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長岡京市観光協会のブログ

長岡京市の出来事を紹介します。

京都縦貫道沿い遺跡群6 「鈴谷遺跡」

2015年10月29日 | 史跡
最後は小泉川右岸の山裾部にあった、鈴谷遺跡のご紹介です。

ここでは7世紀後半、古墳時代終末期の

小規模な横穴式石室が発見されました。

古墳は竹藪の土入れなどで削られ、天井石もなくなっていました。

横穴式石室の玄室は、長さ2.0m、

羨道の長さが1.5mで、幅0.6m、高さ0.8m以上、

玄室と羨道の幅が同じタイプの無袖式石室です。

全長約10mの小規模な古墳と考えられています。

石室は途中大きめの石があり、玄室と羨道部を区分していたようです。

小石を敷いた玄室から、須恵器の坏身(つきみ)や蓋が2セット、

土師器の甕が1点出土しました。

出土品の配置などから、埋葬された人は渡来系の氏族との

関係も考えられています。

また、鈴谷周辺の発掘調査のために山間部を掘削した時に、

約170万年前とされる大阪層群の地層から、

小さい二枚貝や牡蠣の化石が出土しました。

発見された場所は、標高80m程の丘陵地ですが、

大昔ここは海底であったことがわかります。


(牡蠣の化石)

説明板は京都縦貫道側道、荒掘交差点東側にあります。




京都縦貫道沿い遺跡群5 「下海印寺遺跡」

2015年10月24日 | 史跡
現在の下海印寺方丸付近にあった下海印寺遺跡では、

縄文時代から古墳時代の集落跡が確認されています。

小泉川が流れ、居住に適した環境の中で、継続的にムラ(集落)が

形成されていたことが分かりました。

河岸段丘上につくられた集落跡からは、約1万3000年前の

縄文時代草創記の石器(有茎尖頭器)や

約1万年前の土器(押型文土器)が出土しました。


(縄文時代石器)

更には、約3500年前の縄文時代後期の集石遺構や土器を埋納した遺構、

土杭、柱穴などを伴う集落が広がっていたようです。


(集石遺構)

また、古墳時代後期になると竪穴住居や掘立柱建物をもつ

大規模な集落へと発展した様子も伺えます。

製塩土器もまとまって出土しており、瀬戸内海沿岸の地域とも

交流が盛んだったと考えられています。

説明板は京都縦貫道側道の歩道にあります。




京都縦貫道沿い遺跡群4 「下海印寺遺跡・方形居館」

2015年10月18日 | 史跡
下海印寺西条地区では、平安時代末期から鎌倉時代の

方形に区画された屋敷跡、「方形居館」の存在が確認されています。

居館は一辺が50m以上の大規模な区画で、周囲に

幅5.2m~6.5m、深さ約1.8mの立派な堀を巡らせて

いたことが確認され、その内側は柵で防御が固められていました。

また、堀を渡る土橋や門跡、板塀などが出土しています。

方位を揃えた建物が配置されていたことや建物の規模から、

下海印寺地域を治めた有力者の屋敷跡と考えられています。



説明板は縦貫道側道の西条交差点にあります。




京都縦貫道沿い遺跡群3 「西山田遺跡」

2015年10月16日 | 史跡
西山田遺跡は長岡京時代の遺物が多く出土しています。

長岡京での地域は、右京七条四坊あたりで、

都の南西部に位置するところです。

小泉川と菩提寺川が流れ、旧流路跡から

大量の祭礼遺物が見つかっています。

その遺物は、土馬約39個体、墨書人面土器約30個体、

ミニチュア竈・鍋セット約100個体です。


(土馬・ミニチュア竈)


(墨書人面土器)

墨書人面土器は、特別な形をした壺に墨で顔が描かれたもので、

都の道路側溝や川の跡から多く見つかります。

壺の中に息を吹き入れ、災いや病いを封じ込めて流すための

専用の器と考えられています。

このように、都の境界付近には祭礼の場が設けられており、

平城京や平安京とも共通することがわかります。

説明板は下海印寺西条公園と小泉川の間にあります。




京都縦貫道沿い遺跡群2 「伊賀寺遺跡」

2015年10月02日 | 史跡
今回は現在の下海印寺伊賀寺付近にあった、

伊賀寺遺跡のご紹介です。

小泉川の北側に広がる京都盆地最大級の縄文集落跡です。

今から約5000年から3000年前の縄文中期から後期のものとされ、

川に近い所で住居をつくり、煮炊きをするようになりました。

そして豊かな食生活の中で、大きな村を形成したと

考えられており、竪穴式住居や火葬した骨を埋葬した土壙墓などが、

たくさん出土しています。

ここでは四角い住居の壁際に煮炊きをする炉を設けた竪穴式住居が

発見されています。

炉の四辺には石材が立て並べられ、最も壁際の辺には

大振りの石材が用いられています。

このような「石囲い炉」を備えた竪穴式住居は非常に珍しく、

乙訓地域ではここしか見つかっていません。



同じ様な形式を持つ竪穴式住居は、東日本に多く見られるようで、

文化の交流があったのかもしれません。

更には、碧玉の原石や未完成品も見つかっており、

北陸から山陰にわたる地域とのつながりもあったことが

うかがえます。


(玉の原石と未完成品)

説明板は小泉川沿いの遊歩道にあります。

探してみてくださいね。



石囲い炉の精巧な模型(京都府埋蔵文化財調査研究センター製作)が

阪急西山天王山駅構内にある長岡京@naviに展示されています。



長岡京@naviは10月までは土日祝のみの営業です。

他にも、長岡京市で発掘された文化財の展示をしていますので、

ぜひお立ち寄りください。