小説家や絵描きなどに求められるのは「理性」であり「狂気」ではない。
「狂気」とは何か?
俺は「狂気」とは『命令ミス』による『精神的な故障』と考える。
「狂気」は『間違った命令』から産まれる。
コンピュータも人間も基本的には「命令」を忠実に遂行したがるが、「間違った命令」は「命令」そのものが間違えているから絶対に答えなんかでない。
コンピュータなら間違った命令を与えられたら当たり前のようにバグる。
それと同じように、人間の狂気とは間違えた命令を与えられたコンピュータがバグった状態と同じようなモノだと俺は思う。
カンタンに言うならば、狂気におちいる人間は「どうも融通がきかない」。
ようするに馬鹿なのだ。
では、「理性」とは何か?
間違った問題を「あぁ間違えてる」と気づける性能だ。
『創作活動』に必要なのは理性のみである。
自分の身を狂気に浸す必要性などどこにもないし、狂気を売り物にするのは「間違えた問題から導きだした間違った答え」を嬉しそうに世間に公表する行為に等しい。
しかしどうなのでしょう、「求められる」という状態がどんなものかにもよるんでしょうが、見る者を動揺させずにおかない狂気というのもあるんではないでしょうか。
別に見た人全員が動揺しなくてもいい、1億の中の1人か2人でも揺さぶることができるなら、それは小説や絵として、少なくとも何かを人に伝える媒体として、役に立ったといえると思います。
まあそれが商売として「売れる」かどうかは別として。
精神を病んでいる皆様には申し訳ありませんが、やはりああはなりたくないという意味で。
ってか、「動揺」と「感動」は、「売れる」を抜きにしてぜんぜん違う「意味」ですよね。
マジの狂人は売り物なんかじゃないし、売り物にはなりません。
なんなんですが、狂気から何かを感じる人達がいて、狂気を売り物にしようとする人達もいます。
需要さえあれば狂気すら商品になりますからね。
ソレが俺にはアホらしく恐ろしくてばからしい。
バッカじゃねいのと思うけど、地獄の沙汰も金次第。
というか今まで俺は動揺したことはあっても感動したことはないかも知れません。
感動が何だかよく知らないから、それで混同していたんだな、きっと。
いわゆる狂人は、一般人の問うたことのない疑問を持ちますから、まあそれが答えの出ない疑問だったとしても、やっぱりそれが一般人を動揺させることはあるんだろうなあ。と思います。