どうしても人を好きになれないでいる冷めた自分を発見してしまう。やはり、俺には盲目的に人を好きになることができないらしい。
あなたが好きと言うなら俺も好きだ。これが俺の基本姿勢らしい。俺の感情なんて鏡のようなものだ。彼女と会うようになり、それがはっきりわかった。
彼女がうれしいからうれしいだけなのだ。彼女が切ないから、俺も切ないだけなのだ。彼女が俺を好きだから俺も好きなだけらしい。こんなの映画でも見てんのと一緒だ。
俺の感情はどこにあるのだ。
俺には自己保身に必要な感情以外はないらしい。俺の中にある感情は怒りと自己憐憫だけだ。あとはない。
ただ、これは俺だけなのかという疑問もわく。
人は行為しか愛せない生き物なんではなかろうか。SEXや遊び、趣味や恋愛。
愛せてせいぜいモノどまりだ。モノは他者の身体であったり、本当の物であったりいろいろだ。
あなたは人を本気で好きになった事がありますか?あるならそれは自己憐憫がもたらす偽りの感情ではないと言い切れますか?
あなたが好きと言うなら俺も好きだ。これが俺の基本姿勢らしい。俺の感情なんて鏡のようなものだ。彼女と会うようになり、それがはっきりわかった。
彼女がうれしいからうれしいだけなのだ。彼女が切ないから、俺も切ないだけなのだ。彼女が俺を好きだから俺も好きなだけらしい。こんなの映画でも見てんのと一緒だ。
俺の感情はどこにあるのだ。
俺には自己保身に必要な感情以外はないらしい。俺の中にある感情は怒りと自己憐憫だけだ。あとはない。
ただ、これは俺だけなのかという疑問もわく。
人は行為しか愛せない生き物なんではなかろうか。SEXや遊び、趣味や恋愛。
愛せてせいぜいモノどまりだ。モノは他者の身体であったり、本当の物であったりいろいろだ。
あなたは人を本気で好きになった事がありますか?あるならそれは自己憐憫がもたらす偽りの感情ではないと言い切れますか?
しょせん、一般的に「愛」と呼ばれているものは、しょせん「自己愛」の豊富なバリエーションの一つに過ぎないのではないでしょうか。と、私は考えています。
親兄弟を、恋人を、他人を、自分の子供を、何でもいい。結局、人はそれら対象を愛しているのではなく、対象を愛している自分自身を愛しているのではないでしょうか。
誰かを愛していると思い込もうしている自分を、愛しているのではないでしょうか。
結局のところ、全ての愛は自己愛に還元されるものでしかありません。そういうひねくれた確信を抱いてしまったからこそ、私は自分以外の人間を愛せなくなりました。
どうも差し出がましいことほざいて申し訳ありません。あなたの恋が、望む形であれ望まぬものであれ、互いに幸せをもたらす形で成就されることを期待しています。
肉欲だけで誰かを抱けるというのも、それはそれで一つの才能なのですから。私自身、異性同性問わず誰かに本気で恋した経験が無いので、あなたの混乱も少しは理解できるつもりでいます。というか、白状すれば、私は「愛」だの「恋」だのというのがどういう感情なのかさっぱりわかりません。
ともかく、やれるところまでやってください。
俺は恋やら愛やらで塗りたくられた、あさましくみじめな人の性を語る気はない。そんなもんはいらない。
俺は自分が欲しい物すらさだかでない。わからない。だが、どこかに俺が欲しかったなにかがあるはずなのだ。俺は何かを欲しがっている。
だから、俺は無難には生きれない。
コメントありがとうございました。
私は「好き」がわからないし、そもそも自分が何を欲しているのかよくわかりません。
だから相手が喜べば自分も喜ぶ、それだけです。
同じ考えの人がいたことに驚きです。
ちなみに22歳。
同感していただき感謝です。ところで、あなたは何を欲しているのか良く分からないと言います。実のところ俺もいまだに何が欲しいのか分かりません。もしかしたら、『何かを欲する気持ち』とは幻想に過ぎないんじゃないかと最近は思います。
人間は自分の欲望すら理解できないのか? いや、実は人間の本性は『生きる為の欲望』さえ満たされていれば、それで満足できる動物らしい動物なのかもしれません。動物にとって生きる事に意味など無く、生きるは事は目的にすぎません。なら、人間だって本音はそうなのかもしれないなと少し思います。
こんな遁世者みたいなコメントして、コメントしていただいた方に失礼だと思わないのか!
いいか、醜い欲望にしがみつく事こそが人間の本性だ。
人間なんか腐った葦である。み・に・く・い・ん・だ・よ!!
そして俺は腐った人間の代表選手だ。
選手宣誓!
欲望こそが生きる糧であり、人は欲望を無くすと死ぬ。