<お詫び>
この先の記事の内容には、附属池田小事件の被害者や遺族の方々にとって大変に不快な内容が含まれております。
誠に申し訳ありませんが、そのような実際の関係者の方は出来ればこの先は読まないでいただきたいと思います。
死者を侮辱する気はありません。被害者の皆様の冥福を祈ります。
<警告>
この先では、加害者の宅間守の人間性について俺の思った事を書く。
それは、多数の人々にとって不愉快な内容であろう。
警告する。この先は読むな。読んではいけない!
俺は読むなと警告した。
だから、勝手に警告を無視して読んだ人間からの苦情は一切受け付けない。
__________________________________
俺は馬鹿である。名前はまだない。
いや、名前はあるのだが、馬鹿なので手がすべった。
さて、馬鹿である俺から言わせてもらえば、宅間守なんてただの馬鹿だ。
馬鹿を馬鹿という馬鹿こそが、この俺であるが、同じ馬鹿同士であるので馬鹿の考える事なんか手に取るように分かる。自慢にもなんにもならないが。
宅間守は、ただの筋金入りの馬鹿だ。
そういう俺は本格派の馬鹿。
まぁ、筋金も本格も馬鹿に変わりはなく、馬鹿は馬鹿同士で通じ合うところがある。てか、馬鹿に国境も格差もない。馬鹿は馬鹿を知る。
だから、馬鹿の起こした事件になんか本当は興味が無い。あー、また馬鹿が取り返しのつかない事をしでかしやがったと思うだけ。
だから、馬鹿のしでかした事件を、さも大事件のように騒ぎ立てている連中を見てると、こいつらマジで頭わるいんじゃないのと思ってしまう。きっと脳に酸素が届いていないのだろう。
頭に酸素が届いてない連中は宅間守をやたらに特別視したがる。
ただの馬鹿だという宅間守の本質が見破れない。
宅間守なんてただの馬鹿だよ。
宅間守は、良識ある人々が言うような凶暴凶悪な殺人鬼でも、一部の狂信者があがめるような英雄でもなんでもない。只の馬鹿である。
なのになんだか現代は、ただの馬鹿を馬鹿と呼ぶのもはばかれるような風潮があり、馬鹿を馬鹿と言うだけで良識派からも狂信者からも反発をかう怖れがあり、うかつに口をきけない。
さて、本題。
宅間守の行動原理は、世の中のやつは全部敵や。
ただ、それだけである。
その他は特にない。
馬鹿だからね。
単純なんだよ。
並の馬鹿なら、多少は揺れ動ける。世の中もわるいかもしれないけど自分もわるいかもしれないみたいに。
でも、筋金入りの馬鹿は一直線だ。世の中のやつは全て敵、それで終わり、それ以上にもう考えられない。
世の中のやつ全部敵や、という発想にたどりついた理由は俺には分からないが、どうも父親との関係が問題だったらしい。なにが理由であれ筋金入りの馬鹿が一度こうと思い込むとなかなか修正できない。自分の思い込みは自分では修正できないし、他人の意見なんか絶対に聞き入れないのが筋金入りの馬鹿の特徴だ。筋金入りの馬鹿は他人の忠告を聞かない。ものすごくかたくなで自分がこうと思い込んだ事を変えるのを嫌がるし、変えようとはしない。
宅間守は筋金入りで圧倒的な馬鹿。
勝手に世の中の全部敵と決めつけて、その思い込みだけでいっぱいいっぱい。軌道修正はもう彼には不可能だったのだろう。(たぶん、宅間守の父親こそがいわゆるキチガイだったのだと思う。父親の狂気が周囲に伝染したのだ。でも、宅間守の父親の狂気さえも、彼がうみだしたモノではない。たぶん時代の産物だ)
敗戦までの、お国の為とかいう、かたよった価値観・歪みをもった親に育てられた子供がはじめだした学生運動が、ついには粛正しあい、最期はテンぱって絶滅したように、敵を見いだした人間は自滅するのが運命だ。
宅間守は、いまさら1人で学生運動をしていたとも言える。
この先の記事の内容には、附属池田小事件の被害者や遺族の方々にとって大変に不快な内容が含まれております。
誠に申し訳ありませんが、そのような実際の関係者の方は出来ればこの先は読まないでいただきたいと思います。
死者を侮辱する気はありません。被害者の皆様の冥福を祈ります。
<警告>
この先では、加害者の宅間守の人間性について俺の思った事を書く。
それは、多数の人々にとって不愉快な内容であろう。
警告する。この先は読むな。読んではいけない!
俺は読むなと警告した。
だから、勝手に警告を無視して読んだ人間からの苦情は一切受け付けない。
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俺は馬鹿である。名前はまだない。
いや、名前はあるのだが、馬鹿なので手がすべった。
さて、馬鹿である俺から言わせてもらえば、宅間守なんてただの馬鹿だ。
馬鹿を馬鹿という馬鹿こそが、この俺であるが、同じ馬鹿同士であるので馬鹿の考える事なんか手に取るように分かる。自慢にもなんにもならないが。
宅間守は、ただの筋金入りの馬鹿だ。
そういう俺は本格派の馬鹿。
まぁ、筋金も本格も馬鹿に変わりはなく、馬鹿は馬鹿同士で通じ合うところがある。てか、馬鹿に国境も格差もない。馬鹿は馬鹿を知る。
だから、馬鹿の起こした事件になんか本当は興味が無い。あー、また馬鹿が取り返しのつかない事をしでかしやがったと思うだけ。
だから、馬鹿のしでかした事件を、さも大事件のように騒ぎ立てている連中を見てると、こいつらマジで頭わるいんじゃないのと思ってしまう。きっと脳に酸素が届いていないのだろう。
頭に酸素が届いてない連中は宅間守をやたらに特別視したがる。
ただの馬鹿だという宅間守の本質が見破れない。
宅間守なんてただの馬鹿だよ。
宅間守は、良識ある人々が言うような凶暴凶悪な殺人鬼でも、一部の狂信者があがめるような英雄でもなんでもない。只の馬鹿である。
なのになんだか現代は、ただの馬鹿を馬鹿と呼ぶのもはばかれるような風潮があり、馬鹿を馬鹿と言うだけで良識派からも狂信者からも反発をかう怖れがあり、うかつに口をきけない。
さて、本題。
宅間守の行動原理は、世の中のやつは全部敵や。
ただ、それだけである。
その他は特にない。
馬鹿だからね。
単純なんだよ。
並の馬鹿なら、多少は揺れ動ける。世の中もわるいかもしれないけど自分もわるいかもしれないみたいに。
でも、筋金入りの馬鹿は一直線だ。世の中のやつは全て敵、それで終わり、それ以上にもう考えられない。
世の中のやつ全部敵や、という発想にたどりついた理由は俺には分からないが、どうも父親との関係が問題だったらしい。なにが理由であれ筋金入りの馬鹿が一度こうと思い込むとなかなか修正できない。自分の思い込みは自分では修正できないし、他人の意見なんか絶対に聞き入れないのが筋金入りの馬鹿の特徴だ。筋金入りの馬鹿は他人の忠告を聞かない。ものすごくかたくなで自分がこうと思い込んだ事を変えるのを嫌がるし、変えようとはしない。
宅間守は筋金入りで圧倒的な馬鹿。
勝手に世の中の全部敵と決めつけて、その思い込みだけでいっぱいいっぱい。軌道修正はもう彼には不可能だったのだろう。(たぶん、宅間守の父親こそがいわゆるキチガイだったのだと思う。父親の狂気が周囲に伝染したのだ。でも、宅間守の父親の狂気さえも、彼がうみだしたモノではない。たぶん時代の産物だ)
敗戦までの、お国の為とかいう、かたよった価値観・歪みをもった親に育てられた子供がはじめだした学生運動が、ついには粛正しあい、最期はテンぱって絶滅したように、敵を見いだした人間は自滅するのが運命だ。
宅間守は、いまさら1人で学生運動をしていたとも言える。
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