長岡京市観光協会のブログ

長岡京市の出来事を紹介します。

歴史探訪ウォーク(in Osaka)に参加してきました!

2016年09月30日 | 史跡
9月24日に長岡京市ふるさとガイドの会が開催された、

歴史探訪ウォーク・史跡探訪

「細川ガラシャ夫人入信の地 大阪玉造と『真田丸』をめぐる」に

参加してきました。



大阪カテドラル聖マリア大聖堂は、大阪市の玉造にある聖堂です。

大阪城公園の南側にあたります。

1894年に玉造教会は誕生しましたが、

残念ながらその聖堂は戦災によって焼失しました。

その後、仮聖堂を経て、1963年3月に

現司教座聖堂「聖マリア大聖堂」へと生まれ変わりました。

 

大聖堂前広場の両端にある石像は

高山右近と細川ガラシア夫人で、彫刻家・阿部政義氏の作です。

大聖堂に入ると、正面に堂本印象画伯の筆による大壁画と

左には高山右近、右にはガラシャ夫人の壁画があります。

戦国時代に生きた、高山右近とガラシャ夫人は、

熱心なキリスト教徒として知られています。



大聖堂の西北には、細川家の屋敷跡と伝えられている

「越中井」が残されています。

この地でガラシャ夫人は石田三成の人質になるのを拒絶します。

自害を禁止していたキリスト教の教えに従って、

家老だった小笠原小斎の介錯のもと、

屋敷に火をかけて、38歳という若さで最期を迎えました。

ここにはガラシャ夫人を記念して辞世の句碑が建っています。



「散りぬべき 時知りてこそ 世の中の

花も花なれ 人も人なれ」

(散り際を心得てこそ花も人も美しい)



この越中井は屋敷の台所にあったとされています。



こちらの説明板のガラシャ夫人の絵は、

日本画家前田青邨(まえだせいそん)氏の作です。



その後、今年のNHK大河ドラマの『真田丸』の舞台である

真田丸跡を歩きました。

高低差のある地形は当時の真田丸当時の地形も残っており、

それを想像しながら歩くのは楽しかったです。

写真は三光神社にある真田幸村公の像です。

この神社には史跡 真田の抜け穴跡もあります。



真田幸村とその子大助の墓碑がある心眼寺です。




戦国の世の覇権争いに巻き込まれ、

波乱の人生を送った二人。

戦国の世を象徴するような二人の生き様を

感じながら巡った歴史探訪ウォークとなりました。