長岡京市は、平安京のひとつ前の都、長岡京があった場所でした。
そうすると、平安京のあった京都市のように、
タテとヨコの直線でできている「碁盤の目」状のまちなのか?
ということが気になります。
現在の長岡京市は、碁盤の目状ではありません。
794年に10年間で長岡京が廃都になったあと
碁盤の目状の区画はくずされ、そののち様々な変遷を経たためです。
けれども、かつての碁盤の目状のみちを感じることができる場所があります。
JR長岡京駅西口から、道路を見渡してみてください。
(JR西口からの眺め)
駅から長岡天満宮に通じる、まっすぐな「天神通り」。
ここからは、東西に走る長岡京時代の道路のあとが見つかっています。
これは五条と六条のあいだの細い道、
「六条条間小路」だと考えられています。
長岡京市立産業文化会館の前には、この発見について説明板があります。
もうひとつ、天神通りと平行に通る「アゼリア通り」。
ここは、五条大路だったと推定されています。
長岡天満宮への参道として多くの人が通る「天神通り」と、
商店が立ちならぶメインストリートである「アゼリア通り」。
現在も人々が多く行き交うみちに、かつても大通りがあった
と考えるとちょっと不思議な気持ちになりますね。
長岡京の都人も、同じ道から変わらない西山の眺めを見ていたかも・・・?
*長岡京のみちについては、こちらもどうぞ。(市埋蔵文化財センターHP)
*説明板がある長岡京市立産業文化会館の場所はこちら↓
そうすると、平安京のあった京都市のように、
タテとヨコの直線でできている「碁盤の目」状のまちなのか?
ということが気になります。
現在の長岡京市は、碁盤の目状ではありません。
794年に10年間で長岡京が廃都になったあと
碁盤の目状の区画はくずされ、そののち様々な変遷を経たためです。
けれども、かつての碁盤の目状のみちを感じることができる場所があります。
JR長岡京駅西口から、道路を見渡してみてください。
(JR西口からの眺め)
駅から長岡天満宮に通じる、まっすぐな「天神通り」。
ここからは、東西に走る長岡京時代の道路のあとが見つかっています。
これは五条と六条のあいだの細い道、
「六条条間小路」だと考えられています。
長岡京市立産業文化会館の前には、この発見について説明板があります。
もうひとつ、天神通りと平行に通る「アゼリア通り」。
ここは、五条大路だったと推定されています。
長岡天満宮への参道として多くの人が通る「天神通り」と、
商店が立ちならぶメインストリートである「アゼリア通り」。
現在も人々が多く行き交うみちに、かつても大通りがあった
と考えるとちょっと不思議な気持ちになりますね。
長岡京の都人も、同じ道から変わらない西山の眺めを見ていたかも・・・?
*長岡京のみちについては、こちらもどうぞ。(市埋蔵文化財センターHP)
*説明板がある長岡京市立産業文化会館の場所はこちら↓