長岡京市観光協会のブログ

長岡京市の出来事を紹介します。

「大物産展」・「激辛ワールドフェス」 多くの方で賑わいました!

2016年09月24日 | イベント



「竹の里・乙訓」と「もうひとつの京都」を結ぶ

「大物産展」+激辛ワールドフェスが22日、

向日町競輪場で開催され多くの人々で賑わいました。



多くのゆるキャラたちも応援に駆けつけました。

長岡京市のお玉ちゃんも壇上から手をふり、

舞台に花を添えていました。

 



乙訓地域や府内各地の魅力を発信する多くのブースが並び、

アイドルグループ「AKB48」のステージなどで盛り上がりました。



恵解山古墳の鉄刀を見てきました ~ふるさとミュージアム山城~

2016年09月23日 | 史跡
先日、ふるさとミュージアム山城に行ってきました。



ここには、恵解山古墳から出土した鉄製武器が展示されています。

  

これが古墳から大量に出てきたという鉄刀か…

と、しばし見入ってしまいました。

恵解山古墳は、大量の鉄刀・鉄剣が出土した古墳としても有名です。

なんと150近くの鉄刀が地下から発見され、

その他に剣や槍、短剣もあり、

弓矢のやじりに至っては400点以上も見つかりました。

しかも、バラバラではなくひとつの埋納施設に

きれいに並んで入っていたそうです。



発見の鉄製武器は、現在はこうして

ふるさとミュージアム山城で保管・展示されていますが、

恵解山古墳の頂上部では、

出土した時の状況をイラストで示しています。



古墳にあるイラストを改めて見ると、

あの武器たちがこんなにきちんと並んでいたなんて!と驚きます。

実物を見たからこそ、実感をもって古墳を感じられ、

古墳がある場所で出土時のイラストを見たからこそ、

埋められた当時を想像することができました。



二つの本物から、古代へのロマンをかきたてられた体験でした。

*ふるさとミュージアム山城(京都府立山城資料館)のHPはこちら

*恵解山古墳の地図はこちら ↓



長岡京市は碁盤の目? ~六条条間小路跡説明板~

2016年09月22日 | 史跡
長岡京市は、平安京のひとつ前の都、長岡京があった場所でした。

そうすると、平安京のあった京都市のように、

タテとヨコの直線でできている「碁盤の目」状のまちなのか?

ということが気になります。

現在の長岡京市は、碁盤の目状ではありません。

794年に10年間で長岡京が廃都になったあと

碁盤の目状の区画はくずされ、そののち様々な変遷を経たためです。

けれども、かつての碁盤の目状のみちを感じることができる場所があります。

JR長岡京駅西口から、道路を見渡してみてください。


(JR西口からの眺め)

駅から長岡天満宮に通じる、まっすぐな「天神通り」。

ここからは、東西に走る長岡京時代の道路のあとが見つかっています。

これは五条と六条のあいだの細い道、

「六条条間小路」だと考えられています。

長岡京市立産業文化会館の前には、この発見について説明板があります。



もうひとつ、天神通りと平行に通る「アゼリア通り」。

ここは、五条大路だったと推定されています。



長岡天満宮への参道として多くの人が通る「天神通り」と、

商店が立ちならぶメインストリートである「アゼリア通り」。

現在も人々が多く行き交うみちに、かつても大通りがあった

と考えるとちょっと不思議な気持ちになりますね。

長岡京の都人も、同じ道から変わらない西山の眺めを見ていたかも・・・?

*長岡京のみちについては、こちらもどうぞ。(市埋蔵文化財センターHP)

*説明板がある長岡京市立産業文化会館の場所はこちら↓






乙訓古墳群史跡指定記念のシンポジウムに参加して

2016年09月19日 | イベント
去る9月10日、中央公民館で開かれたシンポジウムは

市外からも多くの人が集まり、

3階の市民ホールがほぼ満席の大盛況でした。



シンポジウムは2部構成で第一部は3人の専門家の先生による基調講演。

第二部は乙訓2市1町の文化財担当者たちも加わっての

パネルディスカッション。

それぞれに熱いスピーチやディスカッションがなされ、

会は予定時間を延長するほど白熱しました。



乙訓にある数々の古墳、そこには誰が眠っていたのか?誰の墓だったのか?

すぐにでも答えを知りたいですが、

それは「この古墳が〇〇の墓」と特定する文字資料が

出てこない限り永遠の謎。

それより、これら古墳が日本の歴史のなかで、どういう役割をしていたか?

ということの解明のほうが重要だそうです。

この度の乙訓古墳群の国史跡指定は

2市1町が共同で調査研究を行う基盤ができたこと、

そして学術資料として永久に保存されることが決まったという点で

非常に意義深いことと知りました。

 

乙訓地方は古墳時代を通して、

その時々の大王と密接なつながりをもってきました。

時には政権と一体にダイナミックに動き、

時には王権の地方役人的役割であったことが、

明らかにされています。

乙訓古墳群は全国の古墳の動向と対応しており、

全体を見るうえでも貴重な資料となるとのこと。

その価値の大きさを知ります。



講演ではこの歴史遺産の活かし方のお話もありました。

身近に史跡があることは全国でみれば、

そう当たり前のことではないそうです。

私たち住民はその価値や魅力を知り、

地域の遺産として、大切に保存活用し、

ひいては次世代につないでいくことが

大切であることに気づくセミナーでありました。




まいぶんミニ展示7「写真で振りかえる市内の首長墓」

2016年09月18日 | イベント
長岡京市埋蔵文化財調査センターでは、まいぶんミニ展示7

「写真で振りかえる市内の首長墓」 を開催しています。

本年3月、乙訓地域の前方後円墳を中心とする首長墓が

乙訓古墳群として国史跡に指定されました。

市内では、昭和56年に指定されている恵解山古墳に加えて、

新たに井ノ内稲荷塚古墳、井ノ内車塚古墳、

今里大塚古墳が指定されました。

今回の展示では、それぞれの発掘調査で

撮影された写真の中から、約30点が展示されています。

土の中に埋め戻されて見ることができない古墳の姿を、

写真記録からご覧いただけます。

ぜひお越しください

■展示期間:平成28年9月30日まで(開催中です)

■時 間: 平日  8:30 ~ 17:00
      第2、第4日曜 10:00~16:00

■休館日: 土曜 祝日 第1、3、5週の日曜


■場 所:長岡京市立埋蔵文化財調査センター
(長岡京市奥海印寺東条10-1)

■問合せ: 長岡京市埋蔵文化財センタ-

075-955-3622

詳しくはコチラからどうぞ