ウィトゲンシュタイン的日々

日常生活での出来事、登山・本などについての雑感。

奈良へ(3) ~うっとり仏像訪ね歩き編~

2010-11-11 10:23:27 | 旅・おでかけ

11月1日(月)、ホテルを出た我々は京都駅7時46分発の近鉄急行に乗り、奈良へ向かう。
正倉院展に行くか、かなり迷ったが、西ノ京の混雑程度でぐったりしているようでは
ぴすけに奈良国立博物館の混雑を耐えることは、到底できないと予想できたので
正倉院展には行かないことにして、近鉄奈良駅から市内循環バスに乗った。
途中、バスの車窓から開館前の国立博物館に出来た長蛇の列が見える
同じバスに乗っていたいい歳をした大人が、国立博物館前で我先に降りようとする姿を見て幻滅
ああいう人達がこぞって行く場所に、行かなくて本当に良かった

石破町でバスを降りてから10分ほど歩き、新薬師寺へ。
早朝の境内は大変静かで、本堂内に足を踏み入れると
本尊・薬師如来坐像を取り囲むように須美壇上に立ちはだかる十二神将が圧巻だ。
静謐な本堂の空気はひんやりしていて、個性溢れる十二神将にうっとり
本堂内の隅では、この十二神将についてのビデオを上映している。
十二神将の塑像に残る彩色痕から、当初の姿を再現したCG映像に瞠目。
その煌びやかなことといったら、現在の姿からかけ離れているため違和感があることは否めないが
よく目を凝らさないと彩色されていることなど思いもよらないような木肌を顕わにしている法隆寺でも
薬師寺東塔でも唐招提寺でも、そしてこの新薬師寺であっても
どこであろうが創建当初は丹塗りの柱に極彩色の天井絵や壁画が描かれた堂宇・社殿であったのだ。
ビデオで学んだことで、仏像への観察眼が深まる。
仏像は、本来、観察するものではないが、観察することによってその時代背景や先人の願いがわかり
それを脈々と受け継ぎ守ってきた数多くの人々の思いを感じ取れる。
ぴすけが神仏に手を合わせるのは、邪道かもしれないが神仏を拝むのではなく
目の前に存在しているものが、計り知れない時間と人々の思いを経てきたことに頭を垂れるのだ。


新薬師寺を後にし、高畑町に抜ける通りを渡って、そのまま春日大社原生林へと入る。
道幅も広く危険な箇所はないが、鬱蒼とした森の中へ入っていくので1人では怖いかもしれない

杉の巨木が次々と現れるが、そのほとんどが落雷のためか上部が裂けてなくなっている。
森に流れる川に架かる石橋をいくつか渡ると、ちょうど春日大社の二の鳥居の所に出る。

回廊を抜けて御祈祷所の前を通り、一言主神社にお参りをした後、雨が降り始めた
水谷神社を抜けた所にある茶屋で一服してから、若草山の麓を歩き、東大寺法華堂に向かった。

法華堂の内部が修復中のため、礼堂からの参拝となっている。
法華堂におわす仏像群も、見応えのあるものばかりだ。

東大寺では、「光明皇后1250年御遠忌特別開扉」として、10月23日から11月11日までの期間
法華堂の個人入堂者限定で法華堂経庫の校倉が公開され、内部が見られるようになっている。
この校倉の内部の一般公開は初めてのことだそうで、それを見るためにそこそこ人がいたのだが
大変興味深く、面白いなと思ったことがあった
そこを通りがかる年配の女性(微妙なところだが、ほぼ50歳以上と思われる)は
必ずといっていいほど、係の方に中に何があるのか尋ねるのだ
内部の構造を見ていただくための公開だと係の方が答えると
必ずといっていいほど「な~んだ、中にはなんにもあらへんのほな、みてもしゃーないわ」と
ゲラゲラ笑いながら行ってしまうのだ
こういう行動が、年配女性のステレオタイプ形成につながっていくのか…


二月堂の本堂舞台からは、大仏殿の大屋根の金色の鴟尾が見え、奈良の街が眼下に広がる。

本堂から降りて、そのまま道なりに石畳の道を行く。

雨に濡れた石畳で、ぴすけはすってんころりんと尻餅を搗きそうになったが
あわやというところで手を着いて、なんとか怪我をせずに済んだ

大仏殿の裏を抜けて勧進所の手前を左折すると、春は大変美しかろうと想像できる園地に出る。

園地の先の石段を登ると、そこが東大寺戒壇院である。
ここの戒壇堂に、「ある御方」はいらっしゃるのである。

戒壇院は東大寺の外れに位置しているためか、訪れる人も少なく静かだ。
砂利の縞と塀の縞とが織り成す直線のコントラストが、雨に濡れたために美しさを増している。
ひっそりとした戒壇堂に入ると、多宝塔を囲んで、四方に四天王が睨みを利かせている。
入り口から時計回りに見ていくと、増長天・多聞天・広目天・持国天となっている。
会いたかった「ある御方」の前に歩み寄り、まじまじとそのお顔を拝んだぴすけは…
「お父さん…
と呟いて、オイオイと泣いてしまったのだ
その「ある御方」とは、北東の位置におわします広目天
「生き写し」という言葉は、まさにこういう時に使う言葉なんだろうな。
父も広目天も、どちらも生きてはいないけれど
外の御三方もうっとりしてしまうような佇まいで、よくよく見れば同一モデルとも思える。
なかでも、広目天と双子といってもおかしくない多聞天をまじまじと眺めていたダーリン
「お父さん、多聞天の方が似ているんじゃない?」と言っていた。
広目天は憂いを含んだ目で睨み、多聞天はキリッとした目で睨みつけているので
父の一見怖そうな容貌からすれば、目は多聞天的なのかもしれないが(また多門天だよ
顔の輪郭、髻を隠したときの髪、顔から肩にかけての線、鼻から口から何から何まで
当時この像を作る時にモデルだった人に会ってみたいとさえ思うほど
とにかく父にそっくりなのは広目天なのだ
娘の私が言うのだから、間違いない
広目天の絵葉書を母に買っていったら
「あら~、本当に大王(父の呼称)にそっくりね~」と
なぜか絵葉書を父の遺影の隣に並べ、立て掛けたくらいだ


正直、この堂を去るのには、かなり気持ちの切り替えが必要だった。
だが、このまま広目天の前で「お父さん…」と言いながら
オイオイ泣いていても、はた迷惑なだけである。
なかなか夢にさえ出てきてくれない父だが、戒壇堂に来れば会えるのだ。
これも邪道だが、こんな思いで仏像を眺めている人も、ほかにいるんだろうな…。
戒壇堂を去るのは名残惜しかったが、また会いたくなったら夜行バスで来ちゃえばいいやという
ちょっと末恐ろしい考えが頭に浮かび、堂を後にした。
                                                       (つづく)

 



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4 コメント

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うらやましい。 (ガブ)
2010-11-20 16:23:49
こんにちわ。
久しぶりにコメント失礼いたします。

ぴすけさん、良いご主人に巡り合えて幸せですね。

さて、奈良とは羨ましい。テレビの遷都1300年CMを見て、(春ごろ)大きなお面を被った伎楽にとても興味を覚えたのを思い出します。

一言主とはあの「悪事もひとこと、良事もひとこと..」ってやつですね。小角や饒速日にも縁があったような(うろ覚え)。

わたしも最近仏像が見たいと思い、近間ですが護国寺の月例御開帳を見てきました。都内で手軽に、あれだけの仏像を見られる場所も少ないのではないでしょうか。上野でやっている東大寺の展覧会は、仏像が少ないようなので行きませんでした。

いいなあ、奈良。

伎楽も見てみたいが、これはなかなか見られないようです。仏像や沙門様や建物などには高速バスで会えるのか。

ぼくの周りに興味のある人はいないので、行くとしたら一人なんですけどね。これもバツイチの不徳です。

お釈迦様曰く
もしも良き伴侶に恵まれなければ。
孤独を歩め悪を成さず、求めるところ少なく、林の中の像のように。です。

伴侶がいてもいなくても (ぴすけ)
2010-11-20 22:16:37
ガブさん、見事に釣られていただき、ありがとうございます。
どうしていらっしゃるか気になっておりましたので、「一言主」に反応されるのではないかと思い、あえて一文入れてみました


人間は、1人でいるときと集団(2人も集団とみなします)でいるときでは、考えや行動が変わる方が多いのかもしれませんね。
私もこのブログで、集団の幻滅するような行動に出会ったこと(雲取山や上高地での出来事など)をよく書いているような…
誰かといると責任が分割されるような気持ちになってしまうのか、その場の雰囲気に流されてしまうのかわかりませんが、日常生活や旅先で、幻滅するような行動をとる集団と出会わないことはないと言っていいくらいです。
私は一人っ子として育ったせいもあるのか、何でも1人ですることが多く、幼い時から異端児扱いで仲間はずれやいじめにも遭ってきたので、集団に対しての猜疑心や警戒心も強く、集団への帰属意識は大変希薄です
年齢を重ねるにつれ、仕方がないので集団に属することもありますが、その集団が自分の倫理から外れるようなものであったり、自分の心に踏み込まれてかき乱されるようなものであれば、自ら離れるようにしています。
そう!
自分が心穏やかでいられず、自分を高められないような集団にいるくらいなら、1人でいた方がよほどマシです。
なのでどんどん人から遠ざかります


私は、伴侶がいてもいなくても、孤独(ひとり)で歩み、悪事を働かず、求めるところは少なく、林の中にいる象のようにあることは、1個の人間として、そのようにありたい姿だと考えています。
自分がそうあったうえで、別のそうして1人で立つ人を、伴侶や仲間として共に歩むことができれば、この世で生きるのも少しは楽しくなるのかもしれませんね。
パブロフの犬のように (ガブ)
2010-11-24 00:36:47
みごと釣り上げられました。

フィッシュオン!

なんでしょう、恥ずかしいような。

一言主などという希少な話に出会えることも、ネットの恩恵なのでしょうね。
何の魚でしょう? (ぴすけ)
2010-11-26 19:47:43
ホーッホッホッホッホーッ
ガブさんは、何の魚でしょう?
かつてインテルのサイトでマグロ占いというものをしたところ、私は希少価値抜群海の王者太平洋黒マグロになりました。
ちなみにダーリンは小形ですばしこいキハダマグロ
娘もキハダマグロでした

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