。
「死」は、兼好にとって救いではない。
死後の世界なんか信じられないからだ。
「魂」なんてものじたいを兼好は信じていなかった。
見えない世界を語る連中がとてつもない馬鹿に見えたからだ。
「望み」以外に望む物はない。
「望み」消える時が「死」だ。
兼好は迷いに迷ったあげくに、出家を選んだ。
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