そろそろ仕事復帰するため、早起きをしてみた。が、
朝ごはん食べたらまた寝てしまった。
そしたら一日が終わってしまった。w
何をやってんだか。
先日、三回忌、命日の日記で、
「二年経った」
と綴った。
その二年はやがて、五年になり、十年、二十年、三十年、六十年になって、
自分自身はいつか命をまっとうしてカラダを空へと返す。
六十年というのは、今から天寿をまっとうできた場合の話だけどさ、
自分が亡くなったら、いずれ、ここも消えてちまうんだろうなぁ。
だったら、直のこと、言いたいこと、残したいこと、伝えたいことを、今、綴るべきなんだろう、と思ってみたわけさ。
当たり前の話。だけど、真理とは一見当たり前のようなことを言う。
子どもの頃は、「大人」というのは、明確な線引きがあって、絶対的なものなんだと思っていたけど、いざ、自分がなってみるとそうでもないな。
自分が、自分自身であるというのは変わらない。
泣くのも自分、悲しむのも自分、笑うのも自分、楽しむのも自分・・・
全ての自分を受け入れるしかないんだろう。
全ての自分を受け入れたとき、生きることに何かを見出せるのかな。
結婚、葬式、家の購入、墓の購入。
一生かけてすることを、一年足らずで全て行なってきた。
今の自分はまるで、余生を暮らすおじいちゃんだ。
後は墓に入るだけかのような。(住宅ローンは残ってるけどさw)
そこからなんとか抜け出したいな。
だってせっかく生きてるから。
とはいうものの、生き方なんて分かりゃしないよ。
ただ時間だけが過ぎていくような気もするし。
その間に、何ができるんだろうな。
命。
いずれ消えちまうもの。
朝ごはん食べたらまた寝てしまった。
そしたら一日が終わってしまった。w
何をやってんだか。
先日、三回忌、命日の日記で、
「二年経った」
と綴った。
その二年はやがて、五年になり、十年、二十年、三十年、六十年になって、
自分自身はいつか命をまっとうしてカラダを空へと返す。
六十年というのは、今から天寿をまっとうできた場合の話だけどさ、
自分が亡くなったら、いずれ、ここも消えてちまうんだろうなぁ。
だったら、直のこと、言いたいこと、残したいこと、伝えたいことを、今、綴るべきなんだろう、と思ってみたわけさ。
当たり前の話。だけど、真理とは一見当たり前のようなことを言う。
子どもの頃は、「大人」というのは、明確な線引きがあって、絶対的なものなんだと思っていたけど、いざ、自分がなってみるとそうでもないな。
自分が、自分自身であるというのは変わらない。
泣くのも自分、悲しむのも自分、笑うのも自分、楽しむのも自分・・・
全ての自分を受け入れるしかないんだろう。
全ての自分を受け入れたとき、生きることに何かを見出せるのかな。
結婚、葬式、家の購入、墓の購入。
一生かけてすることを、一年足らずで全て行なってきた。
今の自分はまるで、余生を暮らすおじいちゃんだ。
後は墓に入るだけかのような。(住宅ローンは残ってるけどさw)
そこからなんとか抜け出したいな。
だってせっかく生きてるから。
とはいうものの、生き方なんて分かりゃしないよ。
ただ時間だけが過ぎていくような気もするし。
その間に、何ができるんだろうな。
命。
いずれ消えちまうもの。