俺は日本国で育ち、日本人の両親に育てられた。
だからこそ、こうしてなんとか日本語で作文を書く事も出来るし、下らないダジャレを言う事も出来る。
だが、もしもである。
もしもなど現実にはありえないが、もしもあったとして。
もしも、この日本人であるこの俺が、産まれてすぐに、ニューヨークの自由の女神のたもとに捨てられ、アメリカ人の両親にアメリカ合衆国で育てられていたならば、どうなったであろうか?
たぶん、今頃はニューヨークなまりの英語を駆使して下らないアメリカン・ジョークを言っていたはずである。そして保険はアクサダイレクトであったろう。
なら、この俺が産まれてすぐに道頓堀の橋のたもとに捨てられ、大阪人の両親に大阪で育てられたのなら、どうなっていたであろうか?
当然に、今頃はコテコテの下らないギャグをかます阪神ファンのはずである。
人間は、環境や教育がつくる。
同じ赤ん坊でも、日本人が育てれば日本人になるし、アメリカ人が育てればアメリカ人になる。恐ろしい事に関西人が育てれば関西人にさえなる。
大和民族だから日本人になるわけでも、ゲルマン民族だからドイツ人になるわけでもない。
俺の肉体的な、黄色人種でモンゴロイドという性質は絶対に変わりはしないが、どんな環境でどんな教育を受けるかによって、頭の中身はまったく変わってしまう。
それどころか、人間は、狼に育てられれば狼にさえなる。
もしかしたら、猿に育てられれば猿になるかもしれない。
だから、俺は思う。
人間は、男として育てられたから男になる。
そして、女として育てられたから女になる。
人間という生物のオスメスの違いとは本来は関係のない、生育環境が刷り込んだ男らしさや女らしさを『ジェンダー』と言うのかなと思う。
どっからどこまでが本来の生物的性差で、どっからがジェンダーなのだかは、人間の男女ではあまり区別はできないし、俺には分からない。
では本来、どのくらい人間の男と女は違うのだろうか?
えー、さて。
生物発生的てか、胎児の生育から考えると、男という性は、女を改造したものらしい。
よく養老孟司先生が書かれているが、てか、この先生は繰り返しがやたら多い。
ようするに人間の原型はメスであるらしい。
遺伝子的にXXがメスとなり、XYがオスとなる。
生物学的には、基本形Xの連チャンな方がジャンジャンバリバリの基本なのである。生物としての人間はメスが基本形であり、解剖学的にも男の陰茎などクリストリスを肥大化させて中に尿道を通したものだとされてる。
ほっておくとメスとなる胎児を、遺伝子やらホルモンやらで無理矢理にオスにしてるのが、人間のオスであると解剖学では考えられているようだ。
メスが人間の基本形だと解剖学者の養老先生は言っている。
大学の先生は、自分の専門分野以外では、平気で適当な事を言うけど、自分の専門分野では命がけの発言をするから、まんざら嘘でもないようにも思う。
男という性は、女と産まれるはずのモノを、遺伝子が組み替えた、遺伝子による改造人間。
だから、男なんか女の改造版。女の改造人間が男。
女から子供を産む機能を奪い去り、遺伝子の多様性を実現せんが為だけに、種付け能力を授けられたのが男。子供を産む必要がないが為に、身体に余裕ができて、女よりも強い筋力を養う余裕がありますが、しょせんはそれだけで、男なんか女の廉価版だからすぐ死ぬ。平均寿命が見事にそれをあらわしています。
生物的には、本来は、遺伝子の拡散以外に、男になんか利用価値なんか無いのだから、男がとっとと死ぬのは当然です。
キリスト教の語る、アダムの骨からイブがなんてのは、あきらかに嘘っぱちで、生物的には女が人間の基本形なのだろうとされています。
さて、
教育が人間を造る。
女を改造したのが男。
これから導き出される結論は何でしょうか?
人間は環境しだいでなんにでもなれる。
生物的には人間は女が基本形であり、男は筋力強化の廉価版。
俺はここから、女も男もそんなに変わらないんじゃないのという結論を導き出したいと思います。
申し訳ありませんが、男の悪あがきです。
だからこそ、こうしてなんとか日本語で作文を書く事も出来るし、下らないダジャレを言う事も出来る。
だが、もしもである。
もしもなど現実にはありえないが、もしもあったとして。
もしも、この日本人であるこの俺が、産まれてすぐに、ニューヨークの自由の女神のたもとに捨てられ、アメリカ人の両親にアメリカ合衆国で育てられていたならば、どうなったであろうか?
たぶん、今頃はニューヨークなまりの英語を駆使して下らないアメリカン・ジョークを言っていたはずである。そして保険はアクサダイレクトであったろう。
なら、この俺が産まれてすぐに道頓堀の橋のたもとに捨てられ、大阪人の両親に大阪で育てられたのなら、どうなっていたであろうか?
当然に、今頃はコテコテの下らないギャグをかます阪神ファンのはずである。
人間は、環境や教育がつくる。
同じ赤ん坊でも、日本人が育てれば日本人になるし、アメリカ人が育てればアメリカ人になる。恐ろしい事に関西人が育てれば関西人にさえなる。
大和民族だから日本人になるわけでも、ゲルマン民族だからドイツ人になるわけでもない。
俺の肉体的な、黄色人種でモンゴロイドという性質は絶対に変わりはしないが、どんな環境でどんな教育を受けるかによって、頭の中身はまったく変わってしまう。
それどころか、人間は、狼に育てられれば狼にさえなる。
もしかしたら、猿に育てられれば猿になるかもしれない。
だから、俺は思う。
人間は、男として育てられたから男になる。
そして、女として育てられたから女になる。
人間という生物のオスメスの違いとは本来は関係のない、生育環境が刷り込んだ男らしさや女らしさを『ジェンダー』と言うのかなと思う。
どっからどこまでが本来の生物的性差で、どっからがジェンダーなのだかは、人間の男女ではあまり区別はできないし、俺には分からない。
では本来、どのくらい人間の男と女は違うのだろうか?
えー、さて。
生物発生的てか、胎児の生育から考えると、男という性は、女を改造したものらしい。
よく養老孟司先生が書かれているが、てか、この先生は繰り返しがやたら多い。
ようするに人間の原型はメスであるらしい。
遺伝子的にXXがメスとなり、XYがオスとなる。
生物学的には、基本形Xの連チャンな方がジャンジャンバリバリの基本なのである。生物としての人間はメスが基本形であり、解剖学的にも男の陰茎などクリストリスを肥大化させて中に尿道を通したものだとされてる。
ほっておくとメスとなる胎児を、遺伝子やらホルモンやらで無理矢理にオスにしてるのが、人間のオスであると解剖学では考えられているようだ。
メスが人間の基本形だと解剖学者の養老先生は言っている。
大学の先生は、自分の専門分野以外では、平気で適当な事を言うけど、自分の専門分野では命がけの発言をするから、まんざら嘘でもないようにも思う。
男という性は、女と産まれるはずのモノを、遺伝子が組み替えた、遺伝子による改造人間。
だから、男なんか女の改造版。女の改造人間が男。
女から子供を産む機能を奪い去り、遺伝子の多様性を実現せんが為だけに、種付け能力を授けられたのが男。子供を産む必要がないが為に、身体に余裕ができて、女よりも強い筋力を養う余裕がありますが、しょせんはそれだけで、男なんか女の廉価版だからすぐ死ぬ。平均寿命が見事にそれをあらわしています。
生物的には、本来は、遺伝子の拡散以外に、男になんか利用価値なんか無いのだから、男がとっとと死ぬのは当然です。
キリスト教の語る、アダムの骨からイブがなんてのは、あきらかに嘘っぱちで、生物的には女が人間の基本形なのだろうとされています。
さて、
教育が人間を造る。
女を改造したのが男。
これから導き出される結論は何でしょうか?
人間は環境しだいでなんにでもなれる。
生物的には人間は女が基本形であり、男は筋力強化の廉価版。
俺はここから、女も男もそんなに変わらないんじゃないのという結論を導き出したいと思います。
申し訳ありませんが、男の悪あがきです。
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